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ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』メモ➀スハルト将軍の大虐殺 [政経お勉強]

41sShaCb+ZL._SX315_BO1,204,203,200_.jpg シカゴ学派は➀利益障害になる政府の規則・規制の全撤廃。②政府所有資産で企業が収益可能なものは全民間へ売却。③公的予算の削減。つまりグローバリズムの推進、医療・郵政・教育・年金などの民営化。貪欲奔放な資本主義のあるがままを主導した。

 ちなみに日本の主な民営化は1985年に日本電信電話公社をNTTグループへ、1987年に国鉄がJRグループへ、2007年に郵政三事業が民営化された。小泉自公政権の経済財政政務担当大臣で、安倍晋三のお友達=竹中平蔵は、シカゴ学派のミルトン・フリードマンの信奉者らしく、非正規雇用を拡大して、その会社で大儲け。日本の困窮層、格差拡大を招いた張本人との指摘が多い。

 さて、アイゼンハワー大統領時代のニクソン副大統領は、共に病的反共主義者で多国籍企業好きのダレス国務長官と彼の実弟ダレスCIA長官らはシカゴ学をバックアップし、イランのモサッデク首相が英国資本の石油会社を国有化して親ソ連政策を行ったことで、影で動いて軍事クーデターを遂行。同首相を失脚させ、親米的残虐的国王の権力を復活させた。同様にグアテマラ政権も崩壊させた。

 チリの学生を政府の金でシカゴ大学で学ばせて洗脳。このプログラムはアルゼンチン、ブラジル、メキシコにも拡大した(財団はフォード財団)。最初のチリ留学生が帰国する頃には、フリードマン本人よりフリードマン主義に徹して、自国の経済学部教授になったりでサンティゴにチリ版シカゴ学派を形成。やがて南米全域に「シカゴボーイズ」がこの「新自由主義」を拡大していった。

a0390578_06175719.jpg だが、この計画は思い通りに行かず。1962年にブラジルは左寄りに舵を切り、1970年にはチリでも人民連合のアジェンデ政権が誕生で、米国大手鉱山会社の支配する銅山をはじめ主要分野で国有化を実施。

 1969年にニクソンが大統領になると、彼は「チリ経済に悲鳴を上げさせろ」と命じ、米国実業界はチリ経済に宣戦布告。ブラジルでも米国支援のブランコ将軍の軍事評議会を成立させ、学生中心の反軍事政権へのデモが盛り上がると。残虐手段をもって制圧した。こうして欧州並みに中間層が核だし、子らも大学へ通えた南米各国が、資本主義の残虐さで崩壊の道へ向かって行った。

 一方、インドネシア・スカルノ政権は党員300万人の共産党と密接な連携を持ったことで、米英政府はスカルノ政権打倒に動いた。デヴィ夫人はスカルノ大統領の第三夫人。大統領が反共軍人・スハルト将軍に軟禁され、夫人らは国外逃亡。

 CIAの支援を得たスハルトは、左派指導者「銃殺リスト」をもって殺しまくった。1ヵ月間に共産主義者50万人、華僑40万人。最大推定300万人とも言われる大虐殺をもって共産主義者排除を遂行。(この残虐さは慶應義塾名誉教授・倉沢愛子著『インドネシア大虐殺』(2020年刊、中公新書)に詳しく、またその残虐実態は2014年のドキュメンタリー映画『アウト オブ キリング』公開で世界中に衝撃を与えた。

 かくしてインドネシアは自然資源(銅、ニッケル、硬材、ゴム、石油など)をグローバル企業の掌中に落ちた。なお著書『ショック・ドクトリン』の前章は、薬物の感覚遮断の拷問手法の詳細レポートで、貪欲な資本主義が軍部と手を結ぶと、いかに残虐はことになるかをレポート。

 また終章ではフリードマンのショック療法を実行した各界の主要人物らの多くが、2006年までに罪に問われ、刑務所に入るか、個人資産を凍結されていると報告。新自由主義は表面上は一応の体裁と合法性をつくろってきたが、今や崖の皮が(多くは醜悪な犯罪行為)明るみになり、大きな富の不平等をはらむシステムが露わになっていると記している。(日本の新自由主義者の罪はどうなる?)

 重ねて記すが、斎藤幸平『人新世の「資本主義」』では、この惨事便乗型資本主義(ショック・ドクトリン)は「気候変動ショック・ドクトリン」にも、「コロナショック・ドクトリン」にもなりうると警告していた。全編読むには至っていないが、ナオミ・ドクトリンの同著は、そんな貪欲な資本主義の怖さが余すことなく紹介されている。小生、図書館本で期限は2週間。返してはまた借りて全編読了しなければ、と思っています。

 写真下はナオミ・ドクトリンの著作集。



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ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン』メモ➀惨事便乗型資本主義 [政経お勉強]

Naomi_Klein_at_Berkeley,_California,_in_2014_(cropped).jpg 同著は上下巻の大作。米国の自由市場主義(市場原理主義=放任資本主義)が、どのように世界を支配してきたかの裏側を暴いている。大惨事につけ込んだ「惨事便乗型資本主義」浸透の悪事で、先に読んだ斎藤幸平『人新世の「資本論」』でも、「惨事便乗型主義」を取り上げて、それは「公共領域の縮小・企業活動の自由化・社会支出削減」の三位一体政策と記し、「気候変動ショック・ドクトリン」もあるし、「コロナショック・ドクトリン」もあると警告していた。

 膨大な同書から、核のひとつだろう第2章「もう一人のショック博士~ミルトン・フリードマンの自由放任実験室の探求~」だけを、ここにメモしておく。

 1950年代のシカゴ大学経済学部に神格化された「シカゴ学派」あり。率いるのは野心的カリスマ的なミルトン・フリードマン。同学派主旨は「市場を自由に任せておけば、おのずと均衡が生まれる。政府の規制、貿易障壁、既得権などあらゆる介入を取り払い、純粋な資本主義の状態に戻して、自由主義を花開かせよう」というもの。

 それが今日の貪欲な資本主義を招いて、新自由主義のグローバリズムへ発展し貧富格差を生み、特に途上国の資源開発で環境破壊を招いている。

 歴史を遡ると、1929年の株価暴落~世界大恐慌で、それは既に「自由放任の終焉・市場原理に任せた結果」と指摘された。ドイツでは世界恐慌をテコにナチスが台頭した。欧米ではファシズムや共産主義に流れるのを警戒して、国民の基本的尊厳を保証すべく、まともな「資本主義」路線に修正された。

naomiklein.jpg 失業を防ぐためにケインズのニューデール政策(公共事業計画)が実施され、米国は社会保障制度を、カナダは公的医療制度を、英国は社会福祉を、仏やドイツは労働者保護制度などを生んだ。

 一方、発展途上国(チリ、アルゼンチン、ウルグアイ、ブラジルなどの南米地域)でも、自然資源の暴落からくる貧困を回避すべく、自然資源(石油や鉱物)などの不安定な輸出に依存しないために、これらを国有化で管理し、収益を政府主導の開発プロジェクトに注入。国内指向型の工業化政策を選択した。

 その結果、これら諸国は1950年代に目覚ましい成功を治めた。公的資金で高速道路や製鉄所などの基幹プロジェクトに力を入れて車や家電などを生産。先進国には高い関税を課して輸入品をシャットアウトした。欧州や北米に近い発展を遂げ、新しい工場で働く労働者たちは強力な組合結成をもって、北米と同じく中産階級を拡大した。子供たちは新設公立大学へ進学し、格差も是正、ウルグアイでは識字率95%。医療も無料化された。

 だがこの成功を苦々しく思っていたのが米国大企業とシカゴ派だった。企業側はシカゴ派を援助し、組合や社会主義化を懸念するニクソン大統領、ダレス国務長官、実弟のダレスCIA長官らが加わって「新保守主義+シカゴ学派」をもって、発達した南米諸国へも反撃を開始した。読むも耐えがたい残虐・破壊工作が展開されて行く~。(続く)

 写真上は著者のナオミ・クライン。(ウィキペディアより) File:Naomi Klein at Berkeley, California, in 2014 (cropped).jpg

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平成を振り返る(6) [政経お勉強]

sihonsyugi1_1.jpg さて、お勉強は行きつ戻りつ。再び水野和夫『資本主義の終焉と歴史の危機』を読み返してみる。「資本主義=経済成長=利潤追求」で、資本主義の〝欲望〟は止まることを知らず。結果、富裕層が資産独占。そのしわ寄せが「格差・貧困」の形で弱者へ集中。かつての圧倒的多数=中間層をも蝕んだ。

 利子率は13世紀にローマ教会公認で生まれたそうだが、日本がそれに餞別をつけるようにゼロ金利へ。令和3年の今「10年国債利回り=0.06前後」。つまり資本主義の機能を失ったまま状態。投資は世界中に行き渡り、儲かる投資先もない。

 イタリア・ジェノバでは山頂までワイン畑が広がり、日本では最北地から山頂にまでウォシュレット普及のエピソードは既に紹介した通り。我家近所では海外観光客皆無もホテル建設が続いていて、リモート勤務推奨で電通本社ビル売却も、超高層オフィスビル建設は止まらない。

 後進国への投資で高利潤を得られなくなった投資家は「電子金融空間=IT(情報技術)+金融自由化(グローバル化)で資本を瞬時に各国へ飛ばしてキャピタル・ゲイン(売買差益)を貪り出した。さらに貪欲にレバレッジ(担保証拠金の何十倍相当の取引可能の仕組み)で稼ぐ浅ましさ。「アベノミクス」も実態経済にも関係なしのキャピタル・ゲインで株価が動いている。

 歯車が狂えば再びリーマン・ショックも起きかねず「バブルと崩壊」の繰り返し。崩壊すれば公的資金投入で大金融機関や大企業は救済も、中間層・非正規はリストラされて貧困層となり、生き残っても実質賃金は下がるばかり。

 著者は先進国の中で最も早く「資本主義の限界」に直面したのが日本と指摘する。1997年からずっと低金利。バブル崩壊も会見した。そこから生まれた新自由主義の「トリクルダウン」で真下の杯におこぼれは届かない。結局は富裕層の欲望主義に過ぎなかった。

 著者は、これら矛盾は資本主義黎明期から内包されていたもので「ゼロ金利は資本主義卒業の証し」と記していた。ではこの先どうしたら良いのか? 目下は解答なしだと記す。出来ることは、せいぜい「強欲・過剰」を控えつつ、新しいシステムの構築模索を続けるのみ、と突き放し。

 次に世界の資本主義分析。米国が「電子金融勇敢」で金融(資本)帝国で君臨した一方、陸の国=ドイツ・フランスはEUで「領土で帝国化」で単一通貨ユーロ導入。だがギリシャなどの財政危機、英国の離脱などで深刻さを増している。生き残るのはどっちか~

 小生は経済学者・哲学者・為政者でもなく、ただの長屋隠居(しかもボケ気味)みたいなものだから、そこからの難しい問題はわからない。ただ現代の私達が直面する「気候変動」や「コロナ禍」対応から、なんとなく新しい方向が見えてくるような気がする。「地球環境」では米国より先んじる欧州に注目。コロナ感染では各国の無理・矛盾が顕在化している。収束に成功した台湾から学ぶことも多そう。

 いずれにせよ「富の不均衡是正」と「教育の普及拡充」が大きなポイントにもなる気がしないでもない。我らの世代は高度成長やバブルで浮かれた時期もあったが、子供や孫らが希望を持てる世界になりますように願うばかり。小生に何が出来るだろうかと~。(このシリーズ完)

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平成を振り返る(5) [政経お勉強]

taisyu1_1.jpg イギリスのEU離脱(国民投票)、トランプ大統領誕生(大統領選)、日本では平気で嘘をつく安倍総理の長期一強を支えて支持率~。これら民主主義の結果をみていると、大衆は愚かだで、それも現実だと認識せざるを得ない。

