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方丈記14:水火風そして地震 [鶉衣・方丈記他]

mononofu1_1.jpg 前回の京の大地震の続きで、岩波文庫版にない部分です。

 其中に或武士のひとり子の六七ばかりに侍へりしが、ついひぢのおほひの下に小家を作りて、はかなげなる跡なしこと(あとなし事=たわいもない事)をしてあそび侍りしが、俄にくづれうめられて、あとかたなくひらにうちひさがれて、二の目など一寸ばかりうち出されたるを父母かゝへて、声をおしまず、かなしみあひて侍りしこそ、あはれにかなしく見侍りしか。子のかなしみには、たけきものも恥をわすれけりと覚えて、いとおしく理(ことはり)かなとぞ見侍りし。(岩波文庫版は、次につながる)かく、おびたゝしくふることは、しばしにてやみにしが、其名残しばしは絶ず。

 長明は、子を抱き泣く武士の姿を実際に見たのだろう。「跡なしことは」は「跡無し」ではなく「あとなしごと」で〝跡〟は当て字か。「見侍りしか=見るの丁寧語+しか(過去の助動詞)=見ました」だろう。

 よのつねに、驚くほどの地震二三十度ふらぬ日はなし。十日廿日過にしかば、やふやふ間どを(間遠、まどほ)になりて、或は四五度、二三度、もしは一日まぜ、二三日に一度など、大かた其名残三月ばかりや侍けん。四大種の中に、水火風はつねに害をなせど、大地に至りては殊なる変をなさず。むかし斉衡の比とよに、大地震ふりて、東大寺の仏のみくし(御首)落などして、いみしき事とも侍りけれど、猶此たびにはしかずとぞ。則(その時)人みなあぢきなきこと(どうにもならない事)を述て、聊(いささかの)こころのにごりもうすらぐかとみし程に、月日かさまり年越しらば、後は言の葉にかけてくいひ出る人だになし。

yonotuneni2_1.jpg 7月9日京都直下型地震の余震の恐さが三ヶ月ほど続き、やがて忘れてゆく様が綴られている。「しかず=及かず=及ばす」、「とぞ=文末に用いて~ということだ」。

 北村優季著『平安京の災害史』に京の地震が列挙。平安京遷都間もない延暦16年(797)8月に地震と暴風。斉衡2年(855)に地震頻発。大仏の首が落ちた。元慶4年(880)の大地震で大極殿に亀裂。宮城の大垣や京内の家屋損壊。仁和3年(887)の京大地震。津波で溺死者多数。承平8年(938)4・5月に地震。天延4年(976)の地震では多数寺院損壊。清水寺も崩壊で50人圧死。嘉保3年(1096)平安京に再び大臣。堀河天皇は寝殿造り池に船を浮かべて避難。文治元年(1185)長明33歳。壇ノ浦合戦の4ヶ月後にこの地震に遭遇。

 ※昨日の新宿「花園神社骨董市」で〝古硯〟を入手。伊勢丹前の歩行者天国で「安倍政権批判の抗議集会」が行われていた。

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