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窓外にワカケホンセイインコ来て [私の探鳥記]

wakake1_1.jpg 「お前さん、またインコだ。今度は大きいインコだよぅ」。

 以前、ベランダ手すりに〝手乗りインコ〟が止まっていた。吾の肩に止まって家の中に入ってきたインコもいた。かくして今度は〝大きいインコですよぅ〟になった。

 かかぁの指差す先を見れば、二羽のワカケホンセイインコ(輪掛本靑鸚哥、外来繁殖種)が、ムクドリ(都会でも繁殖中)の群がるリンゴを狙っていた。

 〝鳥撮り〟をしていた時に石神井公園でワカケホンセイインコが「熟柿を食うシーン」を、新宿御苑で「桜散らしシーン」を、雑司ヶ谷霊園で「荷風さんの墓上の大樹(欅)の穴に出入りする番い」を撮ったことがある。

wakake2_1.jpg 何時だったか、テレビがワカケホンセイインコ集団の騒音・糞害を報じていた。我家の窓外(そうがい)に二羽のインコなら、その珍しさ・美しさで眼のお楽しみ。だが、人もそうだが「群れた集団」になれば警戒したくなる。〝大衆〟なる恐怖もある。

 「輪掛け有り=♂・輪掛け無し=♀」。さて、どこで営巣しているのだろうか。都会にもオナガ、ワカケホンセイインコが増えて、カラスが警戒して騒いでいる。

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雀らを見つめ覚えてクロッキー [私の探鳥記]

uzumesokusya1_1.jpg 動く対象を描くのは神技だな。ヌードクロッキーは3分や10分の静止体を描くそうで、ゆっくり動く人体を描くのが〝ムービング〟とか。さて、スズメは片時もジッとしていない。これでは写生もクロッキーもできるワケがない。北斎はいかにスズメを写生したのだろう。

 動くスズメを写生できぬ小生は、こんな法を考えた。撮った写真を数分しっかりと観る。頭に叩き込んだら写真から眼を外し、記憶像が脳裏から消えぬ前に素早く描いてみる。脚や翼の構造も多少勉強したので頭に入ってい、それが手助けになろう。面白そうだからやってみた。15分ほどで7羽のスズメを描いた。

 先日、動画ネット「アニメーター講座」なるを見た。「まずは模写が大事」と説明。模写は「正確さ」が大事。模写するってぇのは作者との対話、歴史に触れることにもなる。「正確な模写」ができたら、省略することで「スピード」も可能になる。早描きも可能になると説明していた。

 新年早々、スズメが描けなかったことで、スズメ描きに執着してしまった。これがスズメだったからいいので、「人」ならば骨格、関節、筋肉も複雑無数で描けたものじゃない。人体をサッと描く。それはもうプロ領域だろう。スズメの〝欣喜雀躍〟を描き終えて、やっと年明け気分。だが世の中は雀躍気分とは逆で、さらに嫌な感じ。日本や世界の少年・若者らが夢を持てる社会になりますように。


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動かずに居れよと願ふ老ひの筆 [私の探鳥記]

yokosuzume1_1.jpg 小林重三もスズメを描いた。遡れば浮世絵師らもスズメを描いた。「北斎漫画」にスズメのスケッチがある。彼らはどうやって飛ぶ鳥をイキイキと、かつ正確に描けたのだろうか。望遠レンズや高速シャッターで撮った映像ならば容易にその姿を捉えられようが~。

 彼らはまず先達らが描き遺した図を見た(学習・模写)だろう。飼い鳥、標本、死骸を手にとって観察しスケッチをした。そして野に出て、ふわふわと膨れる柔毛、逞しく風切る翼、鮮やかな飛翔の瞬間・瞬間を鋭い眼で繰り返し観察し、スケッチを重ねたのかもしれない。

 小生は何年も前に、荒れた海の波を望遠レンズ・高速シャッターで撮ったことがある。波が砕け散る瞬間写真に、あの浮世絵にある〝波の形〟があった。浮世絵師らは、あの〝波の形=雪村波〟を捉えるまで、どれほど波を見つめ続け、スケッチを繰り返したのだろうか。

 スケッチには観察力や記憶力も必要らしい。それらすべてが足りないあたしは〝雀躍〟を諦めて、羽根をたたみ大人しく止っているスズメの横姿を描いてみた。


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小翼羽広げた下の落穂かな [私の探鳥記]

tubasahone2_1_1.jpg 前日の〝雀躍〟図に脚の骨格を添えたが、翼の骨格を描き忘れた。その絵に骨格を描けばこんな具合になるか。これがスズメではなく鶏ならば「手羽元=上腕骨」で、「手羽先=尺骨から先まで」だろう。今度、両方を食って骨標本を作ってみようか。

 上腕骨/尺骨・撓骨/腕掌骨を真っ直ぐに伸ばせば飛翔時の翼になり、全てを畳めば止まった姿になる。椀掌骨(わんしょうこつ)は腕骨と掌骨が一緒になった骨。ここからがよくわからないのだが、尺骨につながる腕掌骨の先端に第2指があって、ここが初列風切上部付け根の「小翼羽(しょうよくう)」になるらしい。

 「小翼羽」は、普段はに初列風切の上にピタッと付いている。下降・着地する際に速度不足で失う揚力を増すためにココを広げるらしい。また「翼膜前縁」には伸縮の(羽搏くための)「張筋腱」がある。

 さて、江戸時代の絵師らは鳥の着地シーンに、この小翼羽が広がった姿で描いていただろうか。にわか勉強で間違っていたらゴメンナサイ。


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雀躍を描けずに沈む隠居趣味 [私の探鳥記]

suzumehanekouzou1_1.jpg 風景スケッチもスズメも描けない。だが新年早々から諦めるわけには参らぬ。再びスズメを描いた。「雀躍=跳ねるように小躍りして歓ぶ」だが、描けぬあたしは落ち込むばかり。かつて〝鳥撮り〟ゆえ、鳥はもう少し上手に描きたい。今度はペン画に淡彩。脚の骨格、羽根の構造も再確認した。(この絵では翼の骨格がまだ理解出来ていない)

