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電気ヘルプで高所作業車登場! [週末大島暮し]

denkikouji_1.jpg 島ロッジへ着。ほぼ1年振り。まず鍵が開かぬ。556を吹き付けて格闘20分。やっとロッジ内に入ってブレーカーを上げる。電気通じぬ。携帯でヘルプ。藪をかきわけて電気工事高所作業車がやって来た。

 ブーム先端のバケットに乗り込むと位置操作。ブームが幾段階も水平に、垂直に伸び、180度回転もする。その自由変化の操作に思わず見入った。子供ならば、操作の度に歓声をあげたかもしれない。そう言うと「課外授業で子供らに披露することもありますよ」。

 そんな操作をした上で電気修理とは凄い・凄い。小生は虚業、人をだますような惹句書きで生業って来たゆえ、腕に技術の方へのリスペクトは大きい。ただただ羨望です。

「海っぺりだと10年で腐食だが~」「27年です」「よくもったねぇ」で電柱尖端の腐食部分交換、屋根の取り付け部分も直して下さった。「電力会社がいただくのは電気料金だけ。東京には悪徳業者も多いからご注意を~」の忠告。大島赴任前は東京勤務。島は赴任族が多いようです。

 電気が通じると、今度は冷蔵庫の不具合が発覚。冷気を送るファンが回っていないらしく、中段室のみが効いている。もう、うんざり。「そうだ、島暮しはキャンプと思えば、クーラーボックス程度で充分じゃないか」と割り切った。昭和初期冷蔵庫のように中・下段室に氷を入れたら、それでジュースがシャーペット状に冷えた。

 次にプロパンも塩梅悪し。もうカセットボンベでいいかぁと思ったが、動かぬ栓を諦めて別詮にホースを付け替えてOK。灯油給湯器も燃焼せず。すでに基盤交換もし、腐食水漏れも修理済。もうイヤイヤで、五右衛門風呂なら故障知らずだろうと思ったが、プロパン給湯器に替えることにした。

 すっかり萎えてしまった大島初日だが、島の知人が顔を出してくれた。「なんでぇ、最近はブログに挿絵がねぇな。あの下手絵が楽しみだったのに」ってんで、久し振りに下手カットを描いた。絵はいい。描くに具合が悪ければ省略し、実景も描き易いように変えて描く。だが、それまた〝虚〟なり。実生活はままならず、後でとんでもない惨事に襲われることになった。(続く)

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岡田港「船客待合所」全貌現わす [週末大島暮し]

sinokada3_1.jpg 昨年7月、仮称「岡田港船客待合所兼津波避難所施設」を、橘丸デッキから俯瞰で見た想像図を漫画風に描いた。以来、建築進行が気になっていたが、今回の岡田港着で、同建物のほぼ全貌を見ることができた。

「ㇷ~ン、こんな建物だったんだ」。鉄筋コンクリート5階建て。説明に「コロッセオのような建物」。ローマ帝政期の円形闘技場風ってことか。3階までガラス張り。潮でガラス面がきれいに保たれようか。設計は㈱日建設計らしい。

 そこで同社設計ビル群より、小生にも馴染のあるビルの一口メモ。まず六本木1丁目辺りの「泉ガーデンタワー」。建物片隅に永井荷sinokada2_1.jpg風〝偏奇館跡碑〟あり。日本コロムビアが赤坂から移転した当初の社屋が同タワー近くで、行く度に〝荷風・偏奇館〟に思いを馳せたもの。

 次に新宿西口の「モード学園スパイラルタワーズ」。その鳥の巣状のタワービルの異彩は、新宿の至る所から見える。お台場・青海「日本科学未来館」は、3.11大地震の時に天井一部落下で右往左往する人々の恐怖映像が「YouTube」にアップされていたのを見たことがある。共にガラス壁多用です。

 「東京スカイツリー」も同社設計。昔の日本一高層ビルだった浜松町「貿易センタービル」(間もなく建て替え)も同社設sinokada1_1.jpg計で、昔の「ポニーキャニオン」も入居で、若い時分はよく通った。最近では展望台から変貌する竹芝周辺の写真を撮った。

 さて、次に島に行った時は、新「船客待合所」になっているのでしょうか。楽しみの一方、今まで春に島へ行けば、まず岡田港待合所・軒下の渡ってきたばかりのツバメらの営巣する姿にしばし見惚れ「あぁ、大島に来たぁ~」と思う情緒があったも、ツバメらは今後はどこで営巣するのだろうかとちょっと心配になった。

