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夢二、荷風からストリートファッション写真まで [読書・言葉備忘録]

kafuyumejisyasin.jpg このカットは6年前にアップした竹久夢二、永井荷風のカメラ調べをした際のもの。夢二のカメラは大正4年(1915)に輸入されて写真ブームを興した「ベスト・ポケット・コダック(通称ベス単)」らしい。彼は11冊のアルバムに2614枚もの写真を遺したとか。その一部掲載の写真集を観たことがある。妻たまき~彦乃~そしてお葉さんのヌード写真。

 永井荷風は昭和11年(1936)10月に「ローライコード」(100円程で今の27万円?)を購ったが、室内や夜の撮影に塩梅悪く、翌年2月に「ローライフレックス」を参百拾円(今の80万円程)で購った。自家本に自ら撮った墨東風景に俳句を添えた頁があったと記憶している。荷風さんのこと、エッチな写真もたくさん撮っていたに違いない。その頃の『断腸亭日乗』には「帰宅後に写真現像」の記述が続いている。

 ロールフィルムによる小型カメラ誕生は、かく夢二・荷風さんにも「スナップ写真」を撮らせたが、小生の父も同じような写真機で、子供のあたしらをスナップしていた。

 〝近代写真の父〟で女性画家オキーフの夫、アルフレッド・スティーグリッツは、最初が三脚使用の8×10(エイトバイテン)、1892年に携帯用4×5(シノゴ)カメラを購入。妻エミリーとの新婚旅行で各国を巡った時の写真が初期代表作になっているそうな。1896年に「アマチュア写真協会」と「ニューヨーク・カメラ・クラブ」を合併した写真クラブを設立。1896年に「ギャラリー291」設立。

 1916年に女性画家オキーフと出逢う。妻エミリーが外出中の自宅でオキーフのヌード撮影。そこに帰宅した妻と騒動勃発。彼とオキーフは同棲を始めて、彼はオキーフの身体を愛でるように撮りまくった。室内私的スナップ写真で、絵画でもマチスはじめ室内を描く流れがあった。

 ウィリアム・エグルストンは1939年生まれ。カラー写真の開拓者で「日常的なものを、あたかも初めて見たような気分にさせる視点、色、構図」が特徴とか。彼のカメラは1933年からのLeicaⅢシリーズ。彼の写真は「New Color派」と呼ばれた。ソール・ライターはそれに比して写真集『Early Coler』を発表。この両人、共に写真に劣らず絵もたくさん描いた。

 彼らの後を継ぐ形でストリート系ファッション写真が興る。その「カジュアルさ」イメージで「スナップ写真&

広告」が流行った。そして間もなくフィルムではなくイメージセンサー(撮影素子)とPhotoshopなどのソフトウエアによるデジタルカメラへ移行。以上、学者先生らの写真論が小難しく廻りくどいので、自分流でまとめた。

  アッチでは今日「うんこ座りの女たち」の写真をアップした。

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