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クルージング。そして寄港 [暮らしの手帖]

3satu_1.jpg 小さな会社をやっていた時のこと。集中仕事を納品し、スタッフの腑抜け状態が幾日か続くと、小生はクライアント社内を「クルージング」と称して各部署をぶらぶらと歩く。するってぇとプロモート企画書を・小冊子作成を・新人の宣材原稿を・ラジオスポット台本を~等々のまた新たな仕事を受注する。

 今は〝隠居遊びのテーマ〟が途切れた時に「クルージング」に出かける。まずは近所の図書館へ。徒歩10分足らずの範囲内に新宿区の「中央図書館・大久保図書館・戸山図書館」がある。なんと恵まれた環境だろうか。読みたい本がなければ各区図書館へ、都中央図書館へも足を運ぶ。

 今回は高田馬場の「古本街」と「ブックオフ」をクルージングした。『方丈記』全文筆写したことがあるゆえ、堀田善衛著『方丈記私記』(410円)を入手。いつか描いてみたかったので『トリックアート入門』(大型本だが410円)を入手した。もう一冊探そうかしらと、新刊大型店内を歩けばアニメ映画『天気の子』で〝気象監修〟をした荒木健太郎著『雲を愛する技術』(1,200円)が眼にとまった。

 どの書にも魅力的な未知なる世界が広がっている予感がする。夢中になる=時を忘れた意識集中=心地よさ。さて、まずはどの港に上陸しましょうか。

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『天気の子』で雲のお勉強 [雲のお勉強帖]

tabatahanran.jpg 「内調シリーズ」終了と同時に悶々続きです。日韓問題、京都アニメ放火事件、あおり運転、香港デモ、酷暑と豪雨、トランプ政治、吉本興業騒動(為政者に擦り寄るなら〝お笑い芸人ごと〟をお止めになったらいいのに)~と、嫌なことばっかり。

 小林秀雄と城福勇著『本居宣長』を手にしたが、読めなかった。老化の読解力衰退か、端から関心が薄かったか。悶々の気分転換に「雲を描いてみましょうか」と思うも上手に描けません。

 そんな某朝のこと。アニメ映画『天気の子』で雲がどう描かれているかを観てみましょと思い立った。先日観た『新聞記者』(未だ上映中。頑張っています)の「新宿ピカデリー」サイトを観れば『天気の子』初回上映が8時45分。15分前に家を出てセッセと歩けば「予告編が始まりましたが、それでもいいですか」で、小生初のアニメ映画鑑賞に相成り候。

 スクリーンには最初から最後まで「雲がいっぱい」だった。加えて冒頭シーンが「さるびあ丸」。大島通いのお馴染み大型船でスケッチ済。レインボーブリッジをくぐる入港も20年余の馴染。そして地元新宿の多数場所が描かれていた。さらに高戸橋際に在住期ありで、近所の「急坂」も登場。田端駅下車の版下印刷屋さんに十年余も仕事を頼んでいたので、同駅南口風景もスケッチ済。

gyoen5.jpg 同映画は、写真を取り込んだパソコン上で画像ソフト〈デジタル)処理で制作とか。新宿御苑に通い続けていた頃に、伊勢丹デパ地下で買った弁当を食べるいつもの東屋が、アニメ(言の葉の庭)の舞台になって、ビックリしたこともあった。

 御苑には携帯椅子に座ってスケッチをする中高年らが大勢いらっしゃる。小生は公衆の面前でスケッチなど〝こっぱずかしい〟ので、立ち止まってのラフスケッチ後に、その時に撮った写真を参考に自宅仕上げ。でも、どうしても風景画は上手く描けず。苦手のままで、空もいい加減に描いて逃げてきた。

 さて『天気の子』ラストに、ずっと雨が降り続いて水没した東京のシーンで、田端駅南口が出てくる。スケッチを始めた頃に描いた田端駅南口スケッチがあるゆえ、その上から「Windowsペイント」で崖下水没(多分、荒川氾濫が広がっている)をさせてみた。写真下は御苑スケッチの一例。後ろ姿で顔は見なかったが、誰かに似ていなくもない。それにしても同アニメに限らず、どのアニメ映画も<何故かとても上手に「雲」を描いている>ことにも気が付いた。アニメと雲の関係や如何に?