 ところで鳥類画家・小林重三(しげかず)をご存じだろうか。小生の鳥撮り開始はデジカメ普及初期の頃。手許の鳥図鑑は写真。それもあってか迂闊にも小林重三を知らなかった。江戸時代の鳥図譜(図鑑)に関しては、弊ブログでも何度か記したと思うが、そのひとつ馬琴『禽鏡』は娘婿の絵師・渥美覚重が描いた。林鳥3巻・大鳥・湿鳥・水鳥の計6巻(300種)。

 そして明治20年、小林重三が生まれた。24歳で〝水彩画普及〟の大木藤次郎に薦められて鳥を描き始めた。明治45年に日本鳥学会設立。昭和8・9年刊の図鑑3巻『鳥類原色大図鑑』(黒田長禮著)1092種のうち1079種の鳥を原色で描いたのをはじめ、多数図鑑で活躍した。昭和50年、88歳で亡くなるまで鳥を描き続けた。

 下手なスズメ絵を描きつつ、彼の生涯を記した『鳥を描き続けた男 鳥類画家・小林重三』(国松俊英著)を読んだ。鳥が描けぬ小生に励みになる一節あり。端折って紹介。~風景や建物写生が上手かった小林だが、鳥は描けなかった。小林は標本の鳥をただ描くだけではダメと気付いた。大木藤次郎『水彩画の栞』に〝骨格を知れ〟とあり、別の本に〝動くものを瞬間に写生して記憶力を発達させろ〟とあった。彼は上野動物園に日参して鳥の写生をした。「もっと苦しまなければいい絵は描けない」。4年目、彼が描いた原色図版一枚が一頁掲載された。

 絵を描き始めて1年に満たぬ小生に鳥が描けるはずもない。スケッチブックを持って上野動物園に通おうかしら。


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諍ひも小躍りのやう群雀 [私の探鳥記]

murasuzume3_1.jpg ベランダに飼い鳥インコ(コザクラインコ?)が飛んで来る。メジロにミカンなら、インコにも餌(殻むき麦)をあげようと思った。Y字枝の天辺にドリルで穴を開け、そこへ鳥籠用餌箱の針金を差し込めるように細工してベランダに取り付けた。

 インコが来る前にスズメが来た。群雀(むらすずめ)。観ていると序列があるらしく餌を独占する個体、ちょっかいを出すのがいて、大人しく待っているのがいて、落ちた餌を拾うスズメもいる。誠に騒々しい。その騒ぎはまさに〝欣喜雀躍〟。

 スズメ減少が報じられることもあるが、この辺では殖えている感がする。街のスズメの天敵はカラスだろうか。先日、電柱の機器内にカラスが執拗に嘴を突っ込んでいた。それら機器内にスズメが出入りしているから、ソコが繁殖場所の一つかも。カラスはきっとソコで親鳥・雛を捕え食ったことがあるのだろう。

 そんなカラスを見た後で、米屋が店先で餌(クズ米だろう)を撒き、スズメの群れが舞い降りる光景を見た。高層ビルが次々に建つ街にあって、なんだか大昔から続いている懐かしい光景を見たような気分になった。

 あたしは未だ「鳥」を描いていない。この機会にベランダで雀躍のスズメを描いてみた。「飛ぶスズメ」の難しいこと。また「あぁ描けない」と嘆いてしまった。今年のブログは描けない苦悶・苦闘で終始しそうだ。なお、インコの餌は「スズメが群れてベランダが糞で汚れるよぅ」とかかぁが言うので、1週間ほどで撤去させられた。


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ベランダに付けるメジロ餌台 [私の探鳥記]

mejirodai1_1.jpg 今年は12月2日にメジロが来た。例年は繁茂したローズマリーに来るのだが、それは今夏の酷暑で根こそぎ枯れた。何もなくなったベランダの植え込みに来たメジロが「アレッ」と首を傾げて飛び去った。

 かかぁが風邪で寝込んでいたので、その慰みに「ここは一丁メジロを呼んでやろう」と、ミカンを刺すメジロ寄せ台を作った。カマボコ板より大きい平板に、和菓子に付いていた竹ヘラをボンドで付けた。これを手すり上部と平行につけられる着脱式にした。

 メジロが二羽来た。背後を気にしつつ餌を食べていたので、背後を守るべく枝の垣根状を追加した。昼間っからのんびりとメジロを観ているってぇと、改めて〝隠居っていいなぁ〟と思う。ワーカホリック時分は花鳥の名を知らず。今は東京近郊で見られる野鳥は概ね知っている。隠居して花鳥を知り、読みたかった江戸文学も古文書勉強で少しは読めるようになり、今は絵を描き始めている。

 今はまず〝自分が愉しむ〟が第一。いや、世のため・人のために献身しましょうか。どうも、そういう立派なことは出来そうもない。そんなことを呟きつつメジロを見てるってぇと、ミカンの実を食いちぎるのに、綱引きで引きずられるように足をズルズルッと滑らせていた。

mejirodai_1.jpg 「そうか、小鳥の足は枝をしっかり掴むようには出来ているが、平らな板は苦手なんだ」と初めて気付いた。世のためになることは何も出来ないが、せめてメジロが心地よく餌が食えるように平板の上に枝を付けてやろうと、公園に枝拾いに出かけた。


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画家と野鳥 [私の探鳥記]

inko1_1.jpg <マティス・メモ>が飽きてきたのでブレーク。机に向かっているってぇ~と聞き慣れぬ鳥の声。「ハハァ~ン、来たな」。実は数日前にも同じことがあって、ベランダ手すりに見慣れぬ鳥が止まっていた。ガラス窓+網戸越しに写真を撮ったが、それではハッキリしない。

 「また来る」と思って、網戸なしにしておいた。その鳴き声が聞こえて、ガラス戸をそっと開けてベランダに出て撮ったのがこの写真。インコで野鳥的認知されているのは大きな「ワカケホンセイインコ」だが、これは逃げた「飼い鳥インコ」(コザクラインコ?)だろう。常緑樹の緑と赤く染まった紅葉に見事に溶け込んでいる。

 ここは新宿大久保。背伸びすれば歌舞伎町が見える地のマンション7Fだが、実に多くの野鳥が飛んでくる。先日はオオタカ〝幼鳥〟(それはチョウゲンボウと指摘されたが、オオタカの幼鳥にも同じような縦斑あり)が、前の建物換気函に止っていた。

