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波の法則? [スケッチ・美術系]

ohnami1_1.jpg 波の習作4作目は、不透明水彩風になって失敗。今回は絵よりも「波のお勉強」。気象庁HPに~「風浪」「うねり」は混在しており、それらをまとめて「波浪」と呼ぶ~とあり、それも踏まえての俄か勉強。

 波の発生は、海流や月の引力(高潮)の影響もあるが主に風に起因。風で海面に〝さざ波〟が発生する。風が強いと尖った部分が風で白く跳ぶ。小生はそれを「兎が跳ぶ」と言う。ヨットに乗っていた若い時に知った言葉だろう。

 兎がたくさん跳ぶと、天気予報は概ね波高3m以上。竹芝~大島航路欠航も危ぶまれる。それが激しくなると「波浪注意報」へ。そんな海には「うねり」も発生する。大きな「うねり」に船はピッチング(縦揺れ)、ローリング(横揺れ)で船客は船酔いする。この「うねり」発生は、さざ波~白波~風浪。そして風が止むと波長の短い波は減衰し、波長の長い波が残って「うねり」になるらしい。

 よって「うねり」の主な基も風(台風)になる。「土用波」も南方で発生の台風波が、うねりになって海岸に到達する波のこと。波は沖から岸に迫るに従ってグンと高くなる。サーフイン写真を見ると、チューブのすぐ横の「静かな?うねり」に、関係者や写真家らが乗ったボートが群がっている。チューブが海底形状によって起る現象とわかる。

 磯に砕ける大波があるも、沖はベタ凪のように見える時もある。これは波長が数百mと長いためだろう。先月の大島で大波を撮っていた時に、さらなる大波が襲ってくるのは幾波目かを数えてみた。一定のリズムがありそうだが、どうやら決まっていないようだった。これを波長で分類すると「風浪=波長数m」「うねり=数百m=土用波、台風」「津浪=数㎞~数百㎞」らしいが、俄か勉強ではよくわからない。

 若い時分に葉山の堤防で釣りをしていた時のこと。穏やかな海で長閑な釣りだったが、突然に大波が襲ってきて堤防に置いていた釣り道具一式が波に浚われたことがあった。これは怖い。〝一発大波〟というらしい。

 隠居になるってぇと〝初お勉強〟が増える。それまでは仕事がらみで、初めて自分の関心・疑問・趣味になるからだろう。「貝」も「波」も今回が初勉強で、隠居も結構忙しい。昨日は神田古本市で遊んだが、自然科学系の本は僅少。また余計な本を買い込んでしまった。

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大島へ貝寄風やミニ図鑑 [週末大島暮し]

kaidukan_1.jpg 伊豆大島の磯で何気に拾った貝を撮り、パソコン内に放置していた。そのうちに図書館の『海辺で拾える貝』やネット調べから、次第に貝名(科)がわかり始めた。知らない事がわかるのは、とても嬉しい。

 そこで「Windouwsペイントの文字挿入」で簡単図鑑を作った。そんな戯れに、婆さんが「子供みたい」と笑うが、海辺育ちではない小生には、この歳で初の〝貝調べ〟。間違いもあろうが、記してみる。

 左上が「チリボタン(散牡丹貝/ウミギク科)二枚貝の片殻。本来は牡丹の花びらのような放射肋と呼ばれる突起があるも、磨耗してなくなっている。併せて磨耗によって赤や赤橙色が現れている。日本貝類学会の機関誌が『ちりぼたん』とか。

 その下の白縁で中央紫は「タカラガイ科」。この科は他種ゆえ「タカラガイ科」とだけ記しておく。種によっては、殻の背面の摩耗が進むと、紫色の色質が現れるとある。拾ったのは、その代表種だろうか。その右側に濃い紫色の貝、白い腹面のタカラガイも写っている。これで貝殻は波で磨耗すると表面層の下の色が出てくることを知った。

 何故に貝を拾ったかは、左下のサザエの青色(ホリゾンブルー)が眼を惹いたからなんです。サザエの子で、青い苔でも付いているのかと思っていたが、正体はどうやら「チョウセンサザエ/緑サザエ/インナーシルバー」らしい。小型サザエの仲間で、口の中が銀色に輝く天然色の美しい巻貝。1~2.5㎝。エッ、外側も磨けば銀色に輝くとか。「チョウセン」は朝鮮ではなくエキゾチックの意らしい。

 検索したら「楽天」がヒットで1個300円などの値で販売されていた。数週間前に検索したんだが、このブログ左枠に未だ緑サザエの広告が張り付く。まぁ、しつっこい事よ。磯で懸命に「貝拾い」をすれば、この緑サザエは10分で100個は簡単に集められそう。次に島へ行ったらバケツ一杯拾って、隠居の小遣い稼ぎをしましょうかね。

 次は中央の小さな円錐形の歯車状の突起の巻貝が二つ。「ニシキウズガイ科・ウズイチモンジ」らしい。これまた楽天で3個850円。「ほんとかいなぁ~」。島では拾い放題です。