 そう教えてくれるのは、なんと明治16年(1883=スペイン王制復古の最中)のマドリード生まれのオルテガ・イ・ガセットの、昭和5年(1930)発表の『大衆の逆襲』だった。時はウォール街からの世界恐慌(1929)翌年で、「スペイン内戦」(1936~39)直前。ヘミングウェイ『誰が為に鐘は鳴る』、ピカソ「ゲルニカ」の前。ドイツでは世界恐慌の不安に乗じたナチ党が国会選挙で第2党の議席を獲得した年だった。

 スペインは第一次大戦を中立で過ごすも、インフレで労働運動が活発化。それを鎮圧したリベラ将軍の独裁が続いて、共和制を求める民衆デモが各地に起ろ始めた最中の出版。マドリード大学教授になっていた彼が、当時の時代観察から「以前にはなかった〝群衆(蝟集)の出現〟が普通になったと注目して大衆を分析した。

 彼は大衆を、労働大衆ではなく「19世紀のデモクラシーと科学技術の落とし子」と捉え、特別な資質を有さぬ平均人の総体と捉えた。彼らは自分を特殊な価値と認めず、自分は「すべての人」と同じであると感じていて、そのことに苦痛を覚えるどころか、他の人々を同一であると感ずることに喜びを見出している。自己完成への努力をしない人々、つまり風のまにまに漂う浮標のような人々と捉えた。

 かつての(本来の)デモクラシーは、自由主義と法に対する情熱(自己に厳しい規律を義務付けた)で保たれていたが、今出現した大衆は「喫茶店での話題から得た結論を、実生活に強制し、それに法の力を与える権利を持っていると信じている。そんな彼らが社会を支配するようになったと分析した。

 19世紀が大衆人に恐るべき欲求とそれを満足させるための手段を与えた結果、大衆人は過保護の「お坊ちゃま」と化し、自分をとり巻く高度で豊かな生の環境=文明をあたかもそれが空気のように自然物であるかのように錯覚し、かつ自分があたかも自足自律的人間であるかのように錯覚し、自分より優れた者の声に耳を貸さない不従順で自己閉鎖的な人間と化した分析した(なにやら今のトランプ熱狂派の人々を説明しているようですし、日本の世襲議員もその典型のように思われます)。

 その結果、すべての人と同じでない者、すべての人と同じ考え方をしない者を締め出す危険を帯びて来た、今はそんな残酷な実相を帯びてきたと記す(今のSNSに現われている現象のようでもあり)。今はそんな大きな存在になった大衆に求められるのは、政治の真の国民になるには、より積極的で深い「社会教育・国民教育」ではないか。大衆が深い知性を有して、初めて「真の政治は社会大衆のための、社会大衆とともに、社会大衆のゆえに存在するもの」になるのでは~と教えている。

 当時は財産均等化、文化程度の平均化、男女両性も接近しつつある中間層拡大・平均化にあっての大衆出現だっただろうが、オルテガ『大衆の逆襲』から91年後の現在は「欲望暴走の資本主義」によって「一部富裕層VS大衆(減少する中間層を含む非富裕層)=財産の不均衡化」構図になって、大衆は大きな矛盾と不満を抱いて悶々と生きて。それが民主主義の結果とも思えぬ国民選挙、大統領選挙、嘘で固めた保守党支持の結果を生んでいるように思えるのだが、いかがだろうか。今こそ「さぁ、もっと教育を、もっと勉強を~」というオルテガの声が聞こえてくるようです。

hottanigaoe.jpg なおオルテガはフッサール「現象学」をドイツ外に初めて紹介した一人とか。また弊ブログでお世話になった『方丈記私記』『定家明月記私抄』の堀田善衛はスペイン史の大家。彼のスペイン関連書『スペイン断章(上・下)』や『スペインの沈黙』などが読みたくなってきました。

 左絵は『定家明月記私抄』関連ブログ記事中で描いた堀田善衛の似顔絵。文字は同書冒頭に記された堀田の「世上逆追討耳に満ツト雖モ、之ヲ注セズ。紅旗征戒吾ガ事ニ非ズ」を省略したもの。

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平成を振り返る(4) [政経お勉強]

anposaiketu3_1.jpg 平成24(2012)、12月に第二次安倍内閣、民主党の体たらく。首相は幼児性っぽく「アベノミクス」(金融・財政・構造の各改革)や右翼団体から借用の「美しい国」と嘘っぽいパフォーマンスばかりが見え透いた。「日本を取り戻す」も、トランプ「自国ファースト」に通じる。黒田日銀総裁の「異次元の金融緩和」も怪しく、株価は上がるほどに実態経済とかけ離れて、利ザヤを稼ぐ海外からの「電子金融空間」の仕業と読み取れた。

 小生:平成27年(2015)頃にリタイア(隠居)した。ブログは「鳥撮り」から「鶉衣・方丈記」くずし字筆写、スケッチ開始、青山霊園外人墓地(明治のお雇い外国人)24名の経歴調べ、広重「狂歌入東海道」(全56枚)の狂歌判読・解釈、千駄ヶ谷物語(59回)、朱子学儒学のお勉強(35回)、寛政5年「和田戸山御成記と現戸山公園比較」(24回)、ジャポニスム(22回)、司馬江漢(23回)、牛込シリーズ(43回)などの隠居遊びの場に化した。

 この機会に、平成27年ブログを見直して驚いた。横井也有『鶉衣』のくすし字筆写の合間に、なんと『資本主義の終焉と歴史の危機』の読書メモをアップ。迂闊にも6年を経て再度購読だった。

 平成27年(2015)、9月「戦争が出来る国へ=安全保障関連法」可決。参議院本会議の強行採決風景をテレビで観て、藤田嗣治の戦争画がダブって、こんな絵をブログアップしていた。アーミテージがほくそ笑み、ヒゲの隊長こと佐藤議員が詰め寄る野党議員を蹴散らしていた。(絵は当時ブログ挿絵)

 平成28年(2016)、嘘つき首相の支持率は相変わらず高く、英国は国民投票でEU離脱で後悔し、11月のトランプ大統領が誕生、小池都知事の裏の顔~。ポピュリズム、保守主義、格差拡大が世界を席巻・浸透。どれもが民主主義(国民投票)の結果とは容認し難いも、それが現実とも認識を強いられた。

 平成29年(2017)、明恵夫人が名誉校長だった森友学園への公有地払い下げ、公文書偽造を強いられた役人の自殺。首相お友達・加計理事長への獣医学部新設の便宜~モリカケ問題。平気でシラ~ッと嘘をつく我が国の総理は、その後に「アベノマスク」や『うちで踊ろう』コラボに動画アップなどの失笑失策に加え、「桜を見る会」がダメ押しでやっと支持率低下、塩梅が悪くなれば得意の病気辞任。

 平成31年(2019・令和元年)。令和2年(2020)に「令和おじさん」こと菅内閣発へ。コロナ対策の後手後手、モグモグ会見などで就任当時の高支持率も一気低下で不支持率が上まった。新自由主義のワイングラス重ねての「トリクルダウン」は起らず、富は一部集中で格差は拡大するばかり。格差拡大が民主儀をも破壊する姿をトランプ再選挙で露呈されていた。加えて米中対立、プーチン独裁、民主化弾圧の中国、収束せぬコロナ感染~。相変わらずスッキリせぬ日々が続いている。

 『資本主義と民主主義の終焉』の最後は「資本主義は終焉しても、民主主義は終わらせてはいけない」と結ばれているが、民主主義の怖さ=大衆の愚かさを警告したのはスペイン内戦(1936~1939)前のオルテガ・イ・ガセット『大衆の反逆』(1930年刊)だった。ヒトラーでさえ選挙で多数議席を獲得しての独裁だった。同書では大衆=慢心しきったお坊ちゃまと分析されていた。次にそこを読んでみる。

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平成を振り返る(3) [政経お勉強]

 平成18年(2006)。2月京都議定書発効(平成9年・1997年12月に京都で開催のCOP3での締結が発効。だが紆余曲折が続き、平成27年(2015年COP21)「パリ協定で脱炭素化」が約束された。日本は2020年COP25で再度「化石賞」を受賞。今年になって小泉進次郎奮闘の結果、2050年排出ゼロを実現すると表明)。8月、郵政解散。小泉内閣は自民党総裁任期3年・連続2期迄で、安倍第一次政権へ。平成19年〈2007)。7月に米国の超低金利を前提の住宅ローン「サブプライローン」破綻で「リーマン・ショック」。

 これは2003年からの金融緩和による低金利住宅ブームに、2004年6月の金利引き上げが影響し、ローン利用者が利息も払えぬ状況に陥った結果。住宅ローンが証券化されていて、この証券を扱っていた全米5位の投資銀行リーマン・ブラザーズが経営破綻。他の金融会社も資金調達で株式を一斉に売却しての株価暴落。手放された大きな家を買い漁ったのが富裕層で、彼らは地価が上がってところで売却して懐を膨らませた。

 日本はリーマン・ショックの影響に加え、議員らの「政治とカネ」不祥事、年金記録の行方不明問題。小生:当時の社会保険庁に恨みあり。支払いが遅れると、まぁヤクザのような恫喝。ついにはてめぇの社会年金で穴埋めしろと強要。後に怪しく複雑な年金記録多発が問題になって訪問調査に来たが、後の祭り~。平成22年(2010)、問題だらけの社会保険庁が「日本年金機構」に組織替え。

 同年9月、安倍首相は臨時国会で所信表明した2日後に辞任表明。お坊ちゃま総理は、この時から都合が悪くなると病気理由に政治を投げ出すのが得意。その後に福田内閣、麻生内閣ともに賞味期限1年の自公短命政権を経て、民主党のお坊ちゃま・鳩山内閣へ政権が移った。

 リーマン・ショックの影響は日本企業も及び、とりわけ大打撃を受けたトヨタ自動車は内部保留潤沢のまま「大量派遣社員切り」。他企業も「内部保留と派遣リストラ」が常套手段へ。2008年末、日比谷公園に「年越し派遣村」が出来た。年金問題、派遣社員リストラ~と弱者がいじめられた時期だった。

 東南アジア各国も急激な通貨下落。その中、大規模の公共投資に踏み切った中国だけが安定し、その結果、各国メーカーが中国で部品工場化(サプライチェーン)。資本が流れた中国は世界第2位の経済大国に躍り出た。

hatoyamatei.jpg 平成21年(2009)。1月オバマ大統領就任。黒人差別の映画などを観てきた小生は、初のアフリカ系大統領就任式のテレビ中継を観て鳥肌が立つほどに感銘。そして日本でも政権交代で民主党・社民党・国民新党の連立で、民主党の〝お坊ちゃま・鳩山内閣〟が誕生。日米共に「新時代到来」と期待するも、両者共の腰定まらず、鳩山内閣は1年も経ずに菅内閣へ。

 そして平成23年(2011)3月11日、東日本大震災と福島第一原発1号機の爆発。当日は小生、女房と新宿御苑散歩から帰宅して寛いでいるところに激震。アンティック食器ケースを押さえつつ、自室本棚上に積んでいた「永井荷風全集」がドスン・ドス~ンと落下するのを見ていた。

 政経も自然も「有為転変」。以後、日本はかつてない天災に例年のように襲われ、悪い方へ悪い方へ転がって行く。放出された放射能も消えることがない。写真は〝鳩山お坊ちゃま〟が育ったらしい乙羽通り「鳩山会館」。

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平成を振り返る(2) [政経お勉強]

