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堀田善衛から立花隆のネコビルヘ。 [暮らしの手帖]

tatibanatakasi_1.jpg 「書斎」ならば立花隆の〝ネコビル〟も欠かせぬだろう。氏の『ぼくはこんな本を読んできた~立花式読書論、読書術、書斎論』を借りるべく閉架本を求めた。閉架本は出てくるまで10分程待たされる。

 立花のネコビルは、堀田善衛『ミシェル城館の人』(ミシェル・ド・モンテーニュ評伝)のサイロ改造書斎に似ているのかしらと思った。堀田関連書を立ち読みすれば「読書=知りたいことの〝お勉強〟です」と記されていた。小生も最近は〝隠居のお勉強〟を連発で「ウムウム」と納得。

 立花隆〝ネコビル〟については、妹尾河童氏が氏との交流を語りつつビル落成までの顛末を記し、各階の俯瞰立体図を描いていた。立花は堀田と同じようなことを記していた。~文明社会が築かれたのは利便・利益・実用性を得たい知的欲求と、とにかく知りたいの純粋知的欲求によっている。後者は知的欲求レベルが低い人、高い人さまざまで、高い人は次から次へ未知な世界を求めて学習して行く人です。

 読書には2種類がある。本を読むこと自体が目的、それが楽しみな読書(主に文学書)と、読書を通じて新たな知識・情報なりを獲得したいという目的の読書がある。私の若い時分は文学書、教養書の読書では100人以内の読み手と自負していたが、今は文学書を読んでも面白いと感じることもなく、文学者の想像力の貧困さを痛感するばかり。そこで読み始めたのがノンフィクションです。

 各領域の知のフロンティアで何が今行われているかを伝えてくれるのは、それらの専門書です。それら書、論文から現在進行中の人類の巨大なドラマがリアルタイムでエンジョイできる(この辺になると堀田の〝お勉強〟領域を超えて、文字通り〝知の巨人〟領域に入って行く。小生は図書館や古本市などに行く度に、知らない世界のことが書かれている書の多さに圧倒される)。

 立花隆の書斎歴は、30代半ば迄がリンゴ箱時代。やがて自宅2階の4畳半とマンションの2室を仕事場にするようになる。大きなダイニングテーブルと作業台を得て仕事机に。52歳でネコビルを新築。約3万5千冊を収納。

 現在79歳。晩年は損害賠償請求訴訟で200万円の支払いを命じられたりで〝知の巨人〟イメージが崩れてきた。これは人物中心のノンフィクション作家・佐野眞一も同じ轍を踏んだが、『唐牛伝』で往時の筆力を復活させたなと思っている。佐野のノンフィクションは7~8割は読んでいるも、立花隆は殆ど読んでいない。最新作では何を読んだらいいだろうか。

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