 右端上の貝は「サヤガタイモ(イモガイ科)」だろう。先が低い円錐形で、肩の部分に結節がある。下の大きな貝二つは「アッキガイ科」でしょうか。よくわからない。

 ここまで記して気付いた。「そう、確か大島に〝貝の博物館=ぱれ・らめーる〟があったはず」。同館HPを見れば、前述チョウセンサザエは南鳥島の特産あるいは特徴的な珍貝と記されていた。「ぱれ・らめーる」は現在大島町勤労福祉会館内にあって入場料大人400円。島通い27年にして、初めて行ってみたいと思いました。

 春の季語に「貝寄風」がある。貝を浜辺に吹き寄せる西風。今は秋だが「大島へ貝寄風やミニ図鑑」。

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波習作3:大波の三様相 [スケッチ・美術系]

areruumi_1.jpg 波の習作3作目は、ちょっと面白い写真を選んだ。ワンショットに、波の表情が3等分されていた。右側は波がムクッと盛り上がった感じ。真ん中は波の表面がザワザワと泡立って、左側は波頭が砕けて真っ白になっていた。

 これは波の主な3大表情かも知れない。白く泡立った模様の感じがなかなか描けない。この泡模様が出来るには、何らかの法則も働いているのだろうが、そんな事を説明する本などはないだろう。

 婆さんが、この絵を見て笑った。「まだ初心者の域を出ないね。波ってぇのは海がグワッと盛り上がるのよ。その躍動感、神秘感、ダイナミズムがまったく描けていない」

 「ダイナミズム=内に秘めたエネルギー、力強さ、迫力」。そこまで言われて、自分でも一体なにを描いていたんだろうと猛反省しきり。やはり、ここは先生が必要か。ネットで海を描く達人を探してみた。

 ウィンズロー・ホーマー。アメリカを代表する画家。英国の北海に面する漁村カラーコーツに滞在して海を描いた。後にフロリダ、キューバ旅行。明るい海の絵を描くようになった。油絵も描いたが、アメリカ水彩画の伝統を確立したそうな。「おぉ、その絵を見てみたい」。だが新宿や渋谷の図書館になし。「Winslow  Homere」で検索すると洋書で5千円程。都中央図書館(閲覧のみ)にあった。さて~。

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海習作2:岩に打ち砕け高く舞ふ波 [スケッチ・美術系]

ohnami5_1.jpg 大島編で「2連の大波」を描いたので、海の習作2回目です。今回は、岩磯に激しく打ち砕け、高く舞い上る大波に挑戦。

 前作は修正を重ねて厚塗りになったが、今回は楽しく筆致も少なく描けた。だが今回も不透明水彩〝白〟で波の描写を助けてもらった。

 透明水彩画は、白地(塗り残し)で波を表現するのが基本だろうが、それが出来るようになるには、まだまだ修業が足りない。

 飛び散る波は、雲と同じく〝陰影〟をつけるとボリューム感、立体感が出るのを知った。最後に筆に白をたっぷりと含ませて、筆先を指先でピンピンと弾いて飛沫を散らす小細工もした。

 反省は、海も空も陸も曇天でもっと暗く濃い色だったが、そう彩色する勇気、大胆さがなかったことで、波の白さが際立たなかったこと。描かなければ反省もなし。次の反省をすべく、海を描く練習3回目へ。いつかは海、波を描くことが楽しくなりますように~。(追記:この絵の場合は、先に白クレオンで飛び散る波を描いておけば、その後の彩色で波部分が弾かれる。)

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大島と新宿(人と唐辛子) [週末大島暮し]

nagisa_1.jpg<大島シリーズ後日談> 大島からの帰京が10月25日で、10月1日の新聞に「渚ようこ」さん心不全で逝去の報があった。翌日、いつもの自宅~伊勢丹の往復ウォーキング途中で、ゴールデン街の「汀」の前で頭を下げた。渚さんは大島でもお馴染みの佐々木美智子さん(おミッちゃん)のゴールデン街の若き友人で、昭和歌謡を唄う「汀」のママだった。

 小生は某演歌歌手のスポーツ紙連載のゴーストライターをしていた時の、同紙の文化部長が大島出身で、昭和50年頃のS町長の息子さんだった。それでゴールデン街のおミッちゃんの店に連れて行けば、なんと、おミッちゃんは文化部長さんチの店子だった時期もあって、二人は大盛り上がりになった。

 おミッちゃん、スポーツ紙の文化部長が来たってんで、「汀」の渚ようこさんを呼んで来た。その後、渚さんはテイチク「匠レーベル?」からCDリリ―ス。「汀」にオリコンの演歌担当者を連れて行けば、テイチク宣伝部の女性スタッフもお店に来ていたりもした。小生はもう隠居で、かつ新宿で呑み歩くこともないが、そんな事もあって「汀」前で頭を下げた次第。

