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光子⑦ 日清戦争 [牛込シリーズ]

nissinsensouryojyun_1.jpg クーデンホーク家のドラマは日清・日露戦争時代になる。小生、学校で習ったかも覚えていないので、一度は復習する必要がありそう。

 幕末は「尊王攘夷」。尊王(天皇)・攘夷(外国勢力の撃退)から明治維新へ。軍人勅語、教育勅語~そして明治22年(1889)に「大日本帝国憲法」発布。開国して国の形が整うと、世界・諸国が見えて來る。

 朝鮮半島の危ういこと。朝鮮の大銀行が「露清銀行」。それを象徴してロシアが不凍港を求めて南下し、朝鮮を保護指令する宗主国=清国がいる。露清大国に英国も絡み、朝鮮は大国と密約・暴露されつつ揺れ続けている。(その姿は今の韓国も同じ。日本はバンドワゴン=米国頼りだ)

 そのうちに挑戦内乱。政府は清国に援軍を要請。清国軍が半島に入ってくれば、権力均衡維持に日本も軍隊派遣。清国の朝鮮駐在・袁世凱が突如帰国で、実力者を失って狼狽する朝鮮の隙を狙って、日本は王宮内に隠棲の大院君(明治15年に逮捕)を担ぎ出して親日派政府を組織。これが日清開戦の契機になった。

nissinsensounisikie_1.jpg 清国はソウル南の成歓に陣を張った。戦闘1時間半で清軍潰走。その数日前に仁川の西・豊島沖でも、清国増援兵輸送の護衛軍艦を日本艦隊が撃沈・敗走させた。清軍の増援軍1万余が南下して平城を占拠すると日本軍が包囲。それだけで清兵は戦意を失って日本軍は平城入り。日本海軍は黄海で清国・北洋艦隊と4時間ほどの戦いで3艦撃沈ほか大損害を与えて旅順1日で陥落。

 半藤一利は「司馬さんは『坂の上の雲』の日清戦争の章を<勝利の最大因は、その頃の中国人は国家のために死ぬという観念を持っていなかった」と締めくくっている」を紹介。明治27年(1894)の日清講和条約で日本は遼東半島と台湾澎湖島を手に入れ、日本の国家予算4倍もの賠償金を手に入れ、戦費のほとんどを補った。

 再び半藤一利「勝海舟はこの戦いは大間違い。支那5億の民衆は日本にとって最大のお客様なのに~」の言葉を紹介。(これまた現代に通用)

 日清講和から1年後、明治28年の三国干渉(ロシア主導でフランス、ドイツ)で、日本は遼東半島全面放棄。だが3年もせぬ間にドイツが膠州湾(青島)を、フランスが広洲湾を、ロシアが旅順・大連を含む遼東半島を租借。満州も事実上占拠した。

 以後の日本はロシアが仮想敵国になる。超大国相手ゆえ、軍備充実に国家予算4割強を充てた。この項の参考は中公『日本の歴史』22巻、文春新書『徹底検証 日清・日露戦争』(座談会構成)。次に「日露戦争」もお勉強する。写真上は明治27~28年刊『日清戦争写真石版』より、写真下は明治27年刊の『日清軍艦開戦之図』より。共に国会図書館デジタルコレクション。 

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