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層雲。技量なく宿題へ~ [雲のお勉強帖]

souun1_3_1.jpg 雲は大別して「上層雲・中僧雲・下層雲」の3種類。主な形状は10種。「下層雲」の積乱雲、層積雲、積雲を描き、今回は「下層雲の層雲」です。

 「層雲(そううん)」は、山の斜面などに浮かぶ灰色、白色の層状または霧状の雲。霧雲。雲海。その発生に3原因あり。

 ①温かい水面に、冷たい空気が流れ込んで来たとき。②逆に冷たい水面・陸面に、温かい空気が流れ込んで来たとき。②湿った空気が山沿いに上昇して来て、冷やされてとき。

 今回は参考写真を求めず、安易想像で描いた。再び「透明水彩風」から離れてしまった。雲を描くには技量が足らず。以下の「中僧雲」「上層雲」が宿題になりました。

 <中層雲:2,000~7,000m> 高積雲(こうせきうん。ひつじ雲、秋に多い)/高層雲(こうそううん。薄墨のような雲、おぼろ雲、スリガラス状。1回目の写真)/乱積雲(らんそううん。長雨・秋雨の雨雲。ゆき雲。雲下が暗い)

 <上積雲:5,000~13,000m> 巻雲(けんうん。すじ雲、白ペンキでさっと掃いたような雲)/巻積雲(けんせきうん。うろこ雲。いわし雲。さば雲)/巻層雲(けんそううん。うす雲。かすみ雲。空一面に薄いヴェール状。太陽がかかると「かさ状」になる)

 また他に<変種>として波状雲(さざ波)。乳房雲(雲底が牛の乳房のように垂れている)。レンズ雲(円盤、笠雲)。蜂の巣状雲。尾流雲(雲からしっぽ状)など。

 これまで空を誤魔化し描いていきましたが、今後は意識して描こうと思いました。

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積雲。透明水彩風に~ [雲のお勉強帖]

unseki10_1.jpg 過去のブログに、初秋の「下層雲の〝積雲(せきうん)〟」写真があった。

 晴れた日に発生する上昇気流で、綿のような形をした雲。綿雲。むくむく雲。上部はモコモコで形がよく変化(成長)するも、雲底は平たい(成長しない)。雲内部の雲粒密度が高く、日光が当たった時の明暗がくっきりと表れる。500~2,000m付近の雲で、それ以上の高度では「高積雲」になる。

 アニメ画のように「ガッシュ、ポスターカラー」ならば、白から濃いブルーへのグラデーションが簡単にできるも、「透明水彩」ではソレが難しい。しかも小生の場合はコピー紙並みに薄いクロッキー帖で、水張りもできない。

 それでも、何とかしなければいけません。「雲」三度目で、ブルーのグラデーションに挑戦した。「積雲」の特徴が表現されているとは言えぬも、ちょっとだけ「透明水彩風」に描けたような~。

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層積雲。描くコツは雲を掴むよう~ [雲のお勉強帖]

madaragumo_1.jpg 積乱雲が強い風に流され、やがて「下層雲の〝層積雲(そうせきうん)〟」に変わった。

 白色や灰色の塊が連なって、ロール状の形状を成した。畝雲、斑雲、むら雲。場合によってはレンズ雲、塔状雲にもなる。また「高積雲」と形が似るも、「高積雲」の雲はひとつ一つは小さい。曇天なれど雨が降る事は少ない。

 この絵を見て、かかぁが笑った。「おまいさんの絵は、小学生のスケッチみたいだよ」。笑われたが、雲を描くには、遠近法が大事と気付いた。手前景色は近景、天空の空は中景、そして地平彼方の遠景の雲。強弱のアクセントをつけて描くこと。そして光の角度を定めて、影を上手につければ立体的になると~。