 平成13年〈2001)、橋本内閣の「金融ビッグバン」と、中曽根内閣の「JT民営化、NTT民営化、 JR民営化」を引き継いだ小泉政権は、さらに進んで「聖域なき構造改革」へ。「郵政民営化。道路関係4公団」民営化をはじめ「官・中央から民へ」と規制緩和、新自由主義(政府より市場の動きの方が正しい=市場原理主義)に併せ、議員らの地元誘致公共事業の無駄も排除。「自民党をぶっ壊す」と拳振り上げるポピュリズム戦略。「内閣の基本方針(骨太の方針)」から各省庁が実施プロセスまで立案させる内閣主導型(これを無思慮・安倍が真似て、なんでも内閣決議のやりたい放題~)

 「聖域なき構造改革」は、アメリカ型経営の導入になって、年功序列型賃金制度から成果主義へ。そのなか通称「竹中プラン」は約90兆円の不良債権処理。弱体企業を次々に切り捨て、生き残った企業で日本経済を復活させる方針。労働構造も経営者と少数鋭意社員、単純作業員(非正社員)に分け、多数の派遣労働者を生んだ。これは北欧などの福祉国家とは逆の自己責任型。(竹中平蔵はその後、大手人材派遣会社の会長職にちゃっかりと収まった)。小泉首相。竹仲平蔵による新自由主義が「富める者vs持たざる弱者」の構図を造ったと評される。

 同年、小泉のお友達ブッシュは、NY同時多発テロでアフガニスタン空爆。平成15年(2003)にイラク戦争へ発展。日本は「イラク特措法」で米国を全面支持で「日米同盟」をアピール。この年の株価は最安値7607円を記録。

 平成15年(2003)竣工の六本木ヒルズには、何かを生産・販売もせずの「投機ビジネス」(ポスト産業資本主義)の新富裕層が住んで「ヒルズ族」と呼ばれた。ライブドアの堀江はニッポン放送を、村上世彰は自身のファンドで阪神電鉄の買収を仕掛けた。さらに小泉内閣は「医療制度改革」も実施(現コロナ過で、その脆弱さが露呈と指摘されている。

SIMABENCH.JPG 小生:スタッフ7名を抱えた〝社長ごっこ〟から、再び原点の一人フリーランサーへ。年齢相当にカラオケ誌と演歌界の男女を代表する歌手の仕事をするようになった。その取材・打ち合わせ・印刷手配でバイク疾駆の日々へ(中古SEROWを乗り潰しD-TRACKERへ)。彼らの密着取材でハワイ、ソウル、北海道、京都、金沢、大阪、熊本、福井、名古屋と全国を飛び回った。

 同年秋からカラオケ誌に男性演歌歌手の「俺の山河は~」と題した2年間24回連載を開始。次に同誌で女性演歌歌手の2年刊24回連載も開始。並行して平成17年(2005)春からスポーツ紙で前記男性歌手のエッセー連載を年末まで43回連載を担当。

 ちなみにその連載2回目は3月8日。エッセー裏面に「ライブドアのニッポン放送買収に際しフジテレビが同株公開買い付けに成功」の記事があった。同スポーツ紙では続いて女性演歌歌手のエッセー連載も担当。両演歌歌手のファンクラブ誌も編集していたからて眼の回る忙しさ。その間隙をぬって大島暮しで息抜き。演歌歌手の大島キャンパーン(山本譲二、都はるみ、服部浩子など)があれば、取材陣の宿から抜け出して自分のロッジに寄ったりしていた。あたしには〝社長業〟は無理で、はやり一人フリーランサーがお似合いと再認識した。島ロッジでは薪ストーブの炎と、写真のベランダ自作長ベンチで寛ぐのが癒しだった。鳥のさえずり、風と波の音を聴きながら読書やお昼寝~。

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平成を振り返る(1) [政経お勉強]

sihonminsyu1_1.jpg 先日、ウォシュレットがらみで水野和夫『資本主義の終焉と歴史の危機』をちょっと紹介したが、同書と共に、同氏+山口二郎共著『資本主義と民主主義の終焉』も入手。同書を参考に平成を復習し、己も振り返ってみたくなった。(ウフッ、閑なんですよぅ)

 まずは平成元年(1989)。消費税3%。中国「天安門事件」。海部内閣時に「ベルリンの影」崩壊。日経株価3万8915円。世界のトップ企業10に日本の7社がランクイン。バブル絶頂です。(1990年に三菱地所がロックフェラー・ビル群を買収。横井英樹が1991年にエンパイア・ステート・ビルを買収)

 日本に脅威を感じた米国が焦った。日本に巨額の公共投資を強い、日米構造協議で日本の流通システム、大店法などの市場開放を要求。結果、大型スーパーの出店規制が緩くなって、やがて町の商店街がさびれて行った。さらに日本の黒字分を武器購入で埋め合わせする〝オフセット戦略〟(戦力相殺戦略の一環として日本に精密誘導兵器などの導入を強要。これは後の安倍・トランプによる高額兵器購入の〝第3次オフセット〟へ至る。不動産面では現在、東急不動産・三井不動産・三菱地所などがニューヨークに進出している)

 小生:新宿御苑前の倉庫上の事務所から「市ヶ谷・佐内坂マンション4階」へ移転。幌型ランクル40からランクル60系へ乗り換え。スタッフも7名に増えてバブルに乗っていた。

 平成2年(1990)、日経株価2万円割れでバブル崩壊(金融緩和+公共投資拡大によるカネ余りが原因)。東西ドイツ統一。小生:主仕事が音楽業界でバブル被害は少なく、個人オフィスを外堀沿いにも設ける。ゴルフ会員権購入(会員権売買会社のPR誌編集もしていて~)、伊豆大島ロッジ用地購入。共に購入後にバブル価だったと知るも後の祭り。ゴルフ会員権はラウンドする度にドドォ~ンと下落。

 平成3年(1991)、宮沢内閣。イラク湾岸戦争勃発。小生:大島ロッジが出来、スタッフ7名を連れて大島で忘年会を恒例化。仕事が終われば日夜新宿で飲み歩く日々。平成4年(1992)、PKO協力法成立。小生:事務所にレイアウトが出来る高級ワープロに加え「Mac」2機導入。

 平成5年(1993)、土井たか子率いる日本社会党マドンナ旋風。細川内閣誕生。EU発足。1ドル100円割れ。新日鉄がホワイトカラーを含む7千人を人員削除。リストラなる言葉が定着。小生:バブル崩壊に関係なく、主クライアントのレコード会社が時流に乗り遅れて一気凋落。佐内坂と曙橋の事務所を整理して幡ヶ谷で移転。

 平成6年(1994)、羽田内閣から村山内閣へ。平成7年(1995)、阪神淡路大震災。地下鉄サリン事件。1ドル=79.75円(超円高)。日経連が「新時代の『日本的経営』」で労働者を幹部候補と専門職と派遣社員に分類。非正規雇用が増加。小生:事務所経営厳しく1/6は大島暮らしで、薪ストーブの炎に癒された。

 平成8年(1996)、橋本内閣が日本版金融ビッグバンを提唱。個人でも為替取引可能、取引上限を撤廃、電子取引可能(結果、外国投資家が電子取引で参入)。住宅金融専門会社8社の不良債権処理に6850億円の公金資金投入。平成9年(1997)、消費税5%。銀行や証券会社が相次いで破綻。平成10年(1998)、小渕内閣。金融再生法執行。日本長期信用銀行破綻。

 小生:事務所を幡ヶ谷から大久保へ移転。社員を整理し、その事務所(中古マンション)を購入して自宅にする。再び一人フリーから再出発。年齢相当で音楽仕事も演歌中心へ。パソコンで経理すべく「Windouws」に切り替え。

 平成11年(1999)、EU統一通貨ユーロ導入。森喜朗を経て、平成13年(2001)に小泉純一郎内閣へ。小生:振り返れば、フリーランサーから〝会社ごっこ〟をしたが、日本経済の激動に揺り揺られ。再び一人フリーに戻って再出発。あたしは〝社長業〟より、職人っぽい仕事のやり方が似合っている。

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『スモール イズ ビューティフル』第三部 [政経お勉強]

sayugyakuhan.jpg 「開発」について。途上国は概ね「二重経済」になっていると指摘。開発されるのは約15%の都市部近代化(工場)。残り85%は開発とは無縁の農村・小都市。その結果、都市への「大量移住と大量失業」が生まれる(ウム、中国ニュースでよく見る現象だな)。

 この「開発の弊害」を生まぬためには「開発=モノ」と考えず「人間の教育、組織、規律」から考えるべきだろう~と指摘する。「貧困主因=教育・組織・規律の欠如」だからで、それら三つを段階的に進化させて行くのが真の開発政策ではないか~と説く。粗野な唯物主義者による開発は「大量移住・大量失業」を生み、開発の妨げにもなる「二重経済」を止めて、都市と農村を含む国民全体を巻き込んだ真の開発政策が必要ではないかと説く。

 第二章は「中間技術の開発を必要とする社会・経済問題」。第三章は「200万の農村」。ここでは貧しい人はさらに貧しくなり、豊かな人はさらに豊かになる問題が分析されている。だがそこで問題とされているのは1970年代のこと。同章を読んでいると、小生はアフガニスタンで銃殺された中村哲医師による砂漠を緑地・農地化した灌漑・農業支援を活動を想起した。

 だが現代の格差問題は当時と大きく違っている。電子金融空間=キャピタルゲイン+金融のグロバリゼーションによる資本主義構造変化によって、さらに激しい格差拡大が起っている。著者の時代と、現代社会が抱える問題との時代的ズレを感じざるを得ない。

 またインドの諸問題も指摘だが、現在のインドは「IT企業」が発展し、多数のデジタル系優秀人材も輩出。「高学歴技術=知的経済」が力強く推進されている。さらにはこの書の著者「シューマッハー」とガンジー思想を受け継いで「スモール・スクール」(1982年設立)や「シューマッハー・カレッジ」(1991年設立)を創設し、エコロジー&スピリチュアル雑誌「リサージェンス(再生)」編集長のサティシュ・クマールも世界各国で核兵器放棄などを説くなど活躍中。また中国への言及も、現在は大きく様変わりして新たな問題が出ていて、同書のお勉強は最終部「組織と所有権」を含めて、この辺で区切りとしたい。

 次はウォシュレット普及で言及した水野和夫著『資本主義の終焉と歴史の危機』で現在経済のお勉強に移りたく思います。写真は意図的に同書表紙の「色変換+左右逆版」~。

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『スモール イズ ビューティフル』第二部 [政経お勉強]

gtakuhann_1.jpg 第二部「資源」の第一章は「教育」。社会が複雑、発展するに従って原子力の危険性、環境破壊、気候変動、遺伝子。デジタル工学、商業主義の弊害~等「教育の重要性」が増す。文化的知識と科学的知識の両方を深め、かつ両者の溝を埋める英知、それら価値を伝え合う能力も求められて来る。

 それは言うまでもなく「言葉=観念=思想」。観念で考え、観念を使って、倫理を磨く。人類の最大の資源は教育です。その地位が崩れると、人類は衰退する。(小生は、爺さんになってから初めてスェーデンの少女グレタさんに刺激されて「異常気象・地球温暖化」を少し勉強した。この歳になっても知らないことばかり。チコちゃんの〝ボーっと生きてんじゃねぇよ~〟の叱咤が聞こえた来る。認知症と闘いつつ、死ぬまでお勉強です。

 次は「正しい土地利用」について。物質資源のなかで最も重要なのが「土地」。人は昔から繁栄=領土拡大で、常に恵まれた土地を求め、天然資源を収奪し、枯渇させ、破壊してきた。この繰り返しでは人類の未来は余りに暗い。「正しい土地利用」を学ばなければいけない。土地は人間の次に大切な資源ゆえ、「土地の利用」は技術的、経済的唯物主義で捉えてはいけない。「形而上学的」に考えるべきです。そこを熟考すると「人間の生き方のすべて」も見えてくるでしょう~と指摘する。