 概ね双眼鏡や望遠レンズで観る・撮るが、我家ベランダまで飛んで来るのはスズメ、ヒヨドリ、カラス、メジロ。それにインコが加わったってことになる。マンション管理人は白い鳥も極彩色の鳥も飛んで来ると言うが、鳥は撮らなきゃ証拠にならない。

 先日記した画家・熊谷守一翁は極貧で食い物もないってぇのに、20数種の野鳥を飼っていた。故郷の知人がカスミ網で獲った野鳥で、金なし暇ありゆえ自作鳥籠を作って縁側にズラッと並べてクロジ、アオジ、ヤマバト、イスカ、アカウソ、クロウソ、ジュウナイスズメ、ベニマシコ、カワラヒワ、イカルを飼っていたと自著に記していた。

 マティス晩年のアトリエは熱帯植物園みたいで、観葉植物と鳥がいっぱいだったとか。野鳥は多い時で300羽とか(ホントかいなぁ。美術書は余り信用できない)。そう云えば私は未だ鳥を一度も描いていない。コザクラインコはこの冬を乗り越えられるのだろうか。スズメの群れと一緒にいて、飛ぶのも達者だった。


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戸山公園のオオタカ、撮ったゾォ~ [私の探鳥記]

taka4_1.jpg ブログの写真を絵に替えたが、今日は特別。昨日昼のこと、かかぁが手に双眼鏡を持って「お前さん、ありゃタカじゃないかい」。あたしはカメラに望遠レンズをセットし、ベランダに出た。向かいの団地の突き出た換気扇箱の上に止るは間違いなくタカ。オオタカ・幼鳥なり。

 鳥撮りを熱心にしていた時分に、明治神宮の森でオオタカ育雛の様子を撮った。新宿御苑上空を飛ぶオオタカを幾度も見た。我が家から戸山公園の木に止るオオタカらしきを見て撮った。遠くて点のよう。カメラ抱えて走ったが、もう見ること叶わず。

 衝撃的だったのが、戸山公園を犬の散歩中に早稲田出口手前で、いきなり足許にバタバタ・ドッスンと何かが落ちてきた。なんと、タカがハトを捉えた瞬間。アッと声を上げる間もなく、カラス二羽が舞い降りてハトの奪い合い。タカがハトを掴んだまま森の中(女子学習院裏)へ消えた。息を飲む一瞬だった。

taka2_1.jpg かくも幾度もオオタカを見ているが、撮らなければ証拠にならぬ。で、ついに撮った。しかも我が家のベランダ(7F)から。

 巣立ち時期は夏とかで、狩りを始めたばかりだろう。果たして獲物のハトは獲れただろうか。

★自分のブログなのに返信できませんので、ここに書きます。「沖の太夫」さんから、オオタカではなくチョウゲンボウとの指摘をいただきました。ありがとうございます。小生はオオタカ(幼鳥)とチョウゲンボウの識別ができません。★あらっ、失礼致しました。愛犬を亡くされたのですね。小生も島へ行く度に同伴していたコッカーを亡くして、大好きだった島の庭に墓標を建てています。


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あぁ、双眼鏡が溶けて行く! [私の探鳥記]

sougankyoa_1.jpg 7月某日。「あっ、あの鳥は」。ベランダ側のチェスト上に置いてある双眼鏡を手にして「ゲッ」とした。気持ち悪くベタつく。数日前まではなんともなかった。消毒綿で拭く。次に中性洗剤で洗うがベタつきは消えない。「何じゃこりゃ」

 ひょっとしてと、自室の同種双眼鏡も確認した。ありりゃ、ラバーの一部が欠落しているじゃないか。「そんなバカな」。いじっていたらボロッとラバー部が剥がれ落ちた。「な・なんだ。怪奇現象でも起きているか」

 落ち着いてネットで「ニコン双眼鏡がベトベト」と検索。案の定、何件もヒットした。「ラバーコートが経年劣化で溶けてベトついたり、剥がれたりする」とあった。皆さん、ベトベト除去に四苦八苦されていた。

 製品は「Nikon sportstar」10倍。2008年11月に1万円ほどで購入。使い勝手がいいので、かかぁにも同じのを買った。小型軽量で携帯便利。ピント合わせが素早くできバードウォッチングに最適だった。

 そして7年目のこの惨状。こうなることがわかっているのだから、メーカーも販売店も「7年ほど経ちますと気持ち悪いベタ付き現象が起きますが、それでもよろしいでしょうか」と言うべきだろう。1万円の双眼鏡、かつ7年後のことゆえにユーザーは我慢だが、高額の光学機で同現象が起きたらどうするのだろうか。これはカメラのグリップ部分でも起こるとか。

 ネットには、ベトベト除去には無水エタノール(アルコール?)で拭くのがいいとあった。また「気持ち悪いからずべて剥がしたら30グラム減でスッキリした」のレポートもあった。怪奇現象ではないとわかってホッとし、あたしも全ラバーを剥がすことにした。ボロッと剥がれてスリムになった。あなたの双眼鏡やカメラは大丈夫でしょうか。(追記:友人のブログで、この現象を「加水分解」と知った。彼は雪山用ゴーグルが「加水分解」して壊れたとサラッと記していた。ネットを見るとスニーカーの踵部分もそんな現象が多く起こるらしい)


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新宿のツバメ初認データ [私の探鳥記]

tubame2_1.jpg 4月10日、7階ベランダに立っていたら眼前をスィ~とツバメが飛んだ。「まさか!こんなに寒いのに」と眼を凝らした。間違いなく数羽のツバメが飛び交っていた。そう云えば数日前に〝アレッ、あの鳥は~〟と思ったことがあった。やはりツバメだった。

 ソメイヨシノは咲いたが、ここ最近の〝寒の戻り〟で、気分は未だ寒さに耐えている。〝ツバメ飛来〟は似合わない。

 だが自分の過去ブログで確かめてみれば、例年通り(左記表を参照)だった。早く暖かくなぁ~れ。


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カラスの子巣落としされて巣立ちかな [私の探鳥記]

karasu1_1.jpg アッと驚いた。多分、買い物にでも行っている間だったのだろう。カラス営巣の欅が丸裸(巣落とし)にされていた。営巣中写真は、4月26日のブログにアップ済。木々の繁りに準じた巣作りがあまりに巧妙で、今年は繁殖に成功するかも、と記していた。