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「マドレーヌ夫人急死」閲覧続く [ブログ&アクセス関連]

madeleine.jpg 〝PCなし〟の大島で、ボケェ~と13日間を過ごした。帰宅して弊ブログを開くと、3年前に記した「藤田嗣治5:高田馬場でマドレーヌ夫人急死」の閲覧上位キープが続いていた(左図は同記事の挿絵)。

 目下開催中の東京都美術館「没後50年藤田嗣治展」の影響だろうが、同展は7月31日からで、その1週間前から閲覧上位(6位以内)が3カ月も続いているのです。

 同シリーズは2015年に、藤田嗣治のお勉強で幾冊もの関連書を読み、私流にブログ7回続きでまとめたもの。終了同時に東京国立近代美術館「藤田展」を観たので、今回の都美術館は完全スルー。

 同シリーズの、小生のちょっとした自慢は同記事ではなく、彼がパリに旅立つ前の新宿・百人町の新婚所帯地の特定。彼が結婚したのは明治43年(1910)。当時の陸軍軍医総監(森鴎外の後任)の父が大久保在住で、近所に息子のアトリエ付き新居を、当時の住所「百人町18」に建てたんです。そこで国会図書館の近代デジタルライブラリーより「東京市及び接続郡部地籍図」(大正元年11月発行)の「大久保村大字百人町字南通」地図を拡大しつつ探せば、なんと、はっきりと〝藤田嗣治〟と記入された地を発見です。

 そして、謎に満ちたマドレーヌ夫人の急死は、当時の新聞記事+多数関連書から、その死の謎を探った記で、表題で検索すると未だにGoogleトップ。美術系サイトに引用されているらしいのです。

 藤田翁は81歳没まで礼拝堂フレスコ画に情熱を注いだそうですが、小生はたった13日の大島暮しで完全腑抜け〝ボケェ~状態〟から、ブログ再開もおぼつかない。なんと、だらしないことよ。かかぁが言った。「まずは13日間も剃らずの髯、鼻毛を何とかしなさいよ。鼻毛が髯に繋がって猿みたいですよぅ」

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伊豆大島「裏砂漠〝騒動〟」 [週末大島暮し]

urasabaku2_1.jpg 図書館の「朝日新聞縮刷版」で<千駄ヶ谷〝連れ込み旅館〟環境浄化運動>を調べていた時に、同時期の昭和32年4月12日東京版の「裏砂漠騒動」記事を見つけた。

 見出しは「大島の新観光道路で対立~町当局と経営者の船会社~/道路にクイ打つ~地元側〝商売上ったり〟と」。リード文は「大島に東海汽船会社が新しく作った観光道路で町当局が怒り、5日には道路にクイを打ち込み。町と汽船会社がにらみ合を続けている」。どんなことなのだろうか。本文は概ね以下の通り。

 新観光道路は、従来コース反対側から火口へ行くもので、大島公園から日航機の遭難した砂漠地帯に観光バスを通した〝テキサス・コース〟。東海汽船は昨年9月から町の承諾を得て工事を始めて、全3.8㎞を3月末に完成。東海汽船は同コース宣伝ポスターを関東一円に配布。同ポスターに「岡田港~テキサス・コース~湯場温泉で休息~岡田港」行程を紹介。これを見て野増地区の乗馬組合、写真屋、土産物店が死活問題だと騒ぎ出し、町議会で町長と助役が辞表提出。白井大島支局のあっせんで辞職撤回も、同道路が町道であるというので、バスを通させないようクイを打ち込み、両者がにらみ合っている、という内容。

 同記事の冒頭文「大島公園から日航機の遭難した砂漠地帯に観光バスを通した〝テキサス・コース〟」で、小生の頭が混乱した。それは、ひょっとすると現在の「月と砂漠ライン」のことではなかろうかと。同ラインは大島一周道路から三原山奥へ入る約3㎞の舗装路で、終点の駐車場から徒歩約400㍍日航機「もく星号遭難」(松本清張では〝追撃〟)地点へ。この道はバスが走れなくもない舗装路。町のサイトには「2006年4月に開通」と記されているも、その舗装路の傷み具合から、同道路が出来たのはずっと以前、つまり騒動の起こった昭和32年当時のものではなかろうかと推測。

 一方「テキサス・コース」は小生未踏でよくわからぬが、大島公園から一周道路を横断して入る〝ハイキングコース〟で、そこは観光バスが走れる道ではなかったように思うのだが。いや、荒れ地をグリグリと走ったのだろうか。真相は如何に~ とちょっと不可解な昭和32年の新聞報道を読んだ、というお話でした。