 また過日の千駄ヶ谷散歩で、新宿御苑・千駄ヶ谷門近くに、大島の裏砂漠などの写真展示があって、覗き込めばそこは故・若松孝二監督の事務所で、それは『海燕ホテル・ブルー』のロケ写真だった。若松監督、おミッちゃん、渚ようこさんに交流があったと知った。

tougarasi.jpg.jpg 大島と新宿の関係では、百人町在住だった「吉阪隆正と大島」の関係を記したが、新宿はいま江戸野菜「内藤とうがらし」が復活中。小生もベランダで「内藤とうがらし」と大島の「アオト」を交互に育成中。その「内藤とうがらし」が、地域の名物を商品登録する特許庁「地域団体商標」登録決定で、さらにはフランスの唐辛子村と提携話が進むなどグローバルに展開中と10月8日の新聞が報じていた。「単なる江戸野菜ではなく、地域文化と捉えればグローバル展開へ広がる」旨が記されていた。

 大島では各戸が庭に自家用アオトを植えるほど普及していて「アオト商品(土産)」もある。「内藤とうがらし」のように大きな展開が出来ないのは何故だろうかとも考えてしまった。ちなみに今回の大島土産の中にしっかり「アオト6袋」確保です。写真はベランダで収穫の「内藤とうがらし」。 

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隠居して小屋も身体も老い次第 [週末大島暮し]

heyanai_1.jpg 春や秋の大島暮しは、ベランダの自作長ベンチに寝転びつつの読書が好きだった。眼で活字、耳でウグイスらの囀りを愉しむ至福の時~。

 だが今回は天候不順。ベランダに出る気もなく部屋ン中の生活。何をしているかと言えば「東京での隠居生活」と同じように暮らしていた。テレビを少し観て、読書し、島に来る前まで続けていた貝原益軒『養生訓』筆写でくずし字お勉強の再開です。

 「身越(を)堂(た)もち、生越(を)養ふ耳(に)、一字能(の)至れ留(る)要訣あり。是を行へ者(ば)、生命越(を)長くた毛(も)ち天(て)病那(な)し~」

 5年前に「新宿歴史博物館」での「古文書講座」受講を経て独自の勉強へ。大好きだった山東京伝や大田南畝らの江戸原本を読み筆写。挿絵を模写したら、絵も描きたくなって3年前に新宿御苑で初スケッチ。

simaben1_1.jpg 江戸原本の読書と筆写、そしてスケッチ共に、当初は戸惑い四苦八苦。飽きっぽい質だがよく続いて、それらが生活の一部に定着している。大島暮しも27年で、今回は完全隠居で初の長期13日滞在。そんな隠居暮しが、そのまま大島暮しへ移行。「週末大島暮し」から「大島〝生活〟」へ移行~。

 だが人生ままならぬ。そんな時期をようやく迎えれば、小屋も身体もボロボロ。防風林がなくなって海一望も、冬の西風がロッジを揺らす。昨今の夏の酷暑も堪え難く、定住へ至らず。やがてロッジも我が身も終焉が自明。

 13日滞在で、東京の生活がそのまま大島の生活へ。ウォーキングは新宿雑踏から海沿いの道。内風呂から露天温泉へ。これは素晴らしいも、庭の手入れや小屋メンテナンスに身体が辛くなった。やがては後期高齢者の車運転。我が書棚代わりに利用の新宿図書館(区内7館)と離れるも淋しい。

 それでも13日滞在で〝生活〟すれば、「大島暮しに幕を下ろす(友人に託す)」前に、今度は春と秋に「各一ヶ月間の生活(ミニ定住)」の真似事もしてみようかと思っている。

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巨大蜘蛛比せば女郎もいと可愛ひ [週末大島暮し]

kumo2_1.jpgkumo3_1.jpg 秋の大島暮しは十月が多く、ロッジへ入るには「ジョロウグモ」の巣を払いつつが常だった。今回は九月十三日に大島入り。拍子抜けするほどクモの糸が少なかった。こんな事から「大島のジョロウグモが巣を張るのは十月頃~」と知る。

 ついでに「ジョロウグモの一生」もお勉強。クモの卵は卵のう(カマキリの卵みたいなもの)で冬を越し、春に数百匹の子グモが孵化。雄は七回、雌は八回ほど脱皮して成体に。成熟期は九~十月。雄は雌に比し極小。雌の脱皮直後か食餌中を狙って交尾。そうでもしないと雌に食われてしまう。凄い営みです。雌は産卵後間もなくして死ぬ。その命七か月ほど。

 「ジョロウグモ=女郎蜘蛛、絡新婦、上臈蜘蛛」だが、雄を食うイメージから「女郎蜘蛛」が相応しい。十三日の大島入りで二十五日に島を去る頃になると、次第にクモの糸が増えてきた。そこで彼女の表と裏を撮った。餌食になったのはウマオイの雄(スィーチョンと鳴く)だろう。

