短歌・俳句の〝波〟について [暮らしの手帖]
<四季> 荒波、荒磯波(ありそなみ)、うねり、浦波(浦=入江に寄せる波)、細波(さざなみ)、波の花、潮騒、頻波(しきなみ、頻りに打ち寄せる波)、白波、辺波(へなみ=岸や船べりに寄せる波)、時化(しけ)、青海原、大海、潮煙(しおけむり)、潮泡、潮飛(しおなわ)、渦潮~。
<春> 春の波、春の海、春潮、葉月潮~。<夏> 卯波(うなみ)、五月波、土用波、夕凪~。<秋> 秋の波、秋の潮、初潮(はつしお=旧暦8月15日の満潮)、高潮~。<冬> 冬の海、冬の浜、冬の渚、冬の波、寒潮~。
歌人・俳人は海や波を眺めて一首詠むのは嫌いではなさそうだが、特別に好きな「海・波」の短歌、俳句はなかった。有名俳人の句としては与謝野蕪村「春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな」。芭蕉なら「荒波や佐渡によこたふ天の河」。
短歌では、西行が海一望の幾つかの草庵を結んでいたから、いい海の歌があるかもしれない。「磯の間に波荒げなるをりをりはうらみを潜(かづ)く里の海士人」。荒波を詠んだと思いきや、西行さんの「海士=尼」で、怨みを秘めた里の尼人=待賢門院と女房らの意らしい。いつまでも未練まがしい奴だなぁと思ってしまった。
寄せては返す波を見ていると、飽きることがない。薪ストーブの炎を見続けているのも同じで、見ているうちに心穏やかになってくる。きっと「リフレイン」が持つ魔力~。雲も同じかなぁと思ったがとんでもない。雲は常に刻々と変化して、観察していると結構忙しい。
ゆえに西行の雲の歌も絶えず動いている。「雲立ち渡る、雲の立つ、雲たむろせり、雲の行方、雲のまよひ、雲わき、雲吹きて、雲の動き、雲吐けり、雲のはて~」。〝用言付き〟で成り立っている。加えて〝風雲児〟なんて言葉もある。とても落ち着いちゃいられない。
あぁ、最近、海を見ていないなぁ。薪ストーブの炎も見ていないし、大島の落下した煙突も直さなくてはいけない。海と炎が見たい!の禁断症状が出てきたようです。写真は大島で撮った「土用波」。
2019-12-13 06:29
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