 以来、木々が茂り、その後のカラスの様子はわからぬも、茂みの中に入るカラスの姿やうるさい鳴き声は聞こえていた。

 あたしは「所轄〝所〟にチクらぬ」と言ったが、やはり近所の住人はカラスの巣に気付いて通報したのだろう。だが、時すでに遅し。丸裸の欅を見れば、親カラスらしきが飛んで来た。子らはどうしたのだろう。今度は二羽が寄り添うように丸裸の木に止まった。よく見ればクチバシ脇がやや赤い幼鳥なり。まぁ、二羽の子がここまで大きく育っていたんだ。

karasunoko1_1.jpg 「巣落とし」は抱卵中か育雛中に行って繁殖を阻止するものだが、今年は余りに巧妙な巣作りだったゆえに、親カラスと子カラス四羽の茂みへの出入りに至って、初めて巣が気づかれた。これでは「巣落とし」が、強制的に「巣立ち」を促したようなもの。突然に巣を失った親と子の四羽のカラスの鳴き声のうるさいこと。

 東京人の出生率は1.12(2010年)だが、自宅眼下のカラスは2.0を確保した。四羽のカラスが「人間に勝ったゾゥ~」と勝どきをあげているように鳴いている。


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息災か窓越しに逢ふカワラヒワ [私の探鳥記]

kawarahiwa1_1.jpg 過日、テレビに加山雄三の番組が流れてい、あたしは「おめぇ、あの頃に通っていた江の島マリーナの、トキワ丸の隣に光進丸があってさぁ」と話し出したら、「おまいさん、静かに。ヴォリュームを下げて。ホラ、何かが鳴いているよぅ」。耳を澄ませば「キュロキュロキュロ~」。ビル街の新宿・大久保ながら耳慣れたスズメ、ツバメ、ヒヨドリ、メジロ、シジュウガラ、ムクドリ、オナガでもない鳥の鳴き声。

 ベランダに出た。鳴き声はマンション向かいの街路樹・ハリエンジュ辺りから。眼を凝らすと、風に揺れる茂みの中に茶色の点がひとつ。双眼鏡で覗く。文鳥のような太い嘴、茶色の胸の鳥がこっちを見ていた。

kawarahiwa3_1.jpg 望遠レンズで高速連写。シャッター音が届いたか、被写体がパッと飛び去った。それでも四枚撮れてい、その一枚に黄色の翼を広げた飛翔カットあり。「カワラヒワ」だ。

 撮れた写真をパソコン・モニターで観つつ「おや、以前にも同じ絵を見たことがあったなぁ」と思った。自分のブログ内を検索すれば、写真はないも「ハリエンジュの若芽を啄むカワラヒワ」の記述が幾度かあった。どうやら幾年も同じ時期・同じ場所にカワラヒワが来ているらしい。我が家の窓越しに見る野鳥定番仲間にカワラヒワを加えることにした。


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雀の子生きろ生きろと手を出せず [私の探鳥記]

suzumenoko_1_1.jpg 昨日、巣立ち直後の雀の子がベランダに飛び込んできた。飛び立てず「チュ~ン・チュ~ン」と鳴いていた。かかぁが「いやだわぁ、あたしのことをジッと見ている。お腹が空いているのかしら」と言う。

 先日のこと。大久保通りは若松町を歩いていたら、道路際で雀の子がヨロヨロしていた。道路に出れば、車に轢かれよう。ソッと立ちはだかって、住宅側に追いやった。ヒョイヒョイと頼りなく跳ねながら安全な場所に移動。それを空から見ていたか、親雀らしきが「チュンチュン」と飛んできて、ホッと胸を撫で下ろした。

 「ヒナには手を出すな」と読んだ記憶がある。さて、ベランダに飛び込んできた雀の子をどうしようか。この位に育ったヒナが、地上で餌を啄んでいる姿を何度か見てきたし、かかぁの「お腹が空いているのよ」に、米菓子を砕いて撒いてみた。だが食べず、動かず、ただ鳴いているだけだった。

 いろいろあったが(部屋にも入ってきた。カラスから逃げたのかも)、撒いた餌が好結果を生んだ。夕刻前に撒いた餌に一羽二羽と雀が集まりだし、ベランダがちょっと賑やかになった。その中に親鳥がいたのだろう。ベランダに撒いた米菓子がなくなって、気付くとヒナも飛び去っていた。夕餉は雀のヒナの無事を祝して乾杯。

 かつてヒナに遭遇が二度ある。ウォーキング中の早稲田で巣から落ちたヒナを拾い、育てようと試みたが、結局は死んだ。二度目は巣鴨・本妙寺で、地に落ちたヒナを見つけた。この時は若い坊さんが手に乗せて持ち去った。巣を知っている様子で「まぁ、これなら死んでも供養されよう」と見送った。

 ここ数年、時にマスコミに「スズメ激減」の報が載る。20年前に比して20%、10%に減ったとか。だがウチの周辺では、実に多くの雀を見る。しかも二度も迷えるヒナに遭遇だ。本当のところは、どうなのだろうか。


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今年こそ子育て成るや烏の巣 [私の探鳥記]

karasu1_1.jpg 毎年、巣を作る度に「巣落とし」されるカラス。昨年は営巣する辺りの欅の木々の枝をことごとく切り落された。かくも毎年繰り広げられる人とカラスの闘い。だがヤツラは決して懲りぬ。めげぬ。

 今年も何処からか「針金カラーハンガー」を集め出した。今どき「針金ハンガー」を使うお宅も少ないだろうに、何処から運んで来るや。昨年枝打ちされ、新しい枝と葉が伸び始めた天辺下での営巣。また「巣落とし」されようと思っていたが~。

 今年のカラスは実に賢く巧妙だった。木の下から見上げて、巣が見えぬ絶妙の位置。とりわけ感心は、春の枝葉の茂り具合に準じた巣作りペースで、巣が完成するに従って、巣は見事に隠された。同時に抱卵か。慌ただしく巣作りしていた二羽のカラスは、ぷつっと姿を消した。もうカラスに注意する人は誰もいない・・・。

 だがマンション七階から見下ろすあたしの眼は誤魔化せぬ。強風が吹いて若い枝葉が揺れ流れた瞬間に望遠レンズのシャッターを切った。針金ハンガーや太い枝に支えられた上に、鉢状の見事な産座が出来てい、♀らしきカラスが籠っていた。ブルーの瞬膜と嘴(写真)、また尾羽を突き出したカットが撮れた。