 頭でわかっても、上手く描けるわけじゃない。海・波=液体。空・雲=気体。液体・気体を上手く描けるコツ修得は〝雲を掴むよう〟です。

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積乱雲を描く [雲のお勉強帖]

nyudogumo3_1.jpg 初スケッチの時に、眼前の〝木々〟をどう描いたものか戸惑った。そして苦手の「海・波」を幾度か描きつつ、「波」についてのお勉強を少々した。今度は「空」を描きつつ〝雲〟のお勉強です。

 先日の台風10号頃の自宅窓から見上げた、夏を代表する入道雲です。下層雲の「積乱雲」。かみなり雲。雷や夕立が起りやすい雲。強い上昇気流の影響で上へ上へと発達し、下層雲とは云え12,000mを越える場合もあるとか。雲の下が黒くなって激しい雨を、さらには下部から漏斗雲が伸びて竜巻を起こす場合もあります。

 さて、絵です。簡単に描けると思っていたのですが、いざ描き出すと四苦八苦。描き終わって「あぁ、ダメだ・ダメだ」。最後には「Windows標準装備のペイント」まで稼働させて、バックの空を全面修正。あれっ、空や雲はデジタルだとサッと簡単に描けそう。でも目標は「透明水彩」でサッパリした空と雲が描がけること。果たして出来るようになりましょうか~。

kanatokogumo.jpg.jpg ★写真下は昨年8月末夕に、大久保通りの商店隙間から見上げた「金床(かなとこ)雲」。積乱雲が成長して頂上部分が平らになった形。雲の中で盛んに稲妻が光っていた。当時とても話題になった雲。目下は大ヒット中のアニメ映画「天気の子」で再び話題になっている雲で、同映画ポスター?にも描かれている。よくわからないが「天気の(女の)子」は「金床雲」上にいるとか~。

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高層雲のおぼろ雲 [雲のお勉強帖]

kousogumo_1.jpg 人を疑い、裏切り、騙し、世論を都合よくコントロールもする「内調情報調査室(内調)」のシリーズを終えたら、心を洗いたくなって「空・雲」のお勉強です。

 最初は74回目「終戦の日」と「台風10号」翌日16日の東京から見た東の空「中層雲(2,000~7,000m)の〝高層雲〟」です。「中層雲の高層雲」とは、なんともややこしい。薄墨のような厚いベール。曇りガラスのような〝高層雲=おぼろ雲〟。詳しくは「不透明高層雲」。

 「おぼろ雲」と言っても春の季語「朧、朧月、朧夜」とは無縁。春の妖しさなど微塵もなく、何もかも先行き不透明の今の内外政治に相応しい「おぼろ雲=高層雲」です。そんなハッキリせぬ雲が新カテゴリー「雲のお勉強帖」のトップで御座候。

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内調(8)「官邸ポリス」現実92%と偏見100%  [政経お勉強]

makuren1_1.jpg 幕蓮著『官邸ポリス~総理を支配する闇の集団』を読む。帯コピー「元警察庁キャリア官僚が書いたリアル告発ノベル!本書の92%は現実である」

 プロローグ。2011年の原発事故で内閣官房長・戸田(枝野幸男氏)が「日本国民を安心させる」偽情報の記者会見後に、トイレから妻へ電話。「日本はヤバい。子供を連れて日本脱出せよ~」(これ相当に悪質なフェイクと推測する)。それを隣のトイレで録音した記者が「官邸ポリス」の瀬戸(杉田和博内閣官房副長官)へ聞かせる。瀬戸は「〝国賊〟の志の低い大臣や政治家たち~」云々から「真に我が国のことを考えているのは内務(警察)官僚たる我々が~」と記す。

 端から相当に偏った意図、偏見で書かれた小説だとわかる。全12章、最近の諸事件の裏側が「仮名」で書かれていて、読めば「実名」が推測される仕組み。ちなみに俎上に載った仮名を、小生の推測実名で列挙してみれば~