 「工業資源について」。例えば米国工業は、国内資源だけではやって行けず、原料と燃料を求めて世界中に触手を伸ばしている。工業国にとって重要な再生不能な天然資源は19種類ある。それらは年々枯渇し、コスト高になり、産出国と消費国との間に政治的問題(紛争)が生まれる。

 この問題が真剣に考察されないのは「石炭が終われば石油がある。それが終われば原子力がある」なる安易な考えがあるからだろう。(イギリスが北海油田を開発したのが1960年頃。米国がシェールガスを開発したのが1990年代)。資源の枯渇は、自然破壊につながる。原子力を使えば何百年も消えぬ放射能廃棄物を抱え込むことになる。以上、従来からの考え方を変えなければ、人類は衰退の一途~と著者は警告している。

 経済が繁栄しても、そこの「安全性の確保」がなければ、全生物に計り知れない危険が襲う。それは「生命」への冒涜になり、人間がそれまで犯してきたどんな罪よりも重いと言えよう。また文明がそんな罪の上に成り立っているとは考えたくもない。

 自然本来は、自ら成長・発展をどこで止めるか(枯れたり、死んだりを~)を心得ている。だが技術に支配された人間には、その止める力がない。均衡・調整・浄化の力がない。そんな心で技術開発された繁栄の裏には、必ずその反映としての貧困がある。さて、正しい人間の顔をもった技術開発は可能だろうか~と問う。次は第三部「第三世界」。写真は意図的に反転(ペイント利用)です。

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『スモール イズ ビューティフル』第一部 [政経お勉強]

small_1.jpg 先日、テレビ「欲望の資本主義2021」(1月1日の再放送?)を途中から観た。そこで語られていたのは1973年(昭和48年オイルショックの年)刊のE・F・シューマッハー『スモール イズ ビューティフル』で指摘されていたことがベースになっていると思った。同書は当時「現代の預言書」と評されたベストセラーで、今も「古典的論考」と注目され続けているらしい。

 1973年はオイルショックの年だ。小生はフリーランサーで、それまで順調だった仕事がピタッとなくなった。外注の印刷代も払えず、新聞求人広告で高給を謳っていた新宿のキャバレーで働き出した。

 今のコロナ過では、フリーランサーにも支援金・給付金があるそうだが、当時はそんな生き方を選んだ者は「自己責任」で、またその覚悟で選んだ道だった。夜の世界から従来の仕事に復帰後は、役所や大企業就職の同年配に負けてなるかと必死に働いた。世はやがてバブルへ向かい出した。

 同書はそのオイルショックで顕在化した資本主義・工業経済・民主主義〝終焉の兆し〟に注目し、そこに巣食う過ちから「新しい経済学」が模索されていた。未だ巨大企業GAFAによるネット社会に至らずも、同書で指摘された従来経済学の過ちは、今も通じる貴重な警告になっている。今、オイルショックの同書刊行から48年後の「コロナ過」で、遅まきながら同書新訳の文庫(講談社学術文庫)入手で、改めてお勉強です。

 第一部「現代世界」第一章は「生産の問題」。著者はまず、代替不能の自然資産(化石燃料=石炭、石油、天然ガス)の凄い勢いでの使い捨てを警告している。結果、地球は気候変動で危険な状態に陥り、その代替えで原子力を稼働させれば、いつまでも消えぬ放射性廃棄物を抱え込むことになる。そんな「永続性なき経済」が良いワケがなく、新たな「経済学」が必要だと説く。

 豊かさの追求=平和の途~と安易に認識されているが、富んだ国の裏には常に貧しい国・人がいる。ひたすらに富を求める唯物主義の拡大主義は、自己抑制を忘れて「永続性・平和・環境」と折り合えず、その成功=災いになっていると指摘。

 著者は今後の経済学は、人間を環境ぐるみで考える「超経済学」が必要だと訴える。従来は労働=コストで、オートメーション(機械化)でコストゼロを目標にしてきたが、大きな間違いだろう。今後は人間活動に不可欠な財=空気・水・土壌・鉱物などを含めた自然界すべての存在を認識した経済学に変換しなければ先がないと警告しる。

 そこで著者は注目したのが「仏教経済学」。仏教的観点からの労働は、欲望を増長するためではなく、人間性を純化させることと捉えられている。自分の能力を発揮・向上させ、他人と共に働くことで自己中心的な態度を棄て(慈悲心を養う)、仕事を通して人間性、人格を向上させる舞台と捉えている。しいては解脱(悟り)をも得る場と考えられている。

 唯物主義はコスト追及で、勢い輸出輸入も活発化し、国家間の争いも生む。国の繁栄=領土拡大で、産業も企業も規模が巨大化方向で、物流・通信技術の発達、大都市集中、大量失業を生む。だが仏教徒は、地域社会の中での自給自足の暮しを求めている。再生不能財を贅沢に消費するのは暴力行為と考えられると提案する。以上が第一部・五章の要約。

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ウォシュレットと資本主義終焉の話 [政経お勉強]

bennza&sihonsyugi_1.jpg ブログに「温水洗浄便座(ウォシュレットはTOTOの商品名)」設置を記し、次に新書『コロナ後の世界に生きる』をまとめたら、ウォシュレットが『資本主義の終焉と歴史の危機』(水野和夫)に結びついていて、いささか驚いた。

 同書には1行ほどの記述だったが、2014年の発売期のニコニコ動画内「紀伊国屋チャンネル」で氏がインタビューに応えて、ウォシュレット普及から「資本主義の終焉」を確信したと云うエピソードを語っていた。その概要は~

 歴史学者ブローデルが資本主義の転換期検証で、イタリアの「長い16世紀」分析に、こんなエピソードを記されていたと~。ドイツからのイタリア旅行者が、ジュノヴァへ行ったら、山のテッペンまでワイン畑が広がっていたのに驚いたそうな。当時のイタリアは金余りで、お金の使い道(投資先がなく)、それゆえに山のテッペンまでワイン畑が広がった。

 水野氏は、同文が頭の中にあった時に、親しい日経の方にこんな話を聞いたそうな。「JR網走のトイレが立派な温水洗浄便座だった。野沢温泉の山頂へ行ったら、そこのトイレも立派なウォシュレットだった」。「あぁ、日本は地の果てから山のテッペンまでウォシュレットが行き渡っているのだ」。他にお金の使い道がなくなってのトイレ施設の充実化。

 そう思えば知らぬ間に新幹線も高速道路も次々に伸びて、空港も1県に数施設が出来ている。資本の使い先がなく(低金利になって)過剰投資状態になっている。資本主義の基本=金利がゼロになって、資本主義が終焉を迎えていると確信して、同書を執筆したと語っていた。

 資本主義は、13世紀にローマ教会によって利子率が公認されて始まった。資本主義=金利だが、その金利が今はゼロになって久しく、資本主義が終焉を迎えているのでは~の考察が同書にまとまったと語る。

 そう説明されて、小生も納得する事が多少ある。ウチから新宿3丁目へ向かう明治通りに、オリンピック客を目論んでのホテルが次々に建った。だが日韓関係がこじれて韓国旅行者が消え、次に中国観光客が消え、コロナ過でオリンピック延期、インバウンドの姿も消えた。「可愛そうに、これじゃ経営ままならぬだろうに~」と思っていたが、それでも今、ホテル建設が始まったいたんだ。オリンピックも中止だろうに何故・何故と思っていたが~。テレワークでオフィス出勤7割減にかかわらず、東京は相変わらず超高層オフィスビル林立も止まらない。

 ホテルも超高層オフィスビルも需要がないのに次々建設は、資本主義の基本=金利ゼロで、かつ他に投資先もなく滞った資金がこれらに注ぎ込まれている~と了解した。肛門に心地よい温水を浴びつつ、その辺の書を読んでみましょうかねぇ、と思っている次第です。

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『コロナ後の世界を生きる』熊さん風まとめ② [政経お勉強]

byousitusora_1.jpg さて八っつぁん、今度は日本だ。「7年一強」の安倍政権が、コロナにまったく無能を晒らした。「アベノマスク」、『うちで踊ろう』コラボで自宅で寛ぐ動画アップ~。長屋の皆も「この人、頭狂ったのかしら~」と驚き、誰かが「こんな人が政治をやっていることが緊急事態」に大爆笑した。

 八「自民党議員の4割が世襲議員。高額な税金収入で代々暮して来た輩らに、政治が出来るワケがねぇ。加えて爺さんの多いことよ。時代はとうに変わっているのに、彼らの頭には戦後の高度成長経済ばかりが残っているみたいで、新たな時代センスが微塵もない。

 そんな彼らが官僚人事を握り、忖度役人ばかりが周囲を固めている。右翼団体の「美しい国」を、自身の政治標語にするような首相の下で「憲法に緊急事態条項を入れる」など許せるワケもない。コロナでは厚労省も体たらく。医系技官を抱えた独特の省庁とかで、他者の話を聞かず。融通効かず。臨機応変・スピード感もない。そのなかで知事らがクローズアップも、知事と国の責任なすり合い。経費負担の駆け引き。元官房長官・菅総理が誕生したが、この方はとても総理の器ではなく、リーダーシップ欠如で、コロナ対策は後手後手。就任数ヶ月で早くも不支持率が上回った。この先の日本はどうなるのだろうか~。

 彼らは、未だコロナより「東京オリンピック」に執着。その五輪も「選手ファーストならぬ政治ファースト」が透けて見える。アスリートらが、政治から独立する覚悟をもって奮起するなぁ~んてことも出来そうにない。

 オリンピックと云えば巨大建築だ。街は「超構想ビル林立」の勢い止まらず。それでいて今は、オフィスいらずのリモート推奨の矛盾。ハコ=空調・石油。私たち世代の子供時代は、夏は縁側で、狭いながらも庭を造って涼んでいたもの。だが今は気候変動・地球温暖化で夏にエアコンなしでは死に至る。

 小泉進次郎が、気候変動阻止への脱炭素社会へ動けば「それで経済成長ができる~」と菅総理が乗ったとか。やはり根本がズレている。すでに民主主義も資本主義も老化・衰退に向かっている。民主主義は米国のトランプの例からも読み取れる。為政者は「そんなものは形だけあればいい」と嘘ぶいている。少数が世界の資産のほとんどを独占し、実体の伴わない株価上昇。格差は地域・人種に及んで限りなく広がるばかり。日本のコロナ禍ではシングルマザーと子供達、派遣社員、さらには医療従事者、介護福祉関係者へ厳しいシワ寄せ。非常事態宣言で飲食関連者がピンチを迎えている。

 コロナは「ボーダーレス」感染も、その対策はそれぞれに歪みを抱えた国家間の「ボーダーフル」対応で、世界は疲弊するばかり。それでも世界はペスト、新大陸に持ち込まれた梅毒、コレラ、スペイン風邪~と何とか克服して、その都度、新しい世界を築いてきた。コロナもいずれは収束し、その後にニューノーマル(コロナ後の世界)へ向かうのだろう。

 新たな民主主義・資本主義は、シングルマザーと子ら、派遣社員ら、苦学生ら、さらにはエッセンシャルワーカーを守る体制、テレワークなどの新たな働き方、自然を大事に、自然と共に暮らす道へ進むような気がしないでもない。同じ意で「経済」もまた利益追求型概念はもはや通用しない。例えば環境を守る投資は不経済ではなく、国民総生産向上も人類の幸せ指数にならない。それを「超経済学」と云うそうな。

 政治家もまた、今の爺さんらに引退していただき、例えば台湾のIT担当大臣のジェンダーレス、オードリー・タン氏のような新しいタイプの新人類で形成されるのが望ましい。シューマッハー著『スモール イズ ビューティフル』では慈円『愚管抄』より~8万歳から10歳に歩み下り、再び10歳から歩み始める~が紹介されているとか。人類はこのコロナをどう収束させ、どんな新しい世界を歩み出すのだろうか。そこに希望を抱いて、この項を終わります。写真は尿道カテーテル・点滴装着で、以上を考えつつ入院病棟から見ていた新宿の夕陽。 