 カラスは嫌いも、あたしは町(行政)にチクらぬゆえに、今年のカラスはなんとか無事に孵化・子育てに至るやもしれん。巣の周りの枝葉はますます繁ろう。強風で枝葉がよほど大きく揺れ流れぬ限り、あたしにも垣間見ることならず。問題はこれからの子育て時期に、親カラスが再び頻繁に餌運びをするだろうが、そこで如何に住民チョックが入らぬよう静かにコトを展開できるかだろう。


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オオタカぞ獲物掠めのカラス追ふ [私の探鳥記]

 目下、我が家にコッカースパニエル犬種「オッちゃん」が居候中。共稼ぎ若夫婦のマンション暮しで 留守番が日常ゆえに朝、昼、夕に散歩に連れ出している。えぇ、ブログをやるほど閑がありますんで。「いざ、野生よ甦れ」とばかりに老体に鞭打ち犬と小走り。そんな一月二十二日の昼下り、得難いシーンを見た。

 

散歩地は箱根山・戸山公園。その早稲田寄りで長玉のご婦人が「まだ啼かぬがウグイスがいる」といった辺りの前方で、突然の羽搏き音とドサッと何やらが落ちる音。落下点に眼を凝らせば、おぉ、オオタカらしきがムンズと獲物を仕留めての着地。餌食はハトか。一瞬後に獲物を掴み直し、慌ただしく飛び立った。なんと、それを追って二羽のカラスが追撃した。三羽は低空飛行のまま林奥(女子学習院内)に消えた。

 

 同地で別の長玉の旦那に訊けば「それで一時はハトの数が減り、オオタカも姿を消した。ハトが殖えて再び来たってワケだ」。こんな時に限ってカメラを持参せず。いや、余りの突然でフォーカスは出来まい。逆に脳裏に忘れ得ぬシーンとして焼き付いた。

 

 同地の友にそれを話せば「大蛇(巨大アオダイショウ)もいる」の話で盛り上がる。新宿に残る原初か、はたまた甦りつつある野生か。

 

 細川都知事候補は演説で、人口学者の説をひいて100年後に日本の人口は江戸時代に近い4千万人になると言った。ウィキペディアを見ると、明治3年の日本の総人口は3千400万~3千300万人で、江戸・東京は諸説あるも150~200万人都市だったらしい。新宿は大久保、まぁ、至るところ原野あり。箱根山・戸山公園は広大な尾張藩下屋敷だった。


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雑踏の路に骸ぞメジロかな [私の探鳥記]

「荷風さん千疋屋でメジロ買ふ」の写真は、我が家マンション七階ベランダのローズマリーにやってきたメジロ。ベランダにメジロが遊びに来るのは今年で四年目。三年前が一月十八日より。二年前が二月七日より、昨年が一月十日より。そして今年の初訪は一月九日だった。この日から花々が咲き誇る春まで、メジロらは日々通ってくる。食卓から、またホットカーペットに寝転び読書しつつ、間近にメジロを見る愉しみの始まり…。

 

 と期待したが、二日でパタッと姿を見せなくなった。どうしたのだろう。隣のマンションが大規模修繕で足場を組み始めたせいらしい。落胆の一月十七日のこと、ウォーキングを兼ねて新宿西口ハルク地下に魚を購いに行った。ハルク五、六㍍手前の雑踏歩道に、メジロの無残な死体があった。人の流れに沿っての一瞬の映像。ウグイス色の羽根、裂かれた腹を晒して潰れていた。踏まれもしたらしい。

 

 メジロ好きのあたしらにはショックだった。五、六歩を歩いてから二人同時に「今のはメジロだったよなぁ」「間違いなく」。いったいどうしたのだろう。「誰かの仕業。いや人じゃないよなぁ」「うん、あれは空から落ちたような」「カラスに殺られたか」。あたしらは何年も前のこと、高田馬場へ行く途中の公園脇路上で、カラスがハトの肉を食いちぎっている光景を見たことがある。

 

「新宿西口の雑踏のなか。カラスでもスズメでもなくメジロの遺骸。見方を変えれば、それだけ都心にメジロが殖えたってことか」「去年は家のマンション七階に三番、六羽のメジロが遊びに来ていたし…」それにしても無残な映像。辛いものを見てしまった。

 

 花鳥風月を愉しめば、無残な花鳥風月にも触れざるを得ぬ。自然の摂理は致し方ないも、人の傲慢による自然破壊は計り知れぬ。かつて“美しい国、日本”とか叫んでいた奴がいて、やっていることは経済優先と強国願望らしい。


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年の暮スズメと遊ぶ皆一茶 [私の探鳥記]

suzume1_1.jpg 下町の印刷屋に行った帰りに、上野下車で不忍池を歩いた。餌を持ちスズメを手に寄せるオジさんがいた。数人のオバさんらが感心して見入っていた。オジさんのあたしは写真を撮った。年の瀬だが皆さん隠居世代。持て余すほどの隙(ひま)がある。

 

スズメと云えば一茶が浮かぶ。一茶が「我と来て遊ぶ(べ)や親のない雀」を詠ったのは文化11年の52歳の時らしい。三歳で実母を失い、八歳の時に迎えた継母になじめぬ孤独を思い出しての句。

 

しかし同句を詠んだ頃から一茶の人生は一変する。52歳で三度目の帰省。長かった相続争いに一応の決着をみて、江戸を諦めて田舎暮らし。28歳の「菊」を娶った。若い妻を菩薩様、観音様と「夜五交合」。「菊」が亡くなると62歳で二度目の妻、38歳「雪」を娶る。すでに中風で歩行困難、寝小便もする一茶が床を迫って「雪」は逃げだした。

 

64歳で三度目の32歳の妻「やを」を得る。今度は気立てがよくて、そんな一茶を菩薩のように抱いてくれた。同年11月に一茶逝去。(参考:丸山一彦校注『一茶俳句集』、藤沢周平『一茶』)

 一茶の晩年は若い女房がらみだが、今ここ不忍池で雀と戯れるオジさんオバさんの一茶たちは、歳相応に枯れてい、しばし「スズメ談義」を愉しんだ。全国の高齢者、隠居の皆さま、年の暮をいかがお過ごしでしょうか。「余計な御世話だ」「おっしゃる通り。あたしは昨夜、心臓がちょっと痛かった。皆さん、健康にお気を付けて…」