 日本生息のクモ約千二百種とか。ジョロウグモは概ね屋外で、ロッジ内にはアシダカグモもいる。ロッジを去る際の戸締り中に、戸袋から「タランチュラ似の大グモ」が出てきてギョッとした。

 ネット調べで「日本にタランチュラはいない」と断言されていた。では「クロガケジグモ(黒崖地蜘蛛)」だろうか。ヤツを観たのは二度目。何年生きているのだろう。とにかくデカイ、毛深い、素早しっこい。写真に収める間もない。大島滞在13日の最後記事が「島での未知なる遭遇=巨大グモ」でいい気分ではないが、そろそろ〆たい。

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どう描く寄せる大波に迷ふ筆 [週末大島暮し]

nami4_1.jpg 過ぎ去った「島暮らし」記事ですから、小生ブログでは異例の連日アップ中。絵と写真の交互掲載で、今回はどんな絵を描きましょうか。

 「波が描けぬままでいいのか」と戒めの声あり。パソコンには、岩に激しく打ち当って高く舞い上がる波、波頭が砕ける様々な写真が収められています。

 そんな中から一枚を選んでみる。まずは、よぉ~く観察して、ペンで陰の部分から描き込む。あとはサッと淡彩仕上げ。その積りでしたが、思惑通りには行かぬ。「こりゃ~ダメだ」と画材を変えての修正が重なり、厚塗りになってしまった。

 でも焦る必要なし。テレビの美術番組を観ているってぇと、画家らは一作品に相当の日数を費やしている。人も来ぬ山荘に籠って、ン十年もかけて一作品の厚塗り・厚塗りを繰り返してした老画家が紹介されていたこともあった。画家に較べたら、小生の絵は〝瞬間芸〟です。

 絵描きでもないから、タブローを描くわけでもない。単なるブログ挿絵ゆえ、深刻に反省するまでもない。駄作を続けながらも、いつかはサッと〝素敵風に誤魔化して海・波のスケッチ〟が出来ればそれでいい。それには波の形がどう形成されて、どんな感じで砕け、引き波とぶつかっているかを知らなくてはいけません。

 せっかくの「大島暮し」です。ロッジ・メンテナンスに併せて、海・波を知る、描けるようになるのも楽しいひとつのテーマだと思い始めています。次の島暮しでお天気が良ければ(あぁ、それでは大波は来ないか)、何時間も磯に座って、波の観察スケッチをしてみたく思っています。

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ハマユウの歪な球の怪しけり [週末大島暮し]

hamayunomi_1.jpg 「島暮し」は車生活です。ドア・ツー・ドアで足が萎えるゆえ、多少のウォーキングもします。「ロッジ~野田浜」「ロッジ~万立」往復共に弱4千歩(新宿の自宅~伊勢丹の往復とほぼ同じ)。若い時分は「浜の湯」まで歩きましたが、もう無理です。

 そんな散歩途中で変なモノを撮りました。数日前に「島は知らないことばかり」と記しましたが、またまた未知との遭遇です。知っている人は知っているのでしょうが、ゴルフボールよりやや小さな歪んだ白球群。最初は何かの卵かしらと思った。だがヒビ割れている。では獣の糞か。いや、こんなに白い糞はなかろう~。

 諦めなければ、何とか目星がつくもんです。どうやら「ハマユウ(浜木綿)の実」らしいと気付きました。そう思えば、この辺にハマユウが咲いていたような。花が咲き、子房が鈴なりに大きく膨らんで、歪んだ球群が重みで着地。

 その過程を知っていれば別ですが、都会暮らしから、いきなりこの図を眼にすればギョッとします。来春、同場所にハマユウが生えていれば正解だが、発芽から花が咲くまで4、5年とか。それまで島通いが出来ますでしょうか。

turigane_1.jpg そして、あちこちで薄紫の下向きの花も多かった。それは多分「ツリガネニンジン(釣鐘人参)」。この種は釣鐘草、蛍袋、風鈴草~と似た種が多いも、花期、花茎の形や高さから、そう判断しました。桔梗科ツルガネニンジン属。白く太い根が人参に似ているそうだが、掘ってまでして確かめようとも思いません。

 繰り返しますが「島はわからないこと(植物、動物、昆虫、鉱物など)が多く」かつ「生活面でも初体験多し」です。目下、終活で自室の本、CDなどを処分中ですが野草、昆虫、鉱物、貝などの図鑑が欲しくなってきました。神田古本市は10月26日から~。

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削げた尻湯烟に見ての吾然り [週末大島暮し]

sogetaketu_1.jpg 我ら老夫婦の島暮しは〝湯治〟でもあります。「浜の湯」に浸かった後で、婆さんが言う。「お爺さんや、なんだか背中の具合が良くなったようですよぅ」「おぉ、俺の腰の塩梅も良くなった気がするなぁ」

