SSブログ

光子① 牛込納戸町 [牛込シリーズ]

nandocyokoen_1.jpg 牛込地区のネット巡りで「クーデンホーフ光子」に出会った。彼女夫妻の居住跡が、小生がかつて事務所を構えていた「佐内坂」近くで驚いた。普段は市ヶ谷~佐内坂を上ったり下ったりも、時に反対側へ歩く時もあり。防衛庁(自衛隊)裏の壁沿いに歩けば「JICAビル」に突き当たり、同ビルに沿って右へ左へ回り込めば、自衛隊と大日本印刷の間の道を真っ直ぐ行って外苑東通りを突っ切れば女子医大へ。そこまで歩けば自宅も遠くない。

 「JICAビル」に突き当たって右折したまま真っ直ぐ「中根坂」を下れば、左に「牛込三中」(当時は第四中学)で反対側が「納戸町公園」(写真)。そこが「クーデンホーフ光子居住の地」。史跡看板に、こう書かれている。

sanaizaka_1.jpg 「この地には、初めて西洋の貴族と結婚した日本女性であるクーデンホーフ光子(青山みつ1874~1941)が、明治29年(1896)に渡欧するまで住んでいた。光子は明治7年(1874)骨董商・油商を営んでいた青山喜八と妻つねの3女として生まれた。東京に赴任していたオーストリア・ハンガリー帝国代理公使のハインリッヒ・クーデンホーク・カレルギーと知り合い、明治25年(1892)に国際結婚し、渡欧後は亡くなるまでオーストリアで過ごした。渡欧までの間、光子と共にこの地で暮した次男リヒャルト(栄次郎1894~1972)は、後に作家・政治家となり、現在のEUの元となる汎ヨーロッパ主義を提唱したことから「EUの父」よ呼ばれている。平成25年3月 新宿区」

 二人の出会いは諸説。1973年のNHK番組「国境のない伝記~クーデンホーク家の人びと」では、光子を吉永小百合が演じていた。「骨董」看板の店の帳簿に座った光子の前で、小僧が歩道に張った氷を砕いていた。そこに馬から下りた青年伯爵が、店前で氷の破片を踏んで転倒。光子がかいがいしく介抱して、二人の物語が始まっていた。

 シュミット村木眞寿美著『クーデンホーフ光子の手記』には、~凍った道で落馬した青年貴族に駈け寄り介抱した美しい少女」の逸話が本当ならば、光子は得々と自分の手記にも書いたろうが、その記述はない。それは後で作られた逸話なのでは~と記していた。

 松本清張『暗い血の旋舞』には、光子の出自、伯爵との出会いが概ねこう記されていた。~光子の生家は牛込納戸町。実家は青山で骨董を商い油屋も兼業。伯爵は当時の外人のほとんどがそうだったように日本の骨董収集に凝っていて、光子の家にもしばし出入り。ある冬の日、光子の家の前で伯爵の馬が氷の破片に脚を取られて落馬。それを光子がかいがいしく介抱した。

 時代は明治なのに住所も出会いも曖昧です。その辺から探ってみることにした。(続く)

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。