 こう記せば小生は「テキサス・コース、行者窟、行者海岸トンネル、湯場ホテル廃墟」をはじめ、狭い島ながら知らない地の多いこと。改めて島の奥深さを認識です。

 明日から1週間ほど〝大島暮し〟です。さて、なにをして遊びましょうか、どう過ごしましょうか。ボロロッジのメンテナンスの明け暮れでしょうか。

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衰えまいぞ真夏散歩の四千歩 [散歩日和]

akinosora_1.jpg やっと秋めいた空。ウォーキングに適した季節へもう少し。その為にと今夏は〝熱中症危険〟なれど、少し頑張って歩き続けていました。

 実は昨年夏、脊柱狭窄症による足裏シビレ、加えて俄かに汗かぶれ(アレルギー)で、冷房装置の部屋に籠りっきり。秋になって歩き出せば、えらく辛かった。とりわけ脊柱起立筋下部が辛く、足首や膝が抜けたりでのトホホ状態。

 年寄りが2ヶ月も家に籠っていると、かくも歩けなくなるのか。「クソッ、負けてたまるか」で歩き続けました。ややして尻の筋肉がモリッと動いているのを自覚したりで、次第に足腰の筋肉が復活。秋から冬、そして2月某日、自宅から伊勢丹を過ぎても好調で、千駄ヶ谷に迷い込んでの「千駄ヶ谷物語」を書くことに相成候。

 そんな反省があった故に、今夏は猛暑日も頑張って自宅~新宿伊勢丹往復「暑中散歩」を続行。酷暑が堪え難ければ、冷房の効いたデパート内ウォーキングです。

hosukiroku_1.jpg 例えば自宅から新宿「世界堂」でお気に入りボールペンを買い、「伊勢丹地下」でシューマイ弁当を買って帰宅すれば往復4646歩。そんな或る日、汗だくで同年輩友人店に立ち寄れば「なんでぇ、たった4千歩か。俺は毎朝、孫の保育園送迎だけで5千歩ゆえ、1日1万歩だぜぃ」と抜かした。

 高齢者の理想的歩数はどれほどか。厚生労働省(2016年調べ)で男性70歳以上は1日平均4274歩で、理想は6700歩とか。写真は「高齢性の脊柱狭窄症、高血圧、痛風、汗かぶれ~患者」なる小生の、スマホ歩数計アプリ8月灼熱の日々4千歩の記録。ウォーキング外の日常生活も含めれば理想歩数でしょうか。

 もう少し秋めいてきたら、また千駄ヶ谷辺りまで歩き回れそうです。そう記したところで、島通いの友人から電話。「そんな体力があるのならば、島に行こうよ。ロッジが腐っちまうぞ」。

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細く長く生きる養生の術(14) [貝原益軒「養生訓」]

hitoinoti_1.jpg人の命は我にあり。天にあらずと老子いへり。人の命は、もとより天にうけて生れ付たれども、養生よくすれば長し、養生せざれば短かし。然れば長命ならんも、短命ならむも、我心のまゝなり。身つよく長命に生れ付たる人も、養生の術なければ早世す。虚弱にて短命なるべきと見ゆる人も、保養よくすれば命長し。是皆、人のしわざなれば、天にあらずといへり。もしすぐれて天年みじかく生れ付きたる事、顔子などの如くなる人にあらずむ(ん)ば、わが養のちからによりて、長生しる理也。たとへば、火をうずみて炉中に養へば久しくきえず。風吹く所にあらはしおけば、たちまちきゆ。蜜橘をあらはにおけば、としの内をもたもたず。もしふかくかくし、よく養えへば夏までたもつがごとし。

<私注> 「顔子〈がんし)は顔回、顔淵、子淵のこと。孔門十哲の一人で随一の秀才だが、孔子に先立って没」。「あらずんば=あらずば=~でなければ」。「うずみて=埋む」。「蜜橘(みかん)は中国語=蜜柑。くずし字は蜜、橘、爐(炉)、虚を初めて書いた。「け=遣、希、氣」だが原本は「希」。「遣」のくずし字と微妙に違う。