 今回は雨天多く、水着で入る露天風呂「浜の湯」ではなく、「御神火温泉」にも三度入りました。男女別で裸で入る。まぁ、銭湯みたいなものだな。

 子供時分は「千代の湯」と「稲荷湯」だったが、親父が庭の片隅に自作の内風呂を建ててからは銭湯通いが終わった。実家を出て20代頃からはマンション暮し転々で、他人の裸を眼にすることも稀になった。

 「御神火温泉」で、爺さんらのケツをたくさん見た。脂肪と筋肉が削げ落ちて、ペッタンコになったケツ。歳は如実にケツに現れる。「あぁ、己のケツもあぁなんだ」と思った。

 先日、女子バレーをテレビ観戦した。外国選手の見事に張った尻。いま、女性らに美尻・ヒップアップの筋トレが流行っているとか。ならば男性老人アスリートのケツも、若者と同じく盛り上がっているのだろうか。

 そうだとしても、この歳ではジムに通う気もなく、せめて多少の食事制限とウォーキングぐらい。「御神火温泉」の体重計に乗れば70㎏ジャスト。せめて、そこを越えてはならぬと固く心に誓いました。カットは老人の削げ落ちたケツと、美しく張った若い女性のケツの比較図。プッリプリの実にいいお尻が描けたと自画自賛。

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南海トラフ地震に備えて避難訓練を [週末大島暮し]

moeruizu2_1.jpg 島滞在13日中、晴れた日が二日ほど。富士山が見えたのも一瞬だった。伊豆半島に沈む夕陽も楽しめなかった。サンセットパームラインを車で走っていたら、婆さんが言った。

 「おまいさん、伊豆半島の至る所から噴煙が上がっているよぅ」。昨今の天変地異から、そう思ってもおかしくない〝雲行き〟。そう云えば小松左京『日本沈没』は、三原山噴火から天城山も噴火して大島が沈没。やがて日本沈没へ。これはフィクションだがら良いが、「南海トラフト巨大地震」の発生確率30年以内に70~80%と発表されたのは、とても辛い。

 伊豆大島の「防災の手引き」によるとマグニチュード9クラスの駿河湾から紀伊半島沖にかけて津波が発生した場合、伊豆大島の津波の高さは15~16mらしい。

kainatu1_1.jpg 我がロッジ前、ケイカイ磯際の道路に「海抜5m」表示がある。万立にも昔の津波注意看板があって、これは北斎の「神奈川沖波裏」の絵付きで、肝心の海抜表示なし。標高を調べる術もなく、危機感もない時分の設置だったのだろうか。

 今はちなみに「地理院・標高がわかるWeb地図」があって、瞬時に特定地の標高がわかる。ロッジは16.8㍍と表示されたが、本当のところはどうなのだろう。

 大島町・避難マップ「北の山と岡田新開編〝高台に逃げんべぇよ〟」も見て判断するに「モウ沢」は崩壊危険もあろうから、怖いが一度海岸道路へ出て飛行場方向へ逃げるのが良さそうだ。今度、島に行った時に婆さんと避難訓練をしておこう。それには老いた身体に俊敏性が求められのだが~。

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波を見つめる親子サーファー [週末大島暮し]

izumihama1_1.jpg 台風の影響だろうか、島滞在中は各所で大波に乗るサーファーの姿があった。

 7年前のこと。筆島で大波を望遠レンズで撮り、パソコンで画像拡大すれば、室町末期の画家・雪村周継が描き始めたという「雪村浪=波頭が崩れる形」がハッキリと映っていた。昔の画家の観察眼って凄い、と思った。

 4年前、特別の考えもなく北斎「神奈川沖裏浪」を墨で模写した。今にして思えば、それが契機で〝絵を描いてみようか〟になったような気もする。

 3年前、下町で開催の「小松崎茂」展を見た。彼の絵を模写したが、軍艦より海の描写が気に入った。いつかは海や波を描いてみたいと思った。

 そんな想いがあったのだろう、大波に幾枚ものシャッターを切った。その翌日のこと。海にはまだ大波が残っていて、若者らに喝采を浴びつつ見事に大波に乗った昨日の老サーファーが親・子・孫連れ?で波を見つめていた。その後ろ姿が素敵で、思わずカメラを向けた。女の子が気づいてニコッと笑った。

 ハワイやグアムへ行った時の記憶によれば、海・波・夕陽を見つめる人々の光景を多く見たように思うが、大島でそんな光景は余りお目にかからない。

 撮った写真を参考に、波を見つめる彼らの絵を描いてみた。うぇ~、難しい。線画に透明水彩、それでも描けずにガッシュも加えた。この塩梅では海や波を描くには、まだまだ修行が足りない。

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ジオパークタモリに訊くかパホイホイ [週末大島暮し]

yougan_1.jpg 野田浜で何気なく撮った溶岩写真だが、見ている内に興味を持った。この溶岩は何だろうと。テレビで地質博識発揮のタモリならば即座に説明できようが、小生は地質・火山に無知。ちょっと勉強してみた。

