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イアン・ジェフリー著『写真の読み方』①東松照明 [読書・言葉備忘録]

syasinnoyomikata_1.jpg 「~初期から現代までの世界の大写真家67人~」に東松照明、中平卓馬、森山大道の日本人三名が取り上げられていた。とてもコンセプチュアルな記述ゆえ、写真初心者の小生は(★)で上野昂志著『写真家 東松照明』より説明補足して私流意訳でまとめる。

東松照明> 全ての写真家の中でも最も誌的な写真家のひとり。(★東松は1930年、名古屋生まれ。愛知大写真部。同大卒後に「岩波写真文庫」制作スタッフになる。編集・レイアウトは名取洋之助。写真は芸術ではない。コミュニケーションの一つの道具に過ぎない~が名取の信条)

 同文庫は、言葉の代わりにイメージで表現する~が方針。比してヨーロッパ人傾向は、言葉とイメージの組み合わせで考える。東松はアレゴリー(比喩、寓意)に生命を与える写真が特徴。洪水後の泥中の長靴・ビン、榴散弾浴びたトタン穴から星のように洩れる光、原爆投下時に止まった時計、溶解したビール瓶など。彼はポストモダンフォトの先駆者のひとりになった。

 (★彼の際立つ特徴は「寡黙さ」。対象のブツ(物)のリアリティが圧倒的で、写真家としての彼の存在を消している。そこに何か象徴的な意味を見出そうとするも、彼独特のブツのリアリティの力が迫ってくる)

 (★東松は岩波と決別して1956年にフリー。時あたかも週刊誌ブーム。例えば「中央公論」では彼の企画でグラビア8頁と決まれば、写真の選択も文章も彼まかせ。1957年より同世代の写真展「10人の眼」を3回開催。1959年に写真家集団「VIVO」創立。戦前作家(土門拳、木村伊兵衛ら)と一線を画す地殻変動を起こした)

toumatu1_1.jpg 「VIVO」によって東京に惹かれた森山大道へ、東松は「写真は俳句だ。俳句同様無限の選択の技術だ」と言った。17文字の結合から隠喩を醸し出す俳句が、東松芸術の理解の鍵~と著者は記している。

 1964年、アフガニスタンを撮った『サラーム・アレイコム』には写真の他にタイトルも数字もない。言葉排除の写真(イメージ)で全てを表現。1960年代とそれ以後の日本の写真家たちは、この原則をあまねく世界に拡大した。

 (★基地ヨコスカ、混血児スミエちゃん、岩国、沖縄、長崎、広島へ。東松は戦後日本に対応しながら、個別の具体性に感応しつつシャッターを切り続けた。ジャーナリズムとブツのリアリティーという二重性、ズレが付きまとった。

 東松の後継者、特に森山大道と中平卓馬は1968年に「プロヴォーグ」を刊行。東松は「ケン」発行でフォト・アバンギャルドとも接触を続け、その霊感源になった。

 (★同書は1969年までの写真集を基に書かれているが、上野昂志はその後の東松の仕事も追っている。満潮と干潮の潮間を撮った『インターフェイス』、各地の桜を撮った『さくら・桜・サクラ120』、京都を撮った『京』、九十九里海岸で見つけたゴミ『プラスチックス』、そしてメイキングフォトが続く。バリ島で体験したマッシュルーム幻想を再現したく色を塗った板上に花などを載せた『ゴールデンマッシュルーム』、コンピュータ・チップを自然物に添えた『ニュー・ワールド・マップ』などを紹介。

 上野は最後に社会性とブツのリアリティー、海と陸、自然と人工物、満潮と干潮~、彼は絶えず境界線に惹かれていたと記していた。東松は2012年12月、那覇市内の病院で82歳没。次に東松照明が森山大道へ伝えた写真と俳句に焦点を絞ってまとめてみたい。

 なお『写真の読み方』表紙は、NY生まれのポ-ル・ストランド撮影の「仕立て屋の弟子」(1953)。 

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