 ★安倍総理の明恵夫人の夜遊び、森友学園がらみの後始末。★山尾志桜里議員の不倫スキャンダル。★御用記者・山口敬之氏の伊藤詩織さんへの準強姦逮捕の直前中止の裏経緯。★元文部科学省トップ前川喜平氏の「出会い系バー」リーク。★テレビ朝日の「放送番組審議会委員長」で番組監視をする総理応援団の幻冬社社長・見城徹氏。★反安倍記事が溢れるネット締め付けに、ミクシィ子会社「フンザ」のチケット転売で「ジャニーズ通信」よりの商標権不正利用で捜査。ジャニーズへ配慮と思われたくなく「TOKIO」Y君のリーク。★財務省の福田淳一事務次官の女性記者へのセクハラ発言事件。★2018年の総裁戦の裏側。★外務省系の矢口国家安全保障局に「官邸ポリス」が貸しを作った話~など。

kantei1_1.jpg ここで書かれた「官僚ポリス」は、前述通り現「内閣官房副長官兼内閣人事局長」の杉田和博氏(官邸の妖怪、現78歳)。「俺たちは政治家どもの下僕ではない。公僕のなかでも最も意識の高い我々こそが、日本を導いてゆく」。「内調」資料室が極秘の「官邸ポリス」設立準備室。杉田を頭に他の主メンバーは「内調」トップ北村滋内閣情報官、山下史雄警察庁生活安全局長、中村格警察庁総括審議官など。

 さて松本清張『深層海流』を読んだ後だけに、これは「カリカチュア」風小噺集の印象。帯コピー「本書の92%は現実で、100%の偏見で、コミック仕立てである」が相応しいような。同書出版は2018年末。世論調査で、モリカケ問題やアベノミクス不評で「安倍内閣を支持しない」が「支持する」を上回った時期。そこへ一石を投じるべく書かれたとも推測した。

 今井良著『内閣情報調査室』には、同書の著者〝幕蓮〟の正体を「内調」は絞り込んで監視下にあると記されていた。そしてサイト「アゴラ」に潮氏が特別寄稿。リストアップされた3人目Yと私は30年来の親交がある。Yのゴーストライターなら私の可能性だが、Yも私も「チーム幕蓮」ではない。誤解が拡散せぬように筆を執った、の一文が載っていた。まぁ、それほど真剣に読むこともなく、仮名を実在名に当て嵌める遊びを愉しみつつ読めばいいのかなぁ~です。小生は書籍に絵を描き加え、推測実名を書き込んだりして遊び読んだ。

 「内調」関連書は他に元室長・大森義夫著『日本のインテリジェンス機関』(文春新書)、毎日新聞で政治担当論説を務めた仮野忠男著『亡国のインテリジェンス』(論客19名執筆や対話。日本文芸社)はじめ多数。また『内閣調査室秘録』の志垣民郎氏が現役だった時代だろう『秘録戦後史~内閣調査室への報告書でつづる』全5巻(昭和20~40頃迄)の膨大書もある。読んでみたいが「内調」専門家?になりたくないので、この辺で「内調シリーズ」を止める。

 それにしても<「内調」⇒「安倍内閣」⇐「日本会議」>はどう絡み合っているのだろうか。宿題多数ですが、これにて終わり。冷房の効いた部屋で、しばしお絵描きの練習に没頭しましょと思っています。

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内調(7)長期政権で存在感増して~ [政経お勉強]

kitamura1_1.jpg 今井良著『内閣情報調査室』2回目は、注目した記述の箇条書きメモです。

 ★「内調」と公安警察、公安調査庁の競合:国内部門では<内調VS公安警察の公安1~3課VS公安調査庁の調査第1部>競合。国際部門では<内調VS外事警察VS公安調査庁の調査第2部>競合。この三つ巴の闘いが、安倍一強の長期政権で「内調」の存在が増しているとか。先の総裁選、前川喜平氏のリーク、安倍総理べったり記者の準強姦の逮捕中止など「阿部総理の私的機関」と揶揄されつつある。