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巣立ちしたツバメにカメラ罵声浴び [私の探鳥記]

sidati1_1.jpg 喫茶店で読書の帰り、近所の「明治通り」で巣立ちの子ツバメらを見た。最初は道路上の電線の一羽に「あれっ、スズメじゃなし」と注視。近くの電線にも三羽・四羽。眼を凝らせばツバメの子だった。上空で親ツバメが飛んでい、時に子ツバメらは黄色い嘴を開いて餌を求めていた。

 今までにツバメの巣立ちを幾度か見てきた。明治神宮の池前のロープに並んだ子ツバメらに、親鳥がホバリングしつつ喉奥まで頭を突っ込んで給餌するシーンに見惚れた。近所のマンション駐車場で繁殖のツバメを巣立ちまで観察し、空になった巣を淋しく見ていた数日後のこと、ビル路地の小さな木に親子ツバメが羽を休めているのを見た。熟帰りの子を迎え待つ車の真上で、見惚れていたら運転席から婦人が出てきて「あのぅ、私の車に何か・・・」と出てきた。

 さて、明治通りの子ツバメら。通行人は多いが誰も気付かぬ、関心もなし。渋滞気味の車の疾走が続く。自宅に戻って望遠レンズを持ってきた。八月ゆえ二番子(今シーズン二度目の子)だろう。子ツバメらは飛び立つも、餌が捕れぬか、疲れるかでまた電線に戻ってしまう。親ツバメに黄色の口を開くも無視され、また飛んでみる。そんな可愛い姿をカメラに収めていたら・・・。

 「なんでビルを盗み撮っているのよ」。いきなりオバさんに怒鳴られた。カメラを取り上げ、交番にでも連れて行こうかの剣幕に、「ツバメの巣立ちだよ」。オバさん、狐につままれたように固まってしまった。彼女には想像もしなかっただろう言葉が返ってきて、頭が混乱しているようす・・・。

 喫茶店で『絵本江戸土産』や『江戸名所図会』関連書に読み耽り、ツバメの巣立ちに想いを馳せたあたしは、物騒で世知辛い世に生きる人々とは、ちょっとかけ離れ過ぎちゃったような気がした。


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ウソの群れ鷽替えできぬ糊塗晒し [私の探鳥記]

uso3_1.jpg 大晦日に自宅前公園で見た「ウソ」。鳥撮りだった血が騒いで、元旦朝「ウソ」を撮った。ウソは群れていた。大雪の影響か。上が♂。

 「鳥撮り」はやめた。160種ほど撮ったが、その先は珍鳥の部類。季節巡りへ心寄せるには、かけ離れた種だろう。だが珍鳥・稀少種には惹かれる。撮った人が羨ましい。秘密の場所が気になる。現場に行けば鳥を留める餌付けがされ、いい写真を撮ろうと喧嘩も始まる。撮影機材への欲も湧く。心が卑しくなりそうで、それ以上の鳥撮りはやめた。

 しかし160種ほどの野鳥は、四季の移ろいに心を寄せる拠りどころ。人の営みに寄り添っている。「いまは山茶花にメジロが群れ、その混成にシジュウカラ、エナガ、コゲラ、キクイタダキが混じっていようか。蕾や残り実に集う野鳥らは・・・」と思う。「ウソ」はソメイヨシノの蕾を好むが、写真の木の粟粒のような実を啄んでいた。なんという木だろう。(紅葉のプロペラ状の真ん中の種を食べていた)。風流領域だな。

 「ウソ」の群れを撮って、季重ね承知、世相詠む新年川柳・・・。<ウソの群れ鷽替えできぬ糊塗晒し> 原発事故は「鷽替え」では到底拭えぬ汚染が人々を苦しめる。安全神話の糊塗がバレた。進まぬ復興、領土や基地問題、日中韓外交、政治家の利権・保身、格差問題、膨大な借金、老後不安、子を産めぬ環境、過疎の村々、孤独死、教育現場、シャッター商店街・・・。歳時、風流の「鷽替え」では収まりきらぬ段階に入って「日本、正念場」。


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雀の子独り立ちだと最後の餌 [私の探鳥記]

suzume1_1.jpg ベランダのローズマリーに毎春遊びに来るメジロ用に設置の小枝がある。メジロが去って、次第に目障りになって来た。「来春まで外しておきましょうか」。そんな会話をしていたら、昨日、スズメの子が止まった。チッチッチと満腔の啼き声。身体は一人前だが、よく見れば嘴が未だ黄色。そこに親スズメが来て餌を与えていた。部屋の中からガラス越しにカメラを構えると、三度ほどそんなシーンを展開して、親子スズメはどこかに飛び立った。

 三軒隣マンションのツバメの巣にも五羽の雛が孵ってい、そろそろ巣立ちだなぁと思っていたら、昨日一羽もいなくなっていた。一昨年だったか、巣立ちしたツバメ一家が、夕暮れのビル狭間の植え込みの枝に集っていた。今年も、彼らが旅立つまでに、どこかでもう一度逢えるかしらと思っている。

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新宿の生まれを知るやツバメの子 [私の探鳥記]

tubame5_1.jpg 三軒隣マンションの地下駐車場入口天井にツバメの雛が孵っていて、ちょっと驚き、嬉しかった。この営巣場所は平成21年(2009)より観察も、一昨年のこと、車に糞が落ちるのを嫌ったヤツが棒で巣を突くなどしたそうで、以来、ここで営巣しなくなっていた。また明治通り沿いビルの駐車場天井にも巣が出来たが、やはりツバメより車が大事の輩が巣を落としていた。

 それでも永年ここで育っただろうツバメ一族は、季節になれば、必ずこの近所に舞い戻ってくれる。今年の初認は4月4日。近所の円形駐車場ビルの高層階辺りに営巣した様子だった。ツバメの巣を棒で突っつく輩がいる場所より、そっちの方が安全だろうと、その見事な飛翔を愉しんで来た。

tubame3_1.jpg そんなワケで、従来巣(空き巣が三つもある)での営巣はないと思っていたのだが、先日のこと、眼の前をスイッとツバメが横切って例の巣に入った。で、覗いたら、いつの間にか写真の通り5羽の雛が孵っていたってわけ。かくしてこの辺りの彼方此方でツバメが営巣・繁殖中。概ね5羽の雛が孵り、2番子の繁殖もあるわけで、我が家近所のツバメは年々個体数を殖していると思われる。