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『コロナ後の世界を生きる』を熊さん風まとめ① [政経お勉強]

covid-19_1_1.jpg 先日の15日間入院中に岩波新書『コロナ後の世界を生きる』を読んだ。各界の一人者24名の原稿を掲載。それを一人(長屋の〝熊さん〟)の意見としてまとめてみた。

 人間てぇのは困難が立ちはだかると、すぐ楽観主義になって現実逃避したがる。第二次大戦だって大本営が「楽観と空威張り」発表で、マスコミもそれを垂れ流し、長屋の誰もがそれをすっかり信じまいやがった。

 手前の考え・意見を放っぽり出して「欲しがりません勝つまでは~」。我慢に我慢で抑えつけられて、終戦と同時に「はい、今日から民主主義です」。それまで抑えつけられたエネルギーが、そこに向かって一気爆発。日本人ってぇのは、そんな歴史を持っているんだ。苦しさ・貧しさ・厳しい制約から、新しい価値の出現に大衆こぞって盛り上がるてぇのはロシア革命、ナチス独裁も同じだな。

 で、今は新型コロナの感染拡大だ。日々の感染者数発表に一喜一憂だが、人間ってぇ奴は誰もが「自分が世界の中心」で、感染するのは何処かの誰かさんだと思う。そこで肝心なのが「遠くの誰かもかけがえのない存在。自分もまた地球上の何千億の一人」という「魂の想像力」を発揮すること。八っつぁん、ちょっと難しくなったがわかるか。八「感染するのは他人ではなく、手前ぇもその危険の中にいると認識するってことだな」

 想像力に併せ、観察力も大事だ。コロナ感染によって、今まで隠されていた社会の歪み~、例えば人種・貧富の格差(白人・黒人のコロナ死亡率2倍とか)、少数の資産独占(特にGAFA巨大化)、気候変動、医療体制、産業形態、無能力政治家の姿などを浮き彫りにしている。それらをよぉ~く観察しろってぇことだ。

 コロナ感染の今こそ首相のリーダーシップが必要って時に、今まであれほど偉そうにしていた首相が、何にも出来ねぇ。さらに平気で嘘をつく、自分都合で改竄もする狡さ~とんでもねぇ輩だとわかっちゃった。

 いま世界は「ポピュリズム」の時代で、グローバリズム(産業・貿易・観光・人の移動~)で、ネット社会だ。長屋の爺さん婆さんらもスマホに四苦八苦。ネットで「情報の世界共有化」は歓迎だが、どうも、あの「SNS」ってぇのが良くねぇ。短文で乱暴に人々を煽り、人々も性急に答えを求める。そこには寛容さ、多様性もない。(トランプの扇動で、彼の信者らが連邦議会議事堂に乱入。1月8日にTwitter社は暴力扇動の危惧から氏のアカウントを永久凍結。彼らの交流サイト「パーラー」をアマゾン・コムが停止した)

 その結果、世界は今「自国第一主義・権力化・分断社会・人権や貧富の格差~」が一段と顕著になっていらぁな。民主主義の脆さ、衰退~。これでは、他者を理解し、他者との連帯感満ちた社会・未来は遠のくばかり。コロナはまた「ソーシャル・ディスタンス(社会的距離)を保ちつつ連帯感を築くという二律背反の難しさを迫っている。

 その中で人々は今「自分中心で世界が回っている=近さの幻想」から離れ、「遠さに覚醒」する難しい課題に迫られている。「自分も脆弱」を立脚点に、世界の脆弱な人々と如何につながって生きて行くか~。ちょっと難しくなったので次回へ続く。

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無題 [政経お勉強]

kanteisugita_1.jpg 日本学術会議問題で、幕蓮著『官邸ポリス』主人公=杉田和博官房副長官の名が浮上した。目下の日本は〝美しい日本〟の遺産=「権力おじさん+官邸ポリス+忖度官僚」体制らしい。

 久々の絵に描く要領を忘れたが、新体制の権力圧力はマスコミ、学問への圧力が冴え増している。前総理も調子に乗って暗躍中とか。

 ~と云う眼も秘め持っての日々でございます。目下、京大・滝川教授事件を描いた松本清張『京都大学の墓碑銘』読書中。文中にこんな記述がある。

 ~昭和7年、ドイツではナチス党が絶対多数を取らなかったが第一党となり、ヒトラーが首相に任命された。日本は「満州国」をつくり、その年の三月には国際連盟を脱退し、四月には陸軍が長城を越えて、中国本土に侵入を開始している。軍部も官僚もドイツに追随しはじめ、国家主義の思想家がナチスに心酔しはじめたときである。

 

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ヒトラー12:第二次世界大戦(ロ) [政経お勉強]

IMG_4491_1.JPG 1942年5月、英国「千機爆弾」がケルンを襲い、1943年からは米軍爆撃機も加わって各都市を空爆。瓦礫化した。(東京大空襲は1944年11月以降で106回。特に1945年3月の夜間空襲が酷かった。そして8月6日に広島、8月9日に長崎に原爆投下)

 1944年、ソ連軍が720キロに及ぶ戦線で大反撃。失った領地を次々に奪還。ルーマニアはソ連軍が国境に到着すると、即ドイツに宣戦布告。7月、現状認識できぬ軍部を糺すべく「ヒトラー暗殺計画」が幾つか行われるも失敗。逆キレ軍部は「国民総力戦」挙行で、数百万人が無駄に命を落とした。8月23日、連合軍がパリを解放。

 ドイツ軍は国内の諸施設が敵利用できぬように次々と破壊。そして敗戦がわかっていながら、ユダヤ人の大量殺戮を続行。5月にはアイヒマンらは約65万人のハンガリー・ユダヤ人をアウシュヴィッツ収容所へ送り込んだ。ナチスに命を奪われた一般市民は1400万、スターリンによって命を失った一般人は数百万人とか。

 最後のベルリン攻防戦は1945年4月16日~5月2日。数百万のドイツ人が荷物を持って町から町へ逃げ惑う。4月29日、ヒトラーは「政治遺書」を口述筆記させて自殺。ナチ幹部の多数も自殺。また1100万人以上が連合軍の捕虜へ。ソ連軍の捕虜になった約335万の捕虜は、10年以上も囚われたままドイツに戻らず。

 戦争中にナチに苦しめられたポーランド、チェコ人はドイツ人に屈辱的な仕事をさせ、女性はレイプされ(数十万)た。ヒトラーその後の「戦犯裁判」は「東京裁判」に相通じる。1945年2月「ヤルタ会議」で、ナチスの全党員と、連合軍に敵対したすべての人を、公職・準公職、重要な民間事業の責任ある地位から追放。25万人が拘束され、1946年末まで9万人が拘禁。6479人が有罪宣告。ソ連領内では約1万2500人が有罪判決。

 1948年5月、米軍占領地域の軍政が終了。オーストリアでは4月に恩赦法が承認。1949年に東西ドイツが成立する頃には過去に線を引き大赦が宣言。「ナチ・ドイツ」非難から「かわいそうなドイツ」に認識が変化。終戦から75年後の今、再びEUとユーロでドイツが独り勝ち気味で、そこに問題も起きているらしい。政経の歴史やお勉強テーマはキリがありませ。各資料(以下)を精読、読み直して気付いた部分は追記することにして、このシリーズをひとまず終えます。

 <参考資料> 林信吾著『青山栄次郎伝~EUの礎を築いた男』(角川書店)、イアン・カーショー著/石田勇政治訳『ヒトラー権力の本質』(白水社)、ハラルト・シュテファン著/滝田毅訳『ヒトラーという男』(講談社選書メチエ)、アドルフ・ヒトラー著/平野一郎・将積茂約『わが闘争』(上・民族主義的世界観)(下・Ⅱ国家的社会主義運動)、『続・わが闘争』(生存圏と領土問題)3著共に角川文庫。リチャード・ベッセル著/大山晶訳『ナチスの戦争』(中公新書)、エマニュエル・トッド著/堀茂樹訳『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』(文春新書)、トーマス・ザントキューラー著/斉藤寿雄『アードルフ・ヒトラー:独裁者の人生行路』(現代書館)、映画「HITLER'S  CIRCLE  OF EVIL」他多数。そして戦前のヒトラー関連書は国会図書館デジタルコレクションより。

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ヒトラー11:第二次世界大戦(イ) [政経お勉強]

jinsyusennsou_1.jpg 第ニ次世界大戦を振り返るのは、日本も当事国で、かつ親世代ゆえに辛い~。『ナチスの戦争』(リチャード・ベッセン著、中公新書)、『アードルフ・ヒトラー:独裁者の人生行路』(トマス・ザントキューラー著)を参考に、簡単に時系列で振り返ってみる。

 1939年9月1日、ヒトラーは軍服姿で国会に登場し「ポーランドと開戦」を告知。数週間で同国を征服(ポーランド軍犠牲者10万人、捕虜100万人)。ドイツの勝利を伺って同月17日にソ連が参戦してポーランド東半分を制圧(独ソが秘密裏で決めていて、両国でポーランドを分割。ドイツは西プロイセン、ポーランド西部を併合し、ポーランド人とユダヤ人を追放。ソ連領になった地域のドイツ系民族を代わりに移住させた。

 1940年4月、デンマークとノルウェーへ侵攻。デンマークは翌日降伏。ノルウェーは6月10日に降伏。5月にオランダを数日で制圧し、5月18日に中立国ベルギーが降伏。6月14日にパリ入都。22日にフランスが停戦調停。フランス北部と西部海岸をドイツが占領支配。ヒトラーの特別列車でのベルリン凱旋に、数十万人が大熱狂。

 1941年4月、ムッソリーニの苦戦に加勢してイタリア・ハンガリー軍と共にユーゴスラヴィアとギリシャへ侵攻。約2週間でユーゴスラヴィア降伏。月末にギリシャ降伏。それに先立つ1940年11月、ソ連の独ソ関係協議で、ソ連がスカンジナビアとバルカン半島への関心を表明したことで、ヒトラーは対ソ戦を決意。

 1941年6月22日、ドイツ側360万の兵士+3350両の走行車がスターリン率いるソ連軍を攻撃。共産主義者への憎悪から、戦時国際法を無視した〝絶滅戦争〟。降伏した約570万人のソ連兵に食事・宿舎も与えず330万人が死亡とか。だがソ連も頑張ってドイツ兵17万人余が戦死、62万人負傷、3万人行方不明。

 同年9月19日、ウクライナのキエフを占領し、モスクワ・クレムリンの塔が見える地まで攻め込んだ12月初旬、ドイツ軍の補給が絶えた。加えて-37度の極寒。赤軍反撃でドイツ軍が退却。だが前線後方でソ連軍領内のユダヤ人約200万人を虐殺。ドイツ軍が不利になるとパルチザン、レジスタンス活動が次第に活発化。数万人だったパルチザンが、この頃には約12万人へ増加。

 1941年、日本の真珠湾攻撃で、米国ルーズベルトが日本へ戦線布告(米国の日系人強制収容所へ12万人が送られ、その後に労働力不足の中西部都市に送り込まれた)。ドイツも米国へ宣戦布告。1942年、ドイツは南部部隊をカスピ海沿岸のソ連の石油油田を奪うべく攻撃させ、北部部隊を工業都市スターリングラードへ攻撃させた。二兎を追った欲張った作戦が失敗。1943年1月末にスターリングラードでドイツ軍降伏。また英米軍が北アフリカを占領。1943年5月、ドイツ・イタリア軍がチュニスで降伏。ムッソリーニ失脚~逮捕。