 ★情報・諜報活動用語=インテリジュンス・アセスメント。電波・活字のマスコミやネット資料からの情報収集=オシント。協力者(人的)情報収集=ヒューミント(先日の日韓問題で、ヒゲの隊長こと外務副大臣・佐藤正久がテレビで幾度も〝ヒューミント〟と発していた)。通信傍受=シギント。暗号解読=コミント。レーダーの傍受=エリント。情報機関の相互協力=コリント。いやだねぇ、この歳になってスパイ用語を知るとは。

 ★スパイの初期訓練:まず徹底訓練されるのが「公刊情報の収集分析(オシント)」。その結果、約半年で「情報選択の達人」になり、やがて週刊誌編集長並みになるらしい。(このブログも余り長く〝内調シリーズ〟をやっているとチェックされるかも)

 ★2018年12月、幕蓮(ペンネーム)著『官邸ポリス~総理を支配する闇の集団』出版。帯コピー「元警察庁キャリア官僚が書いたリアル告発ノベル。本書の92%は現実である」。なんと「内調」のさらなる上に「官邸ポリス」がいるとか。さて、どんな内容なのでしょうか。

 ★2019年1月現在の「内調」の調査委託先は、略称で世界政経調査会・国際情勢研究所(内調のシンクタンク)、国民出版協会、ラヂオプレス(北朝鮮の通信傍受でおなじみ)、内外情勢調査会(時事通信社の関連団体)、アジア動態研究所、アジア問題研究会、海外事情調査所、NHK、共同通信社、時事通信社、国際経済調査会、国際問題研究会、JONC、東京出版研究会、内外事情研究会、日本社会調査会、日本文化研究所。

 今井著は最後にこう締めくくっている。「内調」トップの北村滋内閣情報官は在任8年。「官邸の守護神」として総理大臣を支え続ける黒子としての存在感は増し続けるだろうと。昨日、森友学園がらみ文書改ざん容疑の佐川氏らへ、大阪地検捜査部は再び不起訴とした。まさか「内調」が絡んでいるとは思えぬが~。

 テレビで政治的発言をしている方々は、概ねどこかの息がかかっていると思って「鵜呑みをしないこと」、特に「全体主義に巻き込まれないこと」が肝心でしょう。テレビより多様性に富んだ書籍が並ぶ書店で選んだ本を読みましょ。次は「内調」の上で暗躍する『官僚ポリス~総理を支える闇の集団』を読んでみましょう。

 追記1:8月20日朝刊の「週刊写真誌」広告に<独占スクープ!滝川クリステル「妊娠情報」を内閣情報室だけが知っていた。反安倍の旗手が官邸の軍門に降った内幕>のような見出しが躍っていた。同誌を買って読む気はないが。「あぁ、内調~」と思った。

 追記2:9月3日の新聞。政府は外交・防衛、安全保障政策を総括する国家安全保障局(NSS)の谷内正太郎局長を退任させ、安倍晋三首相の信頼が厚い内閣情報官・北村滋を浮上させた。外務・防衛両省出身スタッフが多い同局に警察庁出身の北村氏が就任すれば異例の人事とか。テレビニュースに苦虫かみつぶしたような北村「内調」トップの顔が流されていた。9月11日に決定。なお後任の「内調」トップは滝沢裕昭氏。

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内調(6)『内閣情報調査室』メモ [政経お勉強]

imaicyo_1.jpg 今井良著『内閣情報調査室』より〝内調〟設立後の動きを時系列に箇条書きでまとめてみる。

★1957年:第1次岸信介内閣での組織変更で「内調」が内閣官房に置かれ「内閣調査室」へ。★1886年:第2次中曽根内閣で現「内閣情報調査室」へ。併せて関連局長級による「合同情報会議」開始。その内容は「国家機密」で議事録なし。

★1993~1997年:大森義夫室長時代(同氏著『日本のインテリジェンス機関』(文春新書、2005年刊あり)に、大手出版社の月刊誌編集幹部に深くコミットしてマスコミ世論操作。★1996年:橋本内閣で災害など有事の際の情報一元化の「内閣情報集約センター」発足。★2001年:森内閣で「内閣情報調査室」を格上げ。事務次官級の「内閣情報官」誕生。