 写真下は7階ベランダで頬を掠め飛ぶツバメ飛翔。素早い飛翔ゆえ望遠レンズでフォーカスままならず。標準レンズで被写体深度を深くし、ファインダー見ずにマニュアルで高速連写。この撮影がけっこう愉しい。そろそろ子ツバメたちの巣立ちでしょう。

 6月19日の朝日新聞に「ツバメが消えゆく街~再開発で巣が減少」なる記事が載っていた。ちょっと前にはスズメ減少が話題になっていた。あたしんチ辺りはスズメも多い。


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巣落としの創痍カラスや今朝も啼き [私の探鳥記]

karasu1_1.jpg 佐藤春夫邸調べをしている間のこと。ベランダから鳥を見ていると、昨年も同時期に営巣して「巣落し」されたカラスが、また営巣を始めた。このカラス、昨年に「創痍カラス」と名付けた羽抜けカラス。疥癬だろうか、羽が抜けて羽軸(うじく)だけが残るスケスケ翼の♀カラス。

 あっちのハリエンジュに針金ハンガーが集まり出したら、産座も出来ぬ前に素早い「巣落し」。造園業者だろう。ついで?に見事に剪定もした。

 ややして、今度はこっちの欅に針金ハンガーが集められた。今どき針金ハンガーは少なかろうに、どこから集めてくるのか。そう思って見ていれば、またも「巣落し」で、ついでに欅も丸ハダカの剪定。いずれも産卵前の素早い撤去。見ていると目下は三度目の巣作り中。疥癬?がうつったか、♂カラスの翼もボロボロになってきて、この番カラスが飛んでいると悲壮感が漂っている。

 3年前には雛が孵った。昨年はこの辺に「オナガ」が居付いて営巣しかけたが、このカラスが追い払った。うむ、コヤツとは3年越しの付き合いか。佐藤春夫邸の長い歴史を探ったが、このカラスにも物語はある。今朝も5時に彼らの哀しげな啼き声が響き渡って眼が覚めた。吉原の都都逸じゃないが「三千世界のカラスを殺し~ぬしと朝寝がしてみたい」。写真下の右が羽抜け♀カラス。

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頬掠め鳴き声残し遠ツバメ [私の探鳥記]

tubame1_1.jpg 4月4日のツバメ初認から、ベランダに立ち、ツバメのシャープな飛翔を眺める愉しみが増えた。換わっていつまでもベランダのミカンを求め来ていたメジロが、やっと姿を消した。満開の桜に場所換えしたのだろう。

 ツバメの飛翔は素早く、なかなか目で追えぬ。見失った瞬間に、頬を掠め飛び、彼方上空で鮮やかなターンをして見せる。時に「キチキチッ」という鳴き声を耳元に残して、彼方で鮮やかに飛んでいる。

 例年、二軒隣マンションの地下駐車場入口の天井で営巣していたが、車に糞が落ちたのを嫌った奴が巣を落としたそうな。もう、この街にはツバメが戻ってくるのを歓迎する人は少なく、今日の稼ぎが気になる異国の言葉が飛び交っている。今年のツバメはどこで営巣するのだろう。


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子規庵のじゃがたら雀異邦鳥 [私の探鳥記]

sikiann1_1_1.jpg 根岸の「子規庵」に区切りをつけようと思ったが、ひとつ引っかかった。子規が庭の「追込籠」で飼っていた鳥のこと。まずは「青空文庫」でも読める「病牀苦語」の一部を要約・・・。「或人の庭に捨ててあった大鳥籠は、土地に据える円錐形の高さ一丈ほどのもの。これを窓際に設けた。キンパラ二羽、ジャガタラ雀一羽、鶸(ひわ)とキンカ鳥の各番(つがい)、カナリア三、四羽」を入れた。「仰臥漫録」にも「じゃがたら雀が籠からぬけて糸瓜棚松の枝など飛びめぐるをみつける」などの記述あり。

 あたしは鳥撮りだから、知らぬ鳥が気になる。ネット検索すると「雀をジャガタラ雀と呼んで、子規の雀を愛しむ心がみえてくる」なる文章があったりして、「ちょ・ちょっと待ってくれよ」と思う。いくら子規でも、雀を「ジャガタラ雀」とは言わぬだろう。きっとそういう名の鳥がいたに違いない。野鳥サイトを巡れば沖縄で「ジャガタラ雀」を撮っている方がいた。ジャカタル雀、キンカ鳥、キンパラ共に主に東南アジアのスズメ目カエデチョウ科。

 まずキンカ鳥はオーストラリアやインドネシア原産で各国に移入。♂の嘴が鮮やかな赤、喉から脇腹がゼブラ模様。英名はゼブラフィンチ。キンピラ(金腹)は黒の頭・胸で腹は赤茶色。シマキンパラも同じくアジア分布で、胸から腹に鱗(網)模様がある。この模様がさまざまで亜種多彩。インドネシアの亜種が「ジャカルタ雀、アミハラ」などと呼ばれていた。子規の庭には、明治の頃に盛んだった輸入鳥が囀っていたことになる。

 子規は「仰臥漫録」で渡り鳥と記しているが、「留鳥」だろう。日本では「輸入鳥」で、「ジャガタラ雀」は籠抜けして沖縄で繁殖している。同じくアジアからの外来鳥ガビチョウ、ソウシチョウは東京でも繁殖、生き残っている。


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ずるずるとバイオフィルムやシギの餌 [私の探鳥記]

tounen1_1.jpg <ずるずるとバイオフィルムやシギの餌>

 この句というか文言は、俳人には理解不能だろう。昨日の新聞に5段抜きで、「シギ、干潟の膜ペロッ」のタイトルで、シギの仲間が「バイオフィルム」を食べていることがわかったと載っていた。「バイオフィルム」は細菌や微細な藻類などが出すヌルヌル物質。

 研究者が写真(左からトウネン、ヨーロッパトウネン、ハマシギ)のようなシギの採餌観察から、そこにゴカイ系生物がいるワケもなく・・・と調べて、小型シギらが「バイオフィルム」を食べていて、なかには1日の餌の6割強を占めて、まさに主食になっていたことが判明した、とあった。