 1944年6月6日、連合軍がフランス・ノルマンディー上陸。22日、ソ連がドイツへの大規模攻撃「ツィタデレ作戦」。90万兵士+2700戦車VSソ連兵130万+3400両戦車の闘いでドイツ敗北。ゲッベルが老人・子供をも巻き込んだ「国民総力戦」を訴えるも、国民は大本営を信じるより、己がどう生き延びるかを考え出していた。ヒトラー式敬礼の拒否、さらには幾つかのヒトラー暗殺計画(失敗するが)も起ってきた。

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ヒトラー10:反ユダヤ主義と今 [政経お勉強]

IMG_4481_1.JPG ヒトラーの「反ユダヤ主義」とは? 『わが闘争』(上下)及び『続・わが闘争~生存権と領土問題』(写真)に、その主張が散在。『続・わが闘争』は「国家社会主義ドイツ労働者党」の中央出版局・書籍出版部のヨーゼフ・ベルクが1945年に米国将校に渡したもので、アメリカ国立公文書館のマイクロフィルムに収められた324頁の未編集原稿(草稿)集。(ヒトラー著、平野一郎訳)。

 先ず第五章の書き出しで、ヒトラーは己のスタンスを説明している。~私はドイツ国家主義者である。すなわち私はわが民族性を信奉する者である。私が考えること、行動することすべてが、この民族性の一部なのである。

 第三章「民族の価値と平和主義的民主主義」には、~それぞれの民族には、その民族にしかない特有の価値があり、それが民族の歴史的文化像で、そこに人種上の価値が反映されている。~ところがユダヤ人は、どのような形でも他民族に中に入り込んで行けるのだ。このインターナショナルな害毒と退廃の師は、その対象となった民族を徹底的に根絶やしにし、腐敗させるまで留まることを知らない。最後には、この狙われた民族の今までの統一のとられていた特定の人種的価値を失わせ、最終的に衰退させる。~典型的な資本主義的素質を持つユダヤ民族は、民族的文化的な価値が、資金や財力より高く評価される組織に対して激しい憎しみを持っている。

 第十七章「ユダヤ人との闘争」では、概ねこんな記述 ~(第一次世界大戦で)ドイツに対戦した一部の国は、ドイツ崩壊で直接利益を有する世界連合(英仏露など)だった。その巨大戦争プロパガンダを興したのが国際的世界ユダヤ人だった。ユダヤ人は、地球上の他民族が、独自の領土国家を建設し保持し生産力を有しているのに比して、彼らは空間的領土という境界に縛られぬ宗教共同体国家をもって、ユダヤ民族の保持と増加と将来を保証している。

 ~一般的に民族の生存闘争の基盤は土地にある。土地を耕し、その生産力が経済基盤になっている。しかしユダヤ民族は土地を有さぬゆえに、他民族の生存内の寄生虫的存在になる。すなわち彼らの生存闘争の最終目的は、生産的活動を行っている諸民族を奴隷とするところにある。まずは他民族国家の内部で権利平等を求め、次に優越的管理を求めて行く。その手口は剣の闘いではなく狡猾、狡知、擬態、策略、姦計などで、そうしてカネとプロパガンダの助けでゆっくりと支配者に成り上がって行く。

 ~その最終目標は脱国民化、他民族との交雑、民族的知識階級の根絶と人種混淆を導き、自分の民族所属者をもって、その知識階級の代わりを務めさせようとする。民族と結びついている当該民族独自の精神的指導層を破壊し、指導者をなくした人間たちの支配者にユダヤ人自身が昇る。ユダヤ人は民族の寄生中だから、彼らの勝利は、その犠牲民族の死滅、さらに自身の終焉に至る。

 ~古代世界の没落後1500年の間、ユダヤ人はずっと外来者で、その侵入が拒まれてきたが、フランス革命によってユダヤ人は市民的平等権を得た。諸民族の内部にあって政治的権力の足がかりを得た。19世紀の「利息思想」に立脚した金貸し資本の拡大によって、ユダヤ人にさらに諸民族の経済内で支配的位置を得て、株を経由して生産現場の大部分の所有に至り、株式取引所の支援を得て次第に公的な経済的生存の君主にだけではなく、最終的には政治的生存の支配者になって行った。(ヒトラーは第一次世界大戦中のロシア革命を、またナチ活動中のNY株式取引所に端を発した世界恐慌を体感しての考えと推測する)

 彼らは肉体労働者の階級を特別階級に仕立て上げ、国民的知識階級に対して闘わせる。それがマルクシズムのヴォルシェヴィズム革命の精神的父親となる。ユダヤ人はその武器を今や情け容赦なく冷酷に使用し、国民的知識階級を根絶しようとする。その最初の試みは革命形式で現れている。既にこの非人間的な迫害と殺戮によってロシアの上層階級およびロシアの国民的知識階級は殺され、余すところなく根絶された。そんなロシア革命でロシア民族は2800万~3000万人の死者を強いた。ユダヤ人は現在のところ、残った国家に同じ状態をもたらそうとしている。この闘いに一人で引き受けているのが国家社会主義ドイツ労働者党である。『わが闘争』にはユダヤ人とイギリス、イタリア、フランスなどの諸関係に言及し「日本とユダヤ人」の項目もある。

 現ユダヤ人の人口は約1460万人。その半分がイスラエルとアメリカに在住。アメリカのグローバリズム企業、GAFAM各社、金融系企業、メディア、情報通信、不動産などの大企業創業者にユダヤ系が多いらしい。昨今のトランプ大統領のイスラエル、中東問題、大統領選挙にもユダヤ人問題が微妙に絡んでいる。逆にEU離脱の英国に民族性のこだわりの強さが伺える。

 第二次世界大戦後の「自由・民主」意識が、今75年を経て薄れ、今ふたたび覇権主義、独裁主義、強権、自国ファースト主義の台頭、「わが国を再び偉大な国に~」のアピールはヒトラーもトランプも同じだろう。世界に再び物騒な気配が満ち始めている。過ちを繰り返さないよう。デッチ上げを見抜く力を育みつつ、心して注視して行かなければいけません。

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ヒトラー9:独裁の恐怖が始まった [政経お勉強]

jinsyusennsou_1.jpg 以下、リチャード・ベッセル著『ナチスの戦争』(大山晶訳・中公新書)を参考にする。1934年8月、ヒンデンブルク大統領死去で、ヒトラーは大統領制を廃止し、自らが総統となり「ワイマール共和国」が「ドイツ第三帝国」(俗称)になった。ヒトラーはまず経済対策で高速道路網(アウトバーン)整備、国民車(フルクスワーゲン)製造を展開した。

 それらナチス経済施策の目的は、あくまでも「侵略戦争が可能な再軍備と軍事組織」。1935年に徴兵制度を復活。1936年、大恐慌から立ち直って、ヴェルサイユ条約の制約解除に併せて非武装地帯ラインラント(ドイツ西部ライン川沿岸、フランスに隣接)に進駐して再武装開始。「4ヶ年計画(4年以内に戦闘可能へ~)の覚書。

 1936年、ベルリン・オリンピックが終わると、ゲーリング率いる空軍が迅速な成長を遂げ、海軍はフランスと同等規模になり、陸軍は260万人で1/3が自動車部隊と戦車部隊へ。同時にアーリア人種繁殖に産めや殖やせの政策、比して疾患子防止法(断種法)政策。アーリア人とユダヤ人との結婚・性交渉・生殖禁止。

 若者は少年向け「ヒトラー・ユーゲント」(昭和13年に30名程が来日。8月には伊豆大島へ1行28名が来島。併せて東京少年団も来島で、その中に後にル・コルビュジエ師事の建築課・吉阪隆正少年もいた。小生ブログより)。女子はドイツ女子同盟へ入会を強制。そして他の民は労働奉仕団、軍隊、労働者戦線(2,000万人)へ。

autobahn_1.jpg ヒトラーの戦争理念は「人民の保護と維持、そのためには既存領地内での自給自足は不可能ゆえに、新たな土地が必要~」で、まずはチェコスロヴァキアとオーストリア併合を目指した。

 1938年、ヒトラーが軍の総̪帥権、ゲーリングが経済政策のトップ、リッベントロップが外務大臣、ヒムラーが5万6千人の親衛隊隊長とバイエルン強制収容所、ドイツ全域の政治警察、プロイセン機密国家警察(ゲシュタポ)の各長官に収まった。

 同年、ドイツ・ユダヤ人30万人がドイツを脱出。ドイツ軍がオーストリア侵攻。ウィーンのユダヤ人の財産没収。この施策がドイツ全域で展開。翌年にチェコに侵攻して両国を併合。そしてポーランド侵攻で、英仏がドイツに宣戦布告。第二次世界大戦へ突入した。

 ヒトラーは政権掌握6周年の1939年1月の国会演説で以下を語った。「もしヨーロッパ内外で国際的に活躍するユダヤ人資本家が諸国を再び戦争に突入させることに成功しても、その結果起るのは世界のボルシェヴィキ(多数化)でもユダヤ人の勝利でもなく、ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅だ」。ヒトラー、ナチスの戦争が人種闘争であることの明言だった。

 そrではヒトラーの「反ユダヤ人思想」とは? 気が滅入るテーマだが、ここは我慢して理解しておく必要がありそうです。次回にその辺をお勉強する。アウトバーン写真は、昭和13年刊『伸びゆく独逸』、国会図書館デジタルコレクションより。

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ヒトラー8:『青山栄次郎伝』最終回 [政経お勉強]

IMG_4489_1.JPG 1939年9月、ドイツ軍がポーランドに侵攻し、英仏がドイツに宣戦布告。第二次世界大戦が始まった。一般のドイツ人が戦果に関心を寄せる陰で、ナチスはユダヤ人を強制収容所へ送って大量虐殺。

 栄次郎夫妻はスイスからパリに移っていたが、1940年6月のドイツ軍パリ無血入都で、夫妻はポルトガル経由でアメリカに亡命した。ニューヨーク大学を拠点に講演活動。「ヒトラーとスターリン、二人のどちらも勝者にしてはいけない。戦後のヨーロッパは平和に総合されるべきだ」と訴えた。

 1941年12月7日、真珠湾攻撃。栄次郎は同年8月27日に母・光子の訃報を受け取った。1945年4月30日、ヒトラーがソ連軍包囲下のベルリンで自決。5月7日、ドイツ無条件乞降伏。

 ヒトラーの故郷オーストリア北部にソ連が進駐し、ヒトラーと血縁関係にある者は連行されたまま帰ってこず。光子を看取って「光子の財産を相続」するはずのオルガも、難民となって米国占領下のドイツ(西独)に遁れ、その後に米国に移住。光子の長男ハンス(光太郎)は、ロンスペルク城・土地・森林を相続して最後の城主になっていたが、最初の妻goebbels_1.jpgがユダヤ人商人の娘ゆえ、妻を守るためにナチスに迎合せざるを得ずで、チェコにおける親ナチス派とみなされて逮捕。城、家財、美術品、蔵書のすべてが持ち去られた。現在もチェコスロバキアに管理されているらしい。

 1945年、栄次郎はニューヨーク大教授になるも、翌年に6年暮らしたニューヨークを去った。欧州へ戻る大西洋航海中に、英国前首相チャーチルから電報を受け取った。パリで娘婿サンディス(保守党議員で戦後の政界で活躍)と会ってもらいたい旨の内容。

 1951年春、妻イダがジュネーブで他界。チャーチルの栄次郎「パン・ヨーロッパ」賛同は、ソ連の脅威から西ヨーロッパ結束を求めたものだったが、「パン・ヨーロッパ」の真の賛同者はド・ゴール中心のロンドンで活動していたフランス亡命政府の人達で、彼らによって運動が推進された。