★1997年:「防衛省情報本部」(防衛省の情報機関)誕生。略称DIH。総務部・計画部・分析部・総合情報部・画像地理部・電波部。2001年4月に「内調」兄弟的分析機関「内閣衛星情報センター」(市ヶ谷の防衛省内・通称ホシ)設立。2018年2月の「光学6号機」を載せたH2Aロケットによる「光学衛星」と、夜間・悪天候の「レーダー衛星」の2種による画像情報(イミント)の分析。分析能力50㎝だが、その能力は隠されているらしい。電波部は〝象の檻〟と称される大型通信所が全国6ヶ所。各地に小規模通信施設。電波1課がロシア、2課が中国、3課が朝鮮半島。8課が暗号解読の特殊部門。日本最大の情報機関(推定2千名)の1/3が電波部。

★2008年:「カウンターインテリジェンス・センター」設置。諸外国からのスパイ行為に対処する日本初の防諜機関。★2013年:安倍総理の肝いりで外務省が仕切る日本版NSC(国家安全保障会議)発足。翌年にNSCを補佐する「国家安全保障局」設置。9大臣会合を含め5年間に100回。内容は特定秘密保護法で秘匿。★2015年12月:「国際テロ情報収集ユニット」始動。実際は「内調」指揮監督で「内調」の力はさらに拡大。 

★現「内調」トップ=内閣情報官は北村滋氏。安倍内閣の総理秘書官~総理辞任で警察庁~総理復帰で再び「内調(国内・国際・経済・総務)約250名のトップ。毎週火・木曜日に「内調」で得た情報をA4数ページにまとめて官邸で総理直接報告。

 日本国民ながら安倍内閣を裏で支える「内調」の存在・実態を知りませんでしたでは、チコちゃんに「ボーっと生きてんじゃねーよ」と怒られる。あと1回続きます。

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内調(5)今井良著『内閣情報調査室』を読む前に [政経お勉強]

keisicyo_1.jpg 次に今年5月30日出版の今井良著『内閣情報調査室~公安警察、公安調査庁との三つ巴の闘い』(幻冬舎新書)を読む。今井良とは? 同著に「NHKで報道番組に10年間携わった後、民放テレビ局で警視庁キャップ、ニュースデスクなどを歴任」とあり。

 映画「新聞記者」サイトに氏の「権力に仕えた人間が、権力に抗う。内閣情報調査室が持つ果てしない大きな力とスケールをこの映画で見事に描ききっている」の推薦文。民放は何局にいたや。ペンネームと推測した。

 まず本文冒頭「千代田区永田町の〝総理府ビル〟4階の~」なる書き出し。同ビル名でネット検索もヒットなし。「内調」が入るのは「内閣府庁舎(通称「本庁ビル)」だろう。

 そして「内閣情報調査室は日本国のためのスパイ活動を行うれっきとした情報機関である。~ライバルとも云える2つの機関〝公安警察〟と〝公安調査庁〟」の説明後に「公安警察は全国でおよそ10万人の公安警察官で組織され~、公安警察を指揮するのは警察庁警備局。内調には警視庁公安部から出向している公安警察(ノンキャリア)が数多く存在する~」

 この文章にも混乱させられた。「公安警察官は全国で約10万人」は、どう積算されての数字だろうか。「警察庁公安」の説明が、いきなり「〝警視庁〟公安部」になっている。著者は「警視庁キャップ」経歴ゆえ間違いはなかろうが、警察に疎い小生は戸惑う。文章配慮が足りないな。これは鵜呑み要注意と、まず自分で各オフィシャルサイトなどでお勉強することにした。

koancyosa_1.jpg <公安警察とは> 警察庁と都道府県警察の公安部門を指す俗称。「警察庁警備局」を頂点に「警視庁公安部」「各都道府県警察本部警備部」「所轄警察署警備課」で組織。