 そんなことが今頃になってわかったんですねぇ。この分野の研究がいかに遅れているかにも驚いた。今朝の新聞にも「メボソムシクイ」の鳴き声が三種あると疑問に思った研究者が、190万~300万年前に3種に分かれていたことがわかったという記事が載っていた。


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カラスらも諍ひ越えてキレてをり [私の探鳥記]

karasu2_1.jpg 自宅ベランダから戸山公園・箱根山(尾張藩下屋敷跡)を見ると、またオオタカらしきが飛んでい、木の枝に止まった。それってんで、カメラを持って家を出たが、また撮れず仕舞い。代わりにカラスの闘いを撮った。

 5、6羽のカラス(撮ったのは2羽VS1羽だが)が、一羽を猛攻撃。見ていて、たじろぐ程の凄さだった。どんな事情があったのだろう。 <カラスらも諍ひ越えてキレてをり>

 キレる原因をちょっと勉強した。甘い物好き⇒大量の糖分処理に⇒すい臓からインシュリン分泌⇒血糖値急低下⇒さらに甘い物が欲しくなる。この悪循環で糖尿病、ホルモン急変化の情緒不安定で「キレ」易くなる。または高血糖値の血が酸性になり、これを中和するのにカルシウム消費。カルシュウム不足で脳細胞に影響⇒「キレ」易くなる。カラスも人の残飯漁りで、糖分摂り過ぎ+カルシウム不足=「キレ」易くなっているのだろうか。そんなバカなぁ。


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この春に市民権こそ祝メジロ [私の探鳥記]

utimejiro1_1.jpg 昨年2011年7月13日、環境省が野鳥で唯一、観賞用に一世帯につき一羽の飼育を許可していたメジロを、今年4月から捕獲・飼育を原則禁止と決めた。いよいよ、その施行が迫って、メジロが晴れて「完全市民権」とばかりに歓んでいる。

 今春、わが家のベランダに待てども来ぬメジロだったが、昨年より20日遅れ、2月7日から姿を見せ始めた。ローズマリーの上に止まり木を拵えて、ミカンを置けば、時に4羽のメジロが枝に止まったりする。これまた昨年の例だと、新宿御苑の寒桜が咲く頃に、わが家に遊びに来るメジロらが姿を消す。公園の彼方此方で花が咲き始め、花の蜜を吸いに去って行くのだろう。しかし今年は寒波・大雪で、未だ梅も寒桜の蕾は固いまま。もうしばらく眼を愉しませてくれそうです。

※新宿御苑の梅や寒桜はまだ固い蕾だが、きのう、新江戸川公園に行ったら大きな紅梅が八分咲き。芭蕉庵先の江戸川公園の梅も咲いていた。


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ホオジロかメスお独りの冬梢 [私の探鳥記]

hoojiromesu1_1.jpg 遠目で冬鳥「カシラダカ」と思ったが、ホオジロのメスだろう。ホオジロは概ね、あの長く元気な囀りで歌舞伎の隈取りのようなオスを見つけ、そして傍らの控えめのメスを見る・・・が常だった。

 葉の落ちた冬の梢に一羽、凛としたホオジロのメス。「おひとり様」のお嬢さんのようだった。そう云えば草食系男性はわがまま彼女はうざったく、仕事のできる女性は同世代男性が頼りなく、晩婚の世になってしまった。

 江戸、明治の男たちは全員ロリコンぢゃないかと思うほどの少女を娶っていたが、今は男はオジさんになって、女は大年増になってようやく初婚。世界人口爆発も、日本人は減少一途・・・。

メモ1:百万都市だった江戸は、明治維新で侍が国元に帰って40万人に減った。明治20年頃になるとまた人口が増えて100万人を越えた。「ユリイカ」の特集・江戸の文学、井上ひさしとの対談で暉峻(てるおか)康隆の談。

メモ2:東京の人口推移=昭和14年・700万人、昭和20年=350万人、昭和30年=800万人、平成22年=1300万人。

メモ3:江戸時代の平均年齢は38歳前後らしいが、これは幼児の死亡率が高かったためで、21歳以上になれば男女共に60歳位だった。(メモ2・3は面倒なので出典省略)


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稀少種のコウライアイサ人を呼び [私の探鳥記]

kourai4_1.jpg 昨日の続き。酒匂川のコウライアイサで鳥撮り3年半、ライフリスト159。鳥撮りと同時に始めたブログは、ページビュー累計約52万。鳥撮りもブログも方向性を見失っている。

 酒匂川の土手を駅に戻る途中で、同好の士に声をかけられた。「もう長いんですか」 「いえ、3年半。当初の意欲が失せて、コウライアイサで久々に重い腰が上がりました」 「ふふっ、私も同じだ」 「今じゃライフリストも増えません」 「それでいいんですよ。巡る季節を身近な野鳥と共に愉しむ。身近な鳥でも同じ写真は撮れませんからね」 「ええ、鳥撮りで暮しが豊かになった」 「比して鳥撮りを暮しの中心に据えたマニアックな方々もいる・・・」

 なにやら面白い問答になってきた。同年配の士は続ける。「マニアック、つまり夢中になると風流の域を越えて専門的に、一途になる。いきおい視野と心が狭くなってくる」 「あぁ、よく偏屈、狷介なご仁がいます」 「我々は鳥類学者でもプロの写真家でもない。暮しを豊かにしたくて野に出る、野鳥を見て撮って愉しむ」 「ふむふむ」 「片や隠居後の暮しを<鳥撮り中心にした方々>がいる。或いは仕事は現役だが仕事が面白くないか身過ぎ手段に過ぎずで、鳥撮りを暮しの中心に据えた方もいる」 「そうなって来ると鳥を求めて西東、珍しい鳥を求めて各地へ神出鬼没・・・」「もうセミプロの域、一途の道です。そうした方々と、鳥を暮しの風流として愉しんでいる方々との間には見えない一線があります」 「おっと、分かれ道ですよ」 「私は車で沼津まで帰りますが、どちらまで」 「電車で新宿に帰ります」 「お互い好きですねぇ。またどこかでお逢いしましょ」 隠居同士の会話を、雪を被った富士山が嗤っていた。

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