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電信事業の父、ウィリアム・ストーン [青山・外人墓地]

stone6_1.jpg 明治のお雇い外国人には青山霊園「一般墓地」に埋葬の方もいる。明治32年の居留地制度廃止に伴って同外人墓地が一般墓地扱いになったゆえだろう。日本の通信事業に寄与したウィリアム・ヘンリー・ストーン(William Henry Stone)も一般墓地の端「1(イ)11号13側」に眠っている。十字架の墓標、両脇に灯籠。右下に「ストーン君碑誌」あり。大正6年の原文をルビ付きで紹介。

「勳一等ウ井リアムヘンリーストーン君ハ我ガ天保八年六月十八日ヲ以テ愛蘭(アイルランド)ニ生マル明治初年帝国政府ニ聘(へい)セラレテ電信事業ノ指導ニ膺(あた)リ次(つ)イデ逓信省ニ在リテ顧問ニ任ジ前後四十餘年専心其職ニ盡クシテ功績顕著ナリ殊ニ對外電信業務ハ君ガ心血ヲ瀝(そそ)ギシ所ニシテ日清日露ノ両役ニ於ケル軍国通信ノ運用ニ就イテモ貢献亦タ少カラス大正六年六月三日東京ノ寓居ニ没ス享年八十有一ツノ病革(あらた?)マルニ方(あた)リテハ旭日大綬章ヲ授ケラレ訃(つげる)天聴ニ達スルヤ(天皇の耳に達するや)特ニ賭(ふ。死者を弔って遺族に贈る金品)ヲ賜ワル君天資重厚ニシテ勢利(せいり。権勢と利欲)ノ念ニ薄ク本邦通信事業ノ信用ヲ中外ニ宣揚センコトヲ務メタリ其高風偉勲ハ永ク後人ノ亀鑑タルベシ」

stonehaka_1_1.jpg 碑誌で充分に語られているも高橋善七『お雇い外国人ー通信』(鹿島出版刊)、東京公園文庫33『青山霊園』(田中澯著)を参考に彼の経歴をまとめる。

 1837年、イギリス税関吏の長男としてアイルランド・スライゴ州(Sligo)生まれ。明治5年(1872)、35歳で工部省書記官として招聘。明治初めの電話電信事業は制度・技術面すべてをお雇い外国人(一時は59名)の教導によった。

 明治18年(1885)12月、工部省から逓信省へ移行。知識・技術は日本人の経験が年々蓄積されるも「通信行政」は国際間交渉頻繁で、彼に頼らざるを得ず。結局彼は電信事業顧問40余年。日清・日露戦争では軍の枢機に参画し電信面で貢献した。

 彼は重厚な風格を有し、勢利には薄かった。俸給の余りは各方面に喜捨。慈善事業には惜しまず寄付。日清・日露戦役にも多額を寄付した。政府はその功に報いて終身年金を決定。またデンマーク、フランス、オランダ、スペインなどからも勲章受章。

 大正6年(1917)6月3日、80歳没。勳一等、旭日大綬章。葬儀は麻布の聖アンドリュー教会で執行され、墓碑は通信次官だった内田嘉吉(後に9代台湾総監)の所有地に埋葬。彼は早くに夫人を亡くし、令息は香港居住でスタンダード石油重役、令嬢はロンドン在住だったとか。ストーンに関する情報はネットには僅少。顔写真も鹿島出版の書に粗い凸版写真があるのみで、それを参考に描いた。


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