 まずは地図の確認。何度かスケッチした「乳が崎」の南下が「野田浜」で黒い砂浜。その南の岩場が「荷積場」。小船がすっぽり入る入江(溝)があって、その対岸が「ゲンバク」。その南がダイバーらがエントリーする小さな浜。その南の岩場が「タカトッポ」で、南の「焼き場」へ続く。焼き場の中に不思議な池があり、その南端に小さな河口(川?)がある。

 パームライン添いの小橋に忍び寄り、望遠レンズを向けると野鳥が水を飲んでいたりする。ずいぶん前にイタチも撮ったことがある。そこから磯伝いにずっと南へ行くと、また小さな砂浜があって、我がロッジ前「ケイカイ」の磯に至る。★以上の磯場写真は、リンク「つくって、つかって、つないで」に詳しい。

nodahamatizu_1.jpg ケイカイはダイビング・ポイントのひとつ。「ケイカイ=境界」と知ったのはずっと後のこと。そして今回「旧六ヶ村誌(岡田村誌)」をひもとけば「モウ沢を以て元村と境す」の文言に出会った。「ケイカイへ注ぐ沢=モウ沢」と初めて知った。その沢はロッジ辺りで深い谷になっている。眼前の沢の名を、27年目にして初めて知るとは。チコちゃんに「ボ-ッと生きてんじゃねぇよ」と怒鳴られそう。

 「荷積場・ゲンバク・タカトップ・焼き場、そしてモウ沢」。曰くあり気な名ばかりだが、それら由来はわからない。さて本題のこの溶岩です。

 大島は火山島。島中央に三原山。だが、それ一つの火山ではなく、古い三つの火山「岡田火山」「行者の窟火山」「筆島火山」も含んで島が形成されているとか。野田浜辺りの磯場は、数千年前の「岡田火山」残骸で、波に洗われて露出して磨耗。大島は古い火山も新しい火山も、概ね玄武岩質のマグマ噴火。玄武岩は黒っぽく、安山岩は白っぽい流紋岩と玄武岩の中間らしい。すると、この写真の溶岩は「安山岩のパホイホイ溶岩」か。足で踏んで痛いのが「アア溶岩」で、滑らか系が「パホイホイ溶岩」。

 にわか溶岩関心では、確かなことが何もわからないも、昨今の大島は「ジオパーク」一辺倒の観光施策。その関係者に訊ねれば、簡単に説明していただけそうだが、まずは疑問を抱いだこの熔岩から~。島は知らないことばかりです。

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吉阪隆正の再考 [週末大島暮し]

 昨日の絵の説明です。

★旧波浮小学校:「伊豆大島ナビ」で紹介の漁業協同組合加工部の岡村京子さんのコメント+「大島町史」+「小生解釈」文で改めて説明してみます。~美濃部都知事時代の40年代に島しょ格差是正で、老朽化校舎が次々に鉄筋化。旧波浮小の鉄筋化は昭和41年。前年の元町大火に復興計画書を提出したル・コルビュジエに師事の吉崎隆正と若い建築集団が、島南部まで関与して同鉄筋化に関わった。全体的に船舶をイメージした設計で、興味ひく建物になっている。

★参道への敷石:当時は目立たなかっただろうが、いまGoogleマップで上空から大島元町を拡大して見ると、この参道敷石の模様が、他の何よりもクッキリと浮かんできます。先見の明があったと、改めて関心しました。

★世界初のボンネルフ道路:ボンネ(エ)ルフは車と人の共存道路。新町長になって「こんなクネクネ道は面倒くさい」ってんで真っ直ぐに直されてしまったそうな。今思えば、これまた今の思想です。当時の設計図を見たが詳細を忘れたので、あたしならば道幅広く交通量少ないあの道をクネクネ道再現で、凸部にベンチや出店で、常に縁日気分の演出をと思ってのイメージ絵。新しい船客待合所完成の岡田に比し、ますます淋しくなる元町に楽しいストリート誕生です。

なんで、これを記したかと言うと「アートアイランズ」の地元側の方?が、頑なに吉阪隆正の存在を認めようとせず「あぁ、もったいないなぁ」と思っての吉阪隆正再考です。

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旧波浮小学校に吉阪隆正の痕跡を見る [週末大島暮し]

yosi.jpg 旧波浮小学校を見学し、吉阪隆正の痕跡を確認した報告を記そうとするのですが、何故か同じ文章の先からアップされません。

 日を改めて、今日も試みましたが、同様の症状が出ます。「so-net」に質問しましたが、ナシのツブテです。

 そこで、今回はスケッチのみ2点を掲載。明日に文章のみアップを試みます。しかしまぁ、文章なし、スケッチだけでも何かが伝えられそうで、これまた面白く、これでもいいかなぁと思案中です。

 それよりもリンク「つくって、つかって、つないで」で、我がロッジ冷蔵庫の修理過程の詳細レポートがアップされていて、その凄腕に感服です。島暮らしや別荘暮しをされている方々にも参考になりそうです。そちらのクリックをよろしく。