 1950年、フランス外相シューマンが従来の確執を超えて石炭・鉄鋼生産の共同管理を呼びかけた「シャーマン宣言」。その2年後にさらに進化して「ECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)」へ、さらに1958年の「EEC(欧州経済共同体)」、そして「EU」へ至る。

hatoyama_1.jpg 1950年10月、栄次郎が初来日し「第1回鹿島平和賞」を受賞。昭和天皇に謁見。鳩山一郎夫人にも会った。鳩山一郎は公職追放期間中に栄次郎著作を英文で読んで感銘。「友愛が伴わなければ、自由は無政府状態の混乱を招き、平等は暴政を招く」をテーマにした翻訳『自由と人生』を1953年に出版。自身の政治理念を「友愛」にした。

 以上で林信吾『青山栄次郎伝』終章紹介を終わるが、ここまで辿ったら、気が進まないけれどもヒトラーの第二次世界大戦、ユダヤ人の虐殺についてもお勉強しなければいけないでしょう。

 写真はもう一度、林信吾『青山栄次郎伝』の表紙をアップ。写真中は当時のナチス宣伝相ゲッベルス、写真下は「友愛」の鳩山一郎(共に国会図書館デジタルコレクションより)

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ヒトラー7:栄次郎書に〝焚書〟指定 [政経お勉強]

hitler3_1.jpg 林信吾『青山栄次郎伝』に戻る。1929年10月、ウォール街に端を発した大恐慌が欧州を襲った。ドイツは政経不安定で、毎年のように解散・総選挙。1930年の総選挙でナチス107議席。社会民主党に次ぐ第2党へ。1032年の選挙で230議席。第1党へ。だがヒトラーの大統領選は30%で、ヒンデンブルク将軍50%に及ばず。

 これでは軍部を手中で出来ず。1933年1月、単独政権となってヒトラー首相就任。(挿絵は戦前のヒトラー賛歌の子供向け読み物=大木雄二著『ヒトラー』より。国会図書館デジタルコレクション)

 首相就任直後に国会議事堂放火事件(共産主義者を逮捕のデッチ上げ?)で「国家緊急令」を発令。(あの安倍元総理は「憲法改正」で執拗に「緊急事態条項」成立を目論んでいたっけなぁ)。集会・報道・言論の自由(今は学問の自由を侵されつつある)を停止し、共産主義を徹底的に叩き『パン・ヨーロッパ』運動の栄次郎著書も焚書とし、逆にヒトラー『わが闘争』が売れまくった。ベルリンはじめほとんどの大学町で非ドイツ的書物が焚火に投げ込まれた。●時代は遡るが、詩人ハイネは「本が燃やされるところでは、最後には人間も燃やされる」と予言的言葉を著わしていた。(トーマス・ザントキューラー著『アードルフ・ヒトラー独裁者の人生行路』より)

 3月5日の総選挙で288名が当選。ナチスの政権基盤強固で、立法権を議会からヒトラー委任「全権委任法」可決で〝独裁〟となる。ナチスの敬礼=ドイツの敬礼で、ヒトラー式敬礼を公務員に義務付けた。ヒトラーの単独政権になると、忠誠で働いてきた側近らに「出世欲・嫉妬」が渦巻いた。そして1934年6月30日「長いナイフの夜」の殺戮。これは突撃隊と同隊率いるレーム他への粛清。映画「HITLER'S  CIRCLE  OF  EVIL」第3部はヒムラー、ゲッベルス、ハイロリッヒらによる嫉妬・策略によって親衛隊が突撃隊100名余を射殺粛清する過程が息詰まる緊張感で描かれていた。

 ★追記:このブログを記した翌日、翌々日に87年前のヒトラーを例にした大学教授の発言がテレビニュースや新聞で報じられてギクッとした。それは2020年10月23日、日本学術会議が推薦した新会員候補6人が任命されなかった問題で、任命を拒否された学者らが日本外国特派員協会で記者会見。松宮孝明立命館大教授が「総理は国民を代表して自由に公務員を選定罷免できると宣言した。ナチスのヒトラーでさえ全権掌握のために新憲法を作ろうとしたが、総理は現行の憲法でやろうとしている。独裁者になろうとしているのか」と批判していた。ヒトラーの「全権委任法」は1933年3月23日に制定。4年期限だが1937年、1941年に更新された。

 さて、レームはヒトラーから渡された拳銃で自決を迫られ、拒否して射殺された。他に「ドイツ労働者党」創設者、前首相シュライヒャー将軍、バイエルン州元総監なども粛清。独裁恐怖が始まった。同年8月、ヒンデンブルク大統領死去で、ヒトラーは大統領制を廃止。自分が新元首となって「ワイマール共和国」が「ドイツ第三帝国」(俗称)になる。

 ヒトラーは米国ニューディール政策を真似て大規模公共工事を展開。その代表が高速道路網(アウトバーン)と国民車(フォルクスワーゲン)製造。1935年、徴兵制を復活。公共工事従事の若者100万人が軍隊へ。1938年にオーストリアを併合。

 オーストリア在住の栄次郎・イダは、ドイツ軍侵入と同時に同国のスイス公使館に逃げ込み、チェコスロバキア~ハンガリー・ブタペスト~ユーゴスラビア・ザグレス~イタリア領内を経てスイスへ入国。ナチスの宣伝担当者ゲッベルスは栄次郎を「公開裁判にかける」と発表も、栄次郎とイダはさらにアメリカへ逃げた。

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ヒトラー6:再び「HITLER'S CIRCLE OF EVIL」 [政経お勉強]

kershaw_1.jpg 再び映画の戻って、ヒトラー出所から独裁まで、併せて側近らの動きを追ってみる。執行猶予で出所するレームに代わり、ヒトラーが逃亡2日後にランツベルク刑務所へ。死刑予測で落ち込むヒトラーだったが、公判前に俄かに奮い立つ。「この公判こそ、己を主張する好機ではないか~」

 彼は尋問に応えるより、自身を殉教者・救世主に見立てた政治論の大演説。法廷は拍手喝采。その裁判記録を各紙が掲載。それまで無名だったヒトラーが、右翼第一人者に躍り出た。

 バイエルン当局と司法機関も、彼への理解・同情で5年刑に結審。一揆失敗で落胆・混乱の仲間らも活気づいた。ケルン郊外の若い作家志望ヨーゼフ・ゲッベルスも、ヒトラーの新聞掲載の裁判記録に心を揺さぶられた一人だった。

 ヒトラーは20名の警備員に付き添われ、秘書役ルドルフ・ヘスが密着。支持者らの頻繁な訪問。監獄はさながらナチ「シンクタンク」化し、ヒトラーは毎朝、他の囚人にも自身の思想を講義・討論。ナチのゼミナール場と化した。(イアン・カーショー著『ヒトラー権力の本質』より。写真上)

 野心家ではない唯一の党員ヘスは18ヶ月の懲役で、尊敬するヒトラーとの生活を喜んだ。ヘスは学生時代の師(ミュンヘン大の師ハウスホ-ファー)から学んだドイツ窮状再建の国家拡大論で彼を勇気づけ、ヒトラーこそ指導者・救世主なるべく人物だと持ち上げ、クーデター失敗ならば次は選挙だと誘った。

S.Snohimura_1.jpg ヘスはヒトラーに自身の生い立ち、ユダヤ人と共産主義者がいかに国を滅ぼしたか~の人種主義を書きまとめろと勧めた。実際はヘスとの共著になる『わが闘争』を書き上げた。(資本主義や共産主義の問題をユダヤ人に責任転嫁し、第一次大戦でドイツを罰した〝連合国〟を責めた諸思想ごちゃまぜの猛毒のような国家主義の内容)。

 一方、武闘派ゲーリングはモルヒネ依存症。レームは軍と闘える組織を目指した突撃隊(S.A)を補強。ヒトラーは突撃隊の激化する暴力行為によって保釈が取り消されるの恐れ、ナチ党・党首も辞めると表明。

 1924年12月、9ヶ月の懲役を経て出所。彼の法廷演説に感動したゲッベルスは、早くも演説で頭角を現し、教師の息子で若いハインリヒ・ヒムラーも政治活動に専念し、24歳で党の補佐役に育っていた。党名「国家社会主義ドイツ労働者党」に変更。

 だが、ドイツは経済復興で安定と明るさを取り戻していて、彼らの主張に反応しない。ゲッベルスはドイツ中を1年189回もの演説行脚をする。だが1924年の選挙結果はナチ党への投票率わずか3%だった。

 改めてナチ党は選挙に勝つべく組織固めを開始。ヘスが日々の決定事項と党の方針を作成。ゲッベルスとヒムラーはアーリア人の特性を有し、祖先まで調べ上げた黒制服・黒ブーツ・ドクロ紋章の親衛隊(S.S、写真下。昭和8年のアルス刊『ナチスの真相』安達堅造著、国会図書館デジタルコレクションより)を結成など巻き返しに集中した。

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ヒトラー5:栄次郎の失速、ヒトラーの躍進 [政経お勉強]

kakumeinokoro_1.jpg ヒトラーの野戦病院退所からクーデター失敗までを、林信吾『青山栄次郎伝』ではどう記されているか~

 1919年9月、ヒトラーは野戦病院退所後に、ミュンヘンで行われていた「ドイツ労働者党」の集会に参加。党主アントン・ドレクスラーが彼の弁舌に感心して入党を勧め、ヒトラー7番目の党員登録。栄次郎はこの頃のポスター「退役軍人は半額、ユダヤ人は入場禁止」の文言を覚えているとか。

 1920年2月、同党は「国家社会主義ドイツ労働者党」と改称し、ヒトラーが党首就任。25項の党要綱も設定で、第1項「わが党は全ドイツ人がドイツ主義のもとで結集することを求める」。第2項「わが党はヴェルサイユ条約の撤廃を要求」など。この要綱は「ポピュリズム(大衆迎合主義)+排他主義」の見本になりそうです。またこの時に、鉤十字マーク(寺院マーク卍とは逆回り)も制定とか。

 同時期に退役軍人レーム指揮下の突撃隊(S.A)誕生。当時の右翼左翼集会は互いに殴り込みが常態化でその対策。右手を突き出す「ハイル・ヒトラー」敬礼もこの頃から。

 1922~1923年、ドイツにインフレが襲う。世情の不安は、反乱を起こす好機になる。1923年11月、ヒトラー武装蜂起。ナチス党員16名が射殺され、100名余が負傷で失敗。ヒトラーは反逆罪。禁固刑5年も実際は8ヶ月半で出所。1927年まで公衆での演説禁止。

 ヒトラー出所後の共和国は、「新マルク発行+米国援助」でインフレから脱却で、平和と繁栄への途上。この時期に登場したのが栄次郎の「パン・ヨーロッパ」構想だった。1929年9月の国連総会終了後に、翌年総会の議題へなりそうな盛り上がり。

kagijyuji_1.jpg だが10月、米国ウォール街・証券取引所で突然の株価大暴落。その大恐慌が欧州も襲った。「パン・ヨーロッパ」運動は断ち切れ、逆にヒトラーが躍進する。1930年の総選挙でナチス107議席。1932年の選挙では608議席中230議席を獲得で、議会第1党に踊り出た。ヒトラーが各地へ飛行機で降り立ち、夜間の松明行列などの演出

 (選挙PR史上でも注目展開。この飛行機から降り立ち+演説の手法は、今もトランプに受け継がれているし、集団マスゲームなどは今も北朝鮮の得意技)

 1932年、ヒトラーは大統領選出馬前になってドイツ国籍を取得。だが第一次大戦の英雄ヒンデンブルク将軍の得票数50%に及ばない。1933年1月に首相就任。2月の国会議事堂放火事件。これを共産主義者の仕業にでっち上げて共産主義を追い詰める。3月、ヒトラーへの全権委任法の可決で、立法権を議会から名実ともにヒトラー独裁になる。