<爺婆談義> 爺:「火を埋づみて炉中に養えば久しく消えず。gansi.jpg_1.jpg風吹く所に表わし置けば、たちまち消ゆ」。母が江戸千家のお師匠さんで、生家の八畳間に炉が切ってあり、稽古日には炭が入っていた。祖母も煮物は火鉢でしていた。大島ロッジで薪ストーブの熾火を愉しむ生活もあるゆえに、上記〝炉中〟の例えは実感できる。だが、それら体験がない息子らには、理解できぬ〝例え〟になっているような気がする。かく云う小生も、蜜柑の保存体験はない。婆:養生の術って、細く長く生きる術のようですね。

 カットは北斎漫画にあった「顔子」の図。北斎も寺子屋で『論語』素読をしたのだろう。荷風、漱石までは小学生時代に漢文を習っていたが、漢文素読は何時から行われなくなったのだろうか。隠居で閑ゆえ、これから勉強しましょうか。

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養生に無頓着が老後のツケになる(13) [貝原益軒「養生訓」]

oyosonohito_1.jpg凡の人、生れ付たる天年は、おほくは長し。天年をみじかく生れ付たる人はまれなり。生れ付て元気さかんにして、身つよき人も、養生の術をしらず。朝夕元気をそこなひ、日夜精力をへらせば、生れ付たる其年をたもたずして、早世する人世に多し。又、天性は甚虚弱にして、多病なれど、多病なる故に、つゝしみおそれて保養すれば、かへつて長生する人、是又、世にあり。此二ッは、世間眼前に多く見る所なれば、うたがふべからず。慾を恣にして、身をうしなふは、たとへば刀を以て自害するに同じ。早きとおそきとのかはりはあれど、身を害する事は同じ。

<私注>★今回筆写は、読み易いように句読点をつけてみた。貝原夫妻は共に「蒲柳の質」。外で元気に遊ぶ子ではなかった。そんな益軒さんは、幼な妻の健康を気遣ってきた。「多病なる故、慎み恐れて保養すれば」で、晩年は夫妻で福岡~京都(片道1日8時間30㎞として約22日間)への旅も楽しむ健康を得た。

<爺懺悔> 小生は若い時分から無理をしてきた。高2から社会人山岳会でシゴかれた。丹沢の河原で体重半分ほどの石をザックに詰めての「ボッカ訓練」。眠ずに歩き続ける「カモシカ山行」。厳冬期「南アルプス縦走」。草鞋を履きザイルワークの「沢登り」。富士山「滑落停止訓練」等々。背骨にザックダコができ、大人になっても消えなかった。加えて猫背の居職。四十路からギックリ腰。ヘビースモーカー。毎夜呑み歩く生活。老いて、それらのツケだろう高血圧、痛風2度、さらに「脊柱狭窄症」。「慾を恣にするは自刃と同じ」はキツイ言葉です。皆様、ご自愛下さい。

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ムクムクを食べてみようか傘の茸 [花と昆虫]

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 21号台風の間、我家の極小ベランダに椿事発生。ムクッと黄色いキノコが突然増殖。コガネキヌカラカサダケ(黄金絹唐傘茸)。腐葉土の混入菌から発生とか。ホームセンター流通の腐葉土ゆえだろう、各地で「あらまぁ!」と同キノコの突然出現に驚くブログ記事多数。写真左から3時間程でムクッと伸びて、笠を張り出した。

 絹唐?が剥けて、笠が姿を現わす。ブログ巡りをすれば「食べてみたい」と思った幾人かの方が試食されていた。「旨い!」そうだが、誰もが「安全の責任は持たない」と記していた。カテゴリー「花と昆虫」は、この極小ベランダで展開される小さなドラマのさまざま。また新たな驚きで愉しませてくれた。

 ベランダで(から)撮る写真は、マクロレンズで「花と昆虫」、望遠で「野鳥」。先日は恐怖の大稲妻を撮ろうとベランダに出て、高速シャッターで試みたが撮れなかった。調べたら稲妻は逆にスローシャッターで撮るらしい。いつか撮ってみたい。

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テレビ棄て心は常に和楽かな(12) [貝原益軒「養生訓」]

yojo7_1.jpgもし久しく安坐し、又、食後に穏坐しひりいね、食気いまだ消化せざるに、早くふしねぶれば、滞りて病を生じ、久しきをつめば、元気発せずしてよはくなる。常に元気をへらす事をおしみて、言語をすくなくし、七情をよきほどにし、七情の内にて取わき、いかり、かなしみ、うれひ、思ひをすくなくすべし。慾をおさえ、心を平にし、気を和(やわらか)にし、あらくせず、しづかにして、さはがしからず。心はつねに和楽なるべし。憂ひ苦むべからず。是皆、内慾をこらえて元気を養なふ道也。又、風寒暑湿の外邪をふせぎて、やぶられず。此内外の数(あまた)の慎は、養生の大なる条目なり。是をよく慎しみ守るべし。