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ストーブの錆びを隠して空元気 [週末大島暮し]

sabisutove6_1.jpg 大島滞在中、27年間も使い込んだ「薪ストーブ」の手入れをした。(その後の台風で煙突落下を知る由もなく)

 ストーブ表面に錆びが浮かんで来たが、今迄は「556」を吹き付ける程度で誤魔化して来た。或日のテレビで、薪ストーブ職人が完成したストーブの仕上げに、スプレーで黒塗料を塗っているシーンがあって「エエッ」と驚いた。

 検索すると、800度までの耐火塗料スプレーがあると知った。多分「SCAN製ストーブ本体用ペイントスプレー黒(1900円程)」を通販入手。さてスプレー噴射と思えば「まず錆びをよく落としましょう」と記されていた。「よし、本格的にやるぞ」と電動サンダーでブルブルと磨き始めた。

 周到にストーブ周辺へ新聞紙を敷いたが、後で気付けば女房の靴下裏が真っ黒。気持ちは錆び落としも、併せて黒塗料もサンダーで磨き落としていたワケで、部屋中に黒い粉が舞ったらしい。怒られてサンダー中断で部屋中雑巾がけ。

stove4_1.jpg かくして錆だらけのストーブのビフォアー&アフタ―写真です。しかし、このストーブは落下した煙突が直るまで使用できず。

 (また島から報あり。エッ、煙突が直った。冷蔵庫も直した。心配していた腐食「柱」補強も済んだ。ストーブ内の薪皿腐食で代用の巨大フライパンの長い柄も切り落とした。締め忘れた水道元栓も締めたと。共にロッジの維持管理&使用頻度小ゆえの難問抱えていた友人と、ロッジ&車のシェアへ動き出している。その友人の頼もしいこと。大島暮しが、新ステージに入ったようです)

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三者三様の釣りに接して [週末大島暮し]

sakanairoiro_1.jpg 友人を岡田港で見送った後、岡田港堤防釣りを見学。大きなクーラーボックスを持った若い女性と擦れ違った。「釣れましたか」。気持ちよく釣果を見せてくれた。「うわぁ、タカベじゃないか」。6、7尾。小さいなぁとは言わなかった。「楽しかったぁ~。南蛮漬けにしたら美味しいかしら」。本当に嬉しそうで、こちらも幸せになった。

 昔、若い女性スタッフを連れて泉津港でタカベ釣りをした。数釣りです。「もう帰ろうよ、みんなが待っているぜ」。「いや、もう少し~」。初めての釣りで、釣る楽しさに眼が輝いていた。「もう帰ろうよ」を五度ほど言って、やっと切り上げてくれたことを思い出した。

 堤防奥へ行くと、オバさんが「困っちゃうのぅ~」「どうした」「大きいマダイが釣れちゃて~」。見れば小バッグに、大きなマダイが押し曲げられて入っていた。「困っちゃう」の意は、自分で捌けないらしい。「俺が三枚に下ろしてあげるから、半身をもらおうか」と言ってやった。

 隣の青年三人組が、水を張ったポリ箱に幾種もの魚を入れていた。メジナ、サンノジ、アイゴ、サヨリ~。それを見ていると、近くの青年がルアーでカンパチをヒット。島に来る前は伊豆半島とか。連休を各地で釣り歩いているらしい。

 堤防釣りの皆さんの話を聞きつつ、自分の釣り遍歴を思い出した。初釣りは、父に連れられての「東雲の沙魚釣り」(江戸時代からの伝統)だった。中学時代は自転車で戸田橋まで遠征してクチボソ釣りに興じた。仕事人間になった某年、ふと覗いた釣り堀のヘラブナ釣りに嵌った。高名な工芸デザイナー・栄久庵さんが会長の倶楽部に入り、竿を納めた後の釣り談義が愉しかった。その後に車の免許取得で、海釣りに夢中になった。

 大島ロッジには磯釣り、ルアー、エギングと揃っているが、何故か釣る気にならない。きっと環境が良過ぎるからだろう。大島滞在終盤に、隣人がボート釣りで上げ、捌き済の「赤ムツ」を下さった。煮つけで、とても美味しくいただいた。

 最近の島のスーパーは、軒並み改装されて日食チェーン、CGCグループ等の流通店になった。新宿自宅近所のスーパーと同じ魚が並んでいる。ってことは地魚僅少で、地魚が食いたかったら自分で釣るしかない。カットは堤防釣りで見た魚。初めて魚を描いたが面白かった。(★昨日、旧波浮小学校の記事を試みたが、ブログ不具合で文章が途中からアップされなくなった。後日改めて試みます)

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蘇鉄観て脆くはかなし島暮し [週末大島暮し]

sotetu_1.jpg 〝週末大島暮し〟が年に数度へ。夏は酷暑で、冬は海一望になって西風が怖い。春と秋が良いが、天候不順も続く。かくして久し振りに島へ行けば、繁茂した雑草との闘い。庭がキレイに仕上がった頃に帰るのが常。昨年も1年振りで、背より高く繁茂した雑草刈りに終始。隣人が見かねて「除草剤を撒いてあげましょう」