 <警察庁警備局の公安> 行政機関「国家公安委員会」が内閣府の外局「警察庁」を管理。職員約8,000名。一般職員4,843名、警察官2,200名、皇居護衛官922名。警察庁の内部部局に「警備局~警備企画課~公安課、警備運用部、外事情報部」。地方機関として全国6管区警察局を設置。都道府県警察は各知事の所轄下にあるも、都道府県公安員会の管理下にある。警察庁長官狙撃事件は未解決。

 <警視庁の公安> 皇居桜田門前の建物が「警視庁」。東京都を所轄の警察組織。職員約4万6千名ほど。公安捜査官は1,100名。筆頭が公安総務課(第1~第5公安捜査は反戦デモや左翼政治団体対応)、そして公安第1~4課(労働紛争争議、極左情報、日本赤軍、過激派の情報収集、右翼情報など)、外事第1~3課、そして公安機動捜査隊(学生運動からオウム真理教、そして今は爆弾テロを担当)。司令塔は警視庁警備局。

 <法務省外局・公安調査庁> 昭和27年(1952)の破防法執行と同時に法務省の外局として発足(「内調」発足と同年)。検察官出身者が幹部。職員1,650名。そのなかの公安調査官が調査業務に従事。本庁以下、全国8ヶ所に公安調査局、14カ所に公安調査事務所。本丸は総務部で「工作推進室」で人的情報(ヒューミント)で潜入など。調査第1部が国内の極左集団、調査第2部が国外情報担当。しかし破防法適用例は未だなし。幹部以外の職員名は秘密。「内調」への出向多数。目下は五輪テロ対策など。2019年予算は150億円ほど。

 ●全国公安警察官の1/3以上は、警察庁警備局・警備企画課の情報第二担当理事官(キャップ)が総括する中央指揮命令センターの指揮下になる。完全秘匿(氏名も抹消)の存在ゆえ通称ZERO。この程度の知識を得てから、今井著を読んでみる。

 写真上は桜田門前の「警視庁」。その奥の建物が「中央合同庁舎第2号館」で正門右に「総務省」、左に「国家公安員会/警察庁」の看板。写真下が赤レンガ・法務省旧本館の裏の高層ビル「中央合同庁舎6号館」に「法務省」と「公安調査庁」が置かれている。

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内調(4)研究費を払っていた127名 [政経お勉強]

naikakufu_1.jpg 『内閣調査室秘録』は第二部から志垣氏の回顧録(小活字で2段組でビッシリ)。昭和34年(1959)にCIA研修。帰国後はCIA東南アジア担当とジョイントワーク。昭和37年(1962)頃から国際学者・若泉敬氏に核政策の依託研究。その2年後、中国核実験。若泉氏の「日本は核武装せずの国是を貫き、米国の核の保証を取り付ける一方、核武装の潜在能力を持つ」と、他の委嘱学者4名の「カナマロ会」研究が佐藤栄作政権の非核政策になる。

 同年頃に「内調・審議員会議」発足。メンバーは学者・事業者・司法トップ・各省OBら。毎週木曜日開催で各5万円の謝礼。日記には各会テーマと出席者名。佐藤内閣の木村俊夫官房長官時代から、週1の「内調」報告が定着。昭和43年(1968)年頃からの日記に、「ニューオータニ」の会合が多くなる。誰と会って何を話したかが記されている。 佐藤内閣終盤(昭和46年、大阪万博が終わった翌年)に山崎正和、高坂正堯、黒川紀章ら若手による「政策科学研究会」発足(以後20年余続く)。この会合日、出席者、議題が記される。志垣氏、この頃になると日本の将来は大丈夫と引退を思ったとか。

 「内調」が委託研究費、資金援助した127名が50音順に実名で紹介されている。昭和42年(1967)に「朝日新聞」が「内調の研究費」を報じ、学者リクルートがやり難くなったと記す。127名の中にロケットの糸川博士の名あり。会合もニューオータニが多いことで、小生思わず「オヤッ」。小生の社会人3・4年目はPR会社勤務で、同社は月1「例の朝飯会」をニューオータニで開催。同社顧問に糸川博士がいたような。また入社前の同社は佐藤総理のPR活動もしていて「佐藤首相の新聞に大きく載ったあの写真この写真も同社のパブによる」と聞いた。同社も「内調」に関係していたのかしら。

