SSブログ

光子③ 関連書著者らのドラマ [牛込シリーズ]

mituko2hon_1.jpg ここで「クーデンホーフ光子」関連書の著者についてのメモしておこう。まずは鹿島建設の鹿島守之助。氏は鹿島組の長女と結婚するまでは本名・永富守之助で外交官。ドイツ駐留中に「パン・アメリカン連合」の指導者リヒャルト・クーデンホーク=カレルギー(光子の次男=栄次郎)に会い、彼の「パン・ヨーロッパ」構想に共感し、親交を深めた。

 昭和2年(1927)、リヒャルトの『パン・ヨーロッパ』を翻訳・出版。以後、鹿島研究所出版から『クーデンホーフ=カレルギー伯爵全集(全9巻)を1970年から刊行をはじめ、光子の娘『母の思い出』(光子を看取ったオルガ著)、『結婚と孤独』はじめの(イーダ・ゲレス著作)、リヒャルドの来日後に執筆『美の国』なども出版。

 リヒャルドは鹿島に「汎アジア」も進言。鹿島は外務省を退所して「汎アジア=大東亜共栄圏」を主張で政治家を目指すも落選。「大政翼賛会調査局長」に就任。「汎アジア=大東亜協栄圏」構想は正しも軍部の暴走で道が逸れた~と語っているとか。戦後公職法追放が解除されて参議院に当選。8期務めて1971年に政界引退。鹿島建設は日本第1号原子炉、霞が関ビル、サンシャイン60、青函トンネルなど多数~。木村毅は「クーデンホーフのヨーロッパ共同体思想は、岡倉天心が日露戦争の直前に〝アジアは一つ〟と言った意と相通じると説明している。

seisyomaru5.jpg 次はすでに紹介の木村毅(き)。若き松本清張に小説家への志を与えたのが氏の『小説研究十六講』(大正14年=1925)。その木村毅が昭和45年(1971)に『クーデンホーフ光子伝』を鹿島出版会から刊。これは同年に鹿島映画が劇映画「超高層のあけぼの」全国公開ヒットになり、文部省グランプリも受賞。鹿島氏が次作に常々から構想の鹿島平和賞受賞「クーデンホーフ伯の親子」の映画化を計画。映画化に先立ってNHK放映決定で、NHK会長よりオリジナル作家として木村毅氏を推薦。木村氏はすでに『海外に活躍した明治の女性』の中で「EECの祖母~クーデンホーク・カレルギー伯爵夫人光子」なる1章を発表済での推挙。かくして昭和46年(1971)に『クーデンホーフ光子伝』を刊行。

 (※1973年のNHK「ドキュメンタリードラマ 国境のない伝記~クーデンホーク家の人びと」の原作になった。また昭和62年・1987のNHK特番「ミツコ~二つの世紀末~」(吉永小百合主演の5話放映)は、木村勉原作ではなく、松本清張の欧州取材に同行したNHKプロデューサー吉田直哉の制作で、シナリオ集も刊行されている)

 そして木村毅『小説研究十六講』によって小説家を志した松本清張は、上京すると真っ先に木村氏を訪問して挨拶。後に大家となった清張が死去5年前に執筆したのが『暗い血の旋舞』(昭和62・1987年刊)。木村氏から学んだことの集大成として臨んだ意欲作と思われるが出来栄えは~(小生感想:満点に至らずです)。(「松本清張全集」64に収録されています)

 4人目に挙げたいのがミュンヘン在住で、長年にわたって光子の取材を続けているシュミット木村眞寿美。東京都出身で早大大学院卒後にストックホルム大へ留学。1968年にドイツ・ミュンヘンへ移住、ドイツの医師と結ばれて子供を設けてドイツ国籍を取得。主婦業の傍らレポーター、通訳、翻訳、執筆。光子当時は「オーストリア・ハンガリー」だったが、その後はクーデンホークのロンシペリク城はチョコ共和国へ。著者は廃れたロンシペリク城の復興なども運動中とか。チェコに没収されている光子直筆手記を翻訳。

 光子に取り組んだ著者それぞれにも人生ドラマありで、かつ著者によって光子の捉え方もそれぞれ違って、初めて光子を知ろうとする者はいささか戸惑います。

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。