 昨年の酷い「草かぶれ」から、今年は脛を守るべくユニクロ「エアリズムパフォーマンスサポートタイツ」を購い、新宿西口・万年堂で購入のツナギで準備・覚悟を整えたが、除草剤効果で「初の雑草刈りなし」に相成り候。

 唯一の庭仕事が、ソテツ(蘇鉄)の葉の選定。ソテツを改めて調べれば、なんとジュラ紀(恐竜時代)に繁茂して現代も生き抜く〝化石植物〟とか。切り捨てた葉にも窒素、ミネラル豊富で田畑の肥料になる。逞しきソテツが、にわかに〝神々しく〟見えてきた。

 除草剤に負けずに生える雑草もいた。初めて見るオジギソウに似た草が一面に生えていて、調べると「コミカンソウ(小蜜柑草)」らしい。

 久し振りの島暮らしはライフライン不具合・修繕。除草剤に助けられたこと。エビヅルとコミカンソウなる雑草との出会い。ハチに刺され、毒吸い出し器の処置。かかぁはタランチュア級クモに悲鳴をあげた。都会暮らしと、かくも異なる環境に、老い固まった神経回路が激しく揺さぶられる島暮らしです。帰京後に観たテレビが「そうした刺激こそが〝ボケ防止〟です」と抜かした。だが実害が伴えば〝ボケ〟では収まらんだろう。

toubokutoyama_1.jpg そう記したところで、都会マンション下でチェーンソーが唸った。ベランダから下を覗けば街路樹ハリエンジュの大枝が台風24号の強風で折れて歩道を塞ぎ、作業員らが処理中だった。もしやと近所の公園を歩けば、数カ所で巨木倒木。

 嫌な予感がした。案の定、島から薪ストーブのエントツ落下の報。ロッジ横の朽ちた桜が倒れて直撃したか、いやロッジも崩れたか。エントツ落下は2011年に続いて2度目。

 ジュラ紀から生き続け、台風ごときにビクともせぬソテツの強靭な姿を見るほどに、我が大島暮しの脆いことよと思う。写真下は新宿・戸山公園の元・尾張藩下屋敷時代から生き抜いてきただろう巨木の倒れた姿。ソテツが笑っている。大島暮し、立て直せるや~。

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ハチに刺されて「毒吸出し器」 [週末大島暮し]

seguroasinaga_1.jpg 九月の島暮しは稀ゆえ、庭に咲いたサルスベリ、ムクゲの花を久し振りに見た。サルスベリは苗木を買って玄関脇に植えた。木は年々太くなったが、咲いているのを見たのは初めてか。ムクゲには10年余の歴史がある。

 最初はリゾートっぽくハイビスカス、ブーゲンビリアを試みたが失敗し、夏の花としてムクゲに決めた。当時はバイク疾駆で仕事先を回っていて、沿道に美しい色のムクゲがあれば10㎝ほど頂き、自宅ベランダで挿し木。40㎝ほどに育ってから島に移植した。当初は海側に垣根状に育ったが塩害でやられ、今は5、6本が残るのみ。

 それでも、海風に曲がり育った紫のムクゲ(写真左)が美しかった。その右側に垣根状面影を残した白いムクゲが数本。そこにブドウ科の蔓が繁茂していた。「野葡萄」かしら。調べたら「エビヅル(蝦蔓)」(写真下)。黑く熟すとワインにもレーズンにもなるとか。和色名・えびいろ=葡萄色。早稲田のえび茶色。

mukuge2_1.jpg だが、巻き付かれた白花のムクゲが可愛そうゆえ、蔓を何度かひっぱり剥がし始めた。その時、激しい羽音。首後ろにチクッ、左肘辺りにガリッ。「ス・ス・スズメバチに刺された」。シャツの中に!。シャツを脱ぎつつ脱兎のごとく室内に逃げ込んだ。

 刺された個所が、プクッと膨らんできた。ふと眼に入った黄色の小箱。近所のアウトドア店で購った「毒吸出し器エクストラクター」。注射器のように押し込むと、逆に吸い込む優れ物。左肘の刺された個所に当て、押し込むとジワッと毒液が吸い出た。3回繰り返した。だが首後ろは自分では見えず、処置も出来ぬ。

IMG_6581_1.JPG 焦ってスマホで調べた。医者に駆け込め、または20分ほど様子をみて大事に至らなければヨシとも記されていた。10分、20分~。大事に至らずホッ。翌日「スズメバチマグナムジェットプロ」を購って噴射退治。落ちたハチ(カット絵)を確認すれば「セグロアシナガバチ(背黒脚長蜂)」だった。庭をよく見るとアシナガバチらしき巣(円錐状)も落ちていた。

 今迄にスズメバチの巣(球状)を二度除去したことあり。刺したのがスズメバチだったら大事になっていただろう。島暮しはサバイバルでございます。

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