 現「内調」から委託費を得ている団体(法人)は発表されているが、さらに首相夫妻に会食をおごってもらった芸能人、文化人、ジャーナリスト、マスメディア幹部らの一覧も、後世に発表されるかも知れません。同書に関してはここまで。興味ある方はご自身でお読み下さい。

 写真は現「内調」が入る「内閣府庁舎(低い方の建物)」。高い建物は「中央合同庁舎8号館(内閣官房、内閣府)」。小生風体芳しくなく、正面から撮れば職質されそうで、建物裏側を撮った。両ビルの向こう側が首相官邸です。

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内調(3)進歩的文化人攻撃と藤原弘達 [政経お勉強]

sigakicyo_1.jpg 映画「新聞記者」の影響か、「内調」関連書2冊が相次ぎ出版されている。まず7月19日刊の岸俊光・編/志垣民郎・著『内閣調査室秘録~戦後思想を動かした男~』(文春新書)を読む。

 著者は97歳。氏の妹の息子が俳優・志垣太郎氏。昭和27年発足の「内閣調査室」初期メンバーで、昭和53年(1978)まで「内調」一筋。その創成期秘話をはじめ、長年の活動の回顧録を公開。なお退官後は「内調の情報依託先」だった企業の社長や会長職。ちなみに初代室長・村井順は総合警備保障(ALSOK)を創業。

 さて「内調」発足当初は、外務省から出向の曽根氏の案で、自民党最左翼・宇都宮徳間氏をはじめ、右派左派の狭間の国会議員に金銭支援で抱き込んだ。また戦前に「軍国主義」も、戦後に「民主主義」論陣を張る「進歩的文化人」を批判すべく、彼らの今昔の言説の違いを時事月刊誌「全貌」に連載。槍玉に挙げた例が、戦前にヒットラー礼賛の清水幾太郎をはじめ、30名を俎上に載せた。これを一冊にまとめて『学者先生戦前戦後言質集』を刊。再版の際にはさらに10数名を追加補足。全員の実名を挙げ、これらは自分が執筆した。また日教組批判も書いたと告白していた。

 松本清張が記した初代・村井室長の「腹巻事件(3千ドル摘発)」は、昭和28年(1953)9月の産業経済新聞三面トップ記事になった。この〝大捏造記事〟を仕込んだのも前述・曽根氏。書かされた記者は後に左遷。こうアッサリと告白されて、清張さんはあの世で頭を抱えているだろう。

 村井順は、これら外務省の反抗や、緒方竹虎の副総理昇格後の後任官房長官とうまく行かずで左遷された。2代目室長・木村行蔵は可も不可もなし。3代室長・古屋亨が清張も紹介通り「内調」を6部体制にして礎が固まったと紹介。

 志垣氏は前述紹介の★3部(マスコミ論調)★5部(民主主義研究など)★6部(情報判断会議)などを担当。進歩的文化人への攻撃に加え、「内調協力者」の人脈を拡大。その一つ「土曜会」メンバーに「月々4万5千円」の支援(昭和27年頃の国家公務員初任給7千6500円)。その後も学者らに研究費を渡してのシンパ育成を続けて来たと告白。

 その代表例が藤原弘達氏。彼が左翼理論家になるのを恐れて抱き込んだ。昭和30~54年(1955~1979)の酒席接待日・店名を克明に記録(公開)。結果、彼は後にテレビ「時事放談」「グリーン放談」などで保守的政治評論家として大活躍。創価学会や公明党も厳しく批判した。

 小生20代半頃だろうか、テレビで「口角泡を飛ばす酒飲みらしき藤原弘達」をよく観た記憶がある。今になって「あぁ、裏にそんなことがあったのか」です。今もそんな人が居るのかも知れぬが、隠し事は後世に誰かの日記公開などでバレたりするかも~。次回へ続く。

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