<私注> 「ひりいね=昼寝ね」。「ふしねぶれば=臥し眠れな・睡れば」。「和楽=互いに打つ解けて楽しむこと」。

<爺婆談義> 爺:隠居後の、我が家の夕食は6時頃。以後は机に向かわず、居間でテレビなど観ながら寛いで10時頃に就寝準備。それはいいが「心は常に和楽なるべし」が難しい。婆:おまいさんはテレビに我が国の総理の顔が映ると、それを蛇蝎の如く嫌って即チャンネル替え。あぁ「心和楽でなくなっているな」とわかります。爺:核兵器禁止条約不参加、原発推進、海洋プラスティック憲章不参加、日米地位協定手付かず。シラッと平気で嘘もつく。何かを悪だくんでいるのか、バカなのか。婆:おや、誰も観ていないブログだと思ってズバズバと言いますねぇ。爺:官僚もクズ化。セクハラに忖度人生。自ら障害者雇用水増し。公明党も理念失った追従政党。婆:政治に無関心、背を向ければ、心は乱れませんよぅ。爺:昔の若者は体制に向かって威勢良かったが、今の若者の軟弱なことよ。婆:爺さんは、ワイドショーを観てもイライラなんだから。爺:目下はスポーツ面で権力握った奴らの姑息続々 婆:加えて芸人(特にお笑い系)嫌いだし。爺:泣いたり怒鳴ったりの役者演技も虫唾が走る。婆:やっぱり、テレビ捨てましょ。益軒さんはテレビなんか観ていなかったんですよぅ。せいぜい「瓦版・落首・書簡」ぐらい。荷風さんだって「新聞・ラジオ」の時代ですが、それでも政治に背を向けたじゃありませんか。爺:そうか、テレビなし=心は常に和楽の道か。

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内慾少なくも外邪が乱れて(11) [貝原益軒「養生訓」]

yojo6_1.jpgyojo5_1.jpg養生の術は、先わが身をそこなふ物を去べし。身をそこなふ物は、内慾と外邪となり。内慾とは飲食の慾、好色の慾、睡(ねぶり)の慾、言語をほしいまゝにするの慾と、喜怒憂思悲恐驚の七情の欲を云。外邪とは天の四気なり。風寒暑湿を云。内慾をこらゑてすくなくし、外邪をおそれてふせぎ、是を以元気をそこなはず。病なくして天年を永くたもつべし。

凡養生の道は、内慾をこらゆるを以本とす。本をつとむれば、元気つよくして、外邪おかさず。内慾をつつしまずして、元気よはければ、外邪にやぶられやすくして、大病となり。天命をたもたず、内慾をこらゆるに、其大なる条目は、飲食をよきほどにして過さず。脾胃をやぶり病を発する物をくらはず。色欲をつゝしみて、精気をおしみ、時ならずして臥さず。久しく睡る事をいましめ、久しく安坐せず、時々身をうごかして、気をめぐらすべし。ことに食後は、必ず数百歩、歩行すべし。

<私注>「言語をほしいままにする慾」は〝おしゃべり〟と解釈した。「こらゆる=堪ふる」。「脾胃」の〝脾〟は西洋医学の脾臓ではなく、「脾胃=消化吸収機能全般」。

sekiranun826_1.jpg<爺婆談義> 爺:我ら老人になると「内慾」の「飲食の慾・好色の慾」からは解脱だな。婆:「睡の慾」もない。年寄りは早起きです。わたしらは長電話もおしゃべりも端から嫌いゆえ「言語をほしいまゝにするの慾」もなし。爺:だが喜怒憂思悲恐驚はあるな。政治が民意とかけ離れてイラ立つことばかり。婆:この辺の生活環境・治安も芳しくありません。変な人も増えた。外邪はどうだ。爺:台風多発(スーパー台風を含む)、酷暑(命の危険に及ぶ)、豪雨(土石流)、竜巻~。地球が壊れ始めているかの災害多発。子供時分にあった四季の風情を楽しむ余裕もなく、夏冬二季化傾向。婆:8月末になっても35度の猛暑日続き。先日は夕餉に外出すれば不気味な「金床雲」なる積乱雲。その翌日の稲妻・落雷・豪雨の凄かったこと。爺:外邪厳しくサバイバルです。

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