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駒込千駄木の御鷹部屋 [私の探鳥記]

takagarihon_1.jpg 今朝は抑圧薬が効いて心身冴えぬ。ここ最近、時にガクンと100-70まで下がる。朝に弱い低血圧者の気分はこんな感じかと思うが、慣れぬ嫌な気分なり。さて、そんな頭で先日読んだ黒崎雄一郎「鳥見役影御用 闇の華」を振り返る。まず冒頭で鳥見役・組屋敷の位置がこう説明される。…動坂神明宮の北に将軍家の鷹を飼う御鷹屋敷があった。鳥見役と御鷹匠はまったく別組織も、役務上は緊密な連携が必要で、御鷹屋敷周辺に鳥見役の組屋敷も建てられた。…鳥見役の父が何者かに斬殺され、息子・兵庫が敵をバッタバッタと斬りつつ仇を討ち、陰謀を突きとめる娯楽小説。

 写真の「将軍家の鷹狩り」にはこうある。…享保16年に吹上の組織が廃止され、戸田五郎組が千駄木鷹部屋、小林十郎左衛門組が雑司ヶ谷を管轄する二人体制の鷹師組織が定着した。…すでに雑司ケ谷の鷹師部屋は豊島区立郷土資料館刊資料の江戸地図で確認済。現在の雑司ヶ谷霊園と東池袋交差点辺りとわかった。そして今度は千駄木の鷹匠部屋の確認。これはネット検索ですぐわかった。護国寺前の不忍通りを上野方面へ六義園を左に見てさらに進んだ動坂下。この右手前角が御鷹部屋で右折して坂を上がった駒込病院辺りが御鷹匠屋敷。その奥の天祖神社に御鷹部屋跡の石柱があるそうな。このルートを15年余もバイク疾駆。今度はバイクを止めて石柱を撮ってみましょう。

 「闇の華」の主人公・兵庫には池之端の小料理屋に深間のいい女がいて、時に濃厚な濡れ場シーンを楽しませてくれる上に、諸田玲子「お鳥見女房」では書かれなかった鳥見役の実際も描かれていた。亡き父が記した鳥観察ノートをひもとく場面、将軍の鷹狩り日程が決まってからの、絶好と思える場「代」を決定し、その保全に杭や麻縄張り。極寒に2尺の穴を掘っての徹夜見張りなどのフィールドワークも描かれている。主人公を鳥見役に設定の意も果たし、史実にもちょっと迫って、かつ娯楽性も大なり。

 「お鳥見女房」の項で、鳥見役は鳥知識をどうやって得ていたのだろうかと記したが、当時の江戸は飼鳥大ブームで飼育書などが何冊も刊で、それらに記された和鳥は水辺の鳥を除いた野山の鳥だけで約110種にも及んでいた。ってことは、ほとんどの野鳥が捕られ飼われ飼育法が書かれていたってこと。場合によっては認可された鳥屋10軒で各鳥の実際の姿も眼にすることが出来たのではないかと推測する。加えて輸入鳥も約80種に及ぶ解説があり。鳥見役の鳥勉強環境は充分に整っていたとみてよさそうだ。「鳥見役」考…そろそろ終わりです。


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m4m4

鳥見役は専門知識が必要なので、世襲制とどこかで読んだ覚えがあります。鳥の知識は親から教えられたのではないでしょうか。
鳥見役や鳥のことがとても詳しく書かれているので勉強になります。

by m4m4 (2021-01-04 22:19) 

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