 こうなると、ヒトラー忠誠で働いて来た側近らに欲が出る。入閣人事を巡って嫉妬交じりの激しい闘争が展開する。「長いナイフの夜」と称された親衛隊(S.S)が突撃隊(S.A)200名余を粛清する残虐な事件も起こった。再びイアン・カーショー「ヒトラーはヒトラーによって説明できない」。ヒトラーは時代、社会変化、側近ら~さまざまな環境変化・要素が反応し合って成り立っているの意だろう。

 写真上はクーデター失敗の頃の若きヒトラーと突撃隊。写真下はナチの鉤十字マーク。(共に国会図書館デジタルコレクションより。戦前の日本発行のナチ関係書は、ヒトラー賞讃の紹介になっている)

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ヒトラー4:「HITLER'S CIRCLE OF EVIL」第一部 [政経お勉強]

hitler's_1.jpg 次にNetflixより映画「HITLER'S CIRCLE OF EVIL」(ヒトラーの悪の輪、共犯者たち)から、ヒトラーと側近らの動きを知っておこう。(独裁者がいれば、そこには必ず忖度、へつらい、忠誠の報いを求め、利用する人もいる。今の日本にも~)

 同映画は歴史家・作家・教授・博士8名のコメントに沿った映像で構成。同映画の第一部は、時間を遡って第一次世界大戦終盤から始まる。

 まずフランスで出撃待機中の国民的英雄操縦士ゲーリング(写真下)が登場。彼はドイツ撤退報に「皇帝が我々を裏切るはずはない」と信じ、敗戦は左翼政治家の裏切りと思い込む。航空機供与を拒否してドイツ本土へ強行帰還。だが戻ったドイツは政治面では法と秩序が崩壊、知識階級は極左と極右に分割。経済的には貧困と飢え。帰還した英雄操縦士には無関心で、彼は曲芸飛行で食い扶持を稼ぐ他にない。

geiringu_1.jpg 右翼で目立った存在はエッカート(劇作家、詩人、反ユダヤ人、裕福層に人脈)。彼はトゥーレ協会と手を組んで右翼思想を広める「ドイツ労働党」を設立。同協会にはアーリア人を弱体化させたのは劣った人種(ユダヤ人)と交わったのが原因で、劣った人種が国を支配してドイツが弱体化した~という説を信じていたそうな。

 1919年、ヴェルサイユ条約で約2600億マルクの賠償金が課せられたワイマール共和国には〝救世主〟が必要と思っていたエッカートは、野戦病院から帰還したヒトラーが聴衆を巻き込む演説姿に注目した。ヒトラーに魅了されたのは他にもいて、裕福な家の出のルドルフ・ヘスが1番弟子。教師の息子の18歳で人種主義崇拝のハインリヒ・ヒムラーもいた。

 エッカートはヒトラーの身なりを整え、マナーを教え、裕福な後援者を紹介し、彼の信念や理論の精査にも取り組んで彼を磨き込んで行った。まさに父子の関係~。ヒトラーが彼らの宣伝トップに収まると党名を「国家社会主義ドイツ労働者党」(頭文字からナチス。党名は一見左翼風も、労働者を共産主義から守ることを狙った意)へ。トゥーレ協会がアーリア人の起源を示すとした鉤十字をマークにした。

 条約でドイツ軍は軍規模縮小が求められていたが、戦争を愛する現役軍人レームは、秘密裏に義勇軍設立と兵器拡充をしていた。レームはその目的手段としてヒトラーに近づいた。1920年、エッカートとレームは、ナチス宣伝に新聞社を買収。エッカートが編集主任で、ヒトラーを〝救世主〟として売り込んだ。

 そこに曲乗りをしていたゲーリングが参加。かく体制が整うに従ってエッカートは側近の輪から外れていった。1922~1923年に超インフレがドイツを襲った。彼らにとって反乱を起こす絶好の好機到来。1923年11月に革命断行するも、16名が射殺されるなどで失敗。ヒトラーは禁固刑5年。ゲーリングは負傷してオーストリア亡命後にモルヒネ依存症へ。義勇軍を率いたレームも投獄。側近から外されて革命不参加だったエッカートは、彼らが獄中にいる間にアルコール依存症で死去。ヒトラーは獄中でルドルフ・ヘス(ミュンヘン大学政治経済専攻)に口述(ほぼ共著)させたのが『わが闘争』第1巻。ヒトラーは禁固5年も、翌年12月に釈放。その理由は後述。

 イアン・カーショー「ヒトラーのカリスマ的共同体は、まず彼に最も近い人々、ヒトラーに直接仕える〝従者〟によって構成され、彼らはその忠誠に対するヒトラーの報いを受けることで成り立つ(日本の戦国時代もそうだし、今の閣僚人事もそうと言えなくもない。ヒトラーが連立政権から独裁政権になるに従って、報いを得んとする〝従者〟らの嫉妬と闘いが過熱して、仲間内の悲惨な粛清事件も起り、ヒトラーのカリスマ性はさらに強くなって行く)」。またイアン・カーショーは「カリスマ支配」の脆弱性も指摘で、日本の長期一強総裁の崩壊(辞任)をも言い当てているようで実に面白い。

 写真は「HITLER'S CIRCLE OF EVIL」のタイトルバック。写真下はゲーリング。安達造著『ナチスの真相』(昭和8年アルス刊。国会図書館デジタルコレクションより)

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ヒトラー3:世界大恐慌が二人の運命を変えた [政経お勉強]

toiuotoko.jpg 第一次世界大戦は、オーストリア・ハンガリー帝国の皇太子夫妻がセルビア人青年に暗殺された1914年の『サラエボ事件」に端を発した。光子の長男、3男は徴兵も、次男・栄次郎は肺の疾患で徴兵を免れ、恋仲の大女優イダの別荘に籠った。

 一方のヒトラーは、友人との生活ながら2度の美大受験失敗で出奔し、低所得独身公営下宿所で〝フーテン暮し〟。1913年にミュンヘンへ向かうと、オーストリア官憲から徴兵回避の手配書が廻っていて検挙。オーストリアの徴兵試験で「栄養不足で不合格」。

 1914年8月1日、再びミュンヘンに戻る。群衆がオデオン広場に殺到してドイツ参戦に湧き上がっていた。その群衆に中に興奮したヒトラーがいた。即、ドイツ陸軍に志願。『わが闘争』の〝バイエルン連隊への入隊〟項に「~8月3日、わたしはバイエルン国王ルードヴィッヒ三世閣下に直訴し、バイエルン連隊に入隊する許しを求めた。翌日にわたしの請願の答えを受け取った」

 林信吾著には、無名青年の直訴に返答があるワケもなく、翌日に返答郵便が届くほど当時の郵便事情がよいワケもなく、同著はかく都合よく嘘の記述になっていると説明。

 ヒトラーは9週間の軍事訓練後にベルギー前戦へ。英仏ベルギ軍と一進一退の激戦から彼は〝兵士〟に変貌した。1914年11月に上等兵。その1ヶ月に第二級鉄十字章。伝令に抜擢。彼は戦闘合間に破壊された村を水彩スケッチ、また詩も書いている。1918年、連隊から感謝状。兵卒ばがら第一級鉄十字勲章を授章。だが下士官としての指導者素質なく最下級伍長止まり。毒ガス弾を浴びて野戦病院送り。

gunsyunonakanokare_1.jpg そこでヒトラーは、ベルギー大本営が米国に講和を申し込んだと聞く。軍隊が頑張っているのに何てことだ!皇室エリート左翼勢力の奴らめ~という憎悪から、彼は「政治家になると決意」したとか。1918年11月、ドイツ休戦協定調印でオーストリア、チェコスロバキア、ハンガリーの各共和国が成立宣言。1919年1月パリ講和会議、ヴェルサイユ条約でドイツに莫大な賠償金が課せられた。イアン・カーショー「人生最初の30年間、ヒトラーは何者でもなかった」。この辺から彼は変貌する。

 同年4月、ミュンヘンの小劇場で出演中のイダと共にホテル滞在中だった栄次郎(リヒャルト)は、深夜3時に赤腕章の武装兵に逮捕され、その場で釈放された。これはミュンヘンで繰り広げられていた社会民主主義と共産主義の「内ゲバ殺し合い」に巻き込まれたもの。ドイツでは次第に共産主義への拒否反応が広がって行った。

 栄次郎は第一次大戦で疲弊した欧州の復興再生に「統合されたヨーロッパ=パン・ヨーロッパ」構想を提唱し、自ら設立の「パン・ヨーロッパ出版社」から『パン・ヨーロッパ~ヨーロッパの青年に捧ぐ~』を1923年に出版。この時、未だ29歳。出版初年度に10万部のベストセラー。1924年のチェコ語版を皮切りの諸外国での翻訳本が次々と出版。日本でも鹿島守之助が翻訳。1927年に国際連盟協会も出版。1927年にはフランス首相ブリアンが「パン・ヨーロッパ連盟」名誉総裁に就任。

 だが良い事は続かない。1929年の米国ウォール街の証券取引所に端を発した大恐慌が欧州にも及んで「パン・ヨーロッパ」運動どころではなくなった。逆にヒトラーはこれを好機到来とばかりに大躍進した。全体主義、民族主義、ファシズムというのは国難を利用して勢力を拡大する図式がありそうです。

 写真はハラルト・シュテファン著/滝田毅訳『ヒトラーという男』(講談社選書メチエ)。同書掲載「ミュンヘン・オデオン広場群衆の中のヒトラー」が、森川覚三著『ナチス独逸の解剖』(コロナ社1940年、国会図書館デジタルコレクション)にも載っていた。

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ヒトラー2:青山栄次郎とヒトラー [政経お勉強]

IMG_4489_1.JPG 林信吾著『青山栄次郎伝~EUの礎を築いた男』は、今まで読んできた木村毅、松本清張、シュミット村木眞寿美による〝光子本〟と違って、栄次郎(リヒャルト)とヒトラーの対比をテーマに書かれていた。

 2016年12月、日本記者クラブで講演された東京大学大学院教授・石田勇治による「ヒトラーとは何だったのか」(YouTube)では、いま世界各地で起っている<ポピュリズム(大衆迎合主義)+排他主義>が、ヒトラー時代を想起されると語り出し、麻生財務大臣の「あの手口を真似たら~」発言、ユダヤ人でアメリカ亡命のアインシュタインが相対性理論から原爆を示唆し、ドイツに原爆を落とすはずも日本に落とされたと語っていた。

 アインシュタインに限らずヒトラー独裁から他国への亡命者は多数。このブログでも「カンディンスキー及びバウハウス」について記した。カンディンスキーはヒトラー政権誕生で美術学校「バウハウス」閉鎖で、スイス経由でフランスに亡命。ナチ占領下のパリで亡くなった。だが多くのバウハウス教師陣はアメリカへ亡命し、シカゴ「バウハウス」からそのデザイン理論を世界に普及した。このブログのフォントも、バウハウスから生まれた「フーツラ系、ユニバース系」だろう。

 アメリカへの亡命者の中には、光子の次男・栄次郎(リヒャルト)夫妻もいた。ヒトラーもリヒャルト共にドイツ系オーストリア人で、ヒトラーは栄次郎の5歳上。リヒャルトの『パン・ヨーロッパ(ヨーロッパ合衆国構想。後のEU)』初版は1923年だが、彼の父=光子の夫ハインリッヒは、母国ボヘミア地方ロンスパルク城に戻ると外交官を辞めて城主&プラハ大の学生になり、その卒業論文が『ユダヤ人排斥主義の本質』だった。1896年頃と思われるが、いち早く人種論的反ユダヤ主義を批判していたそうな。

boumei_1.jpg 林信吾著には、同論文は「アーリア人種、ユダヤ人種は存在せず。言語や宗教を異にするグループが存在するだけで、ロシアで迫害されている東方ユダヤ人解決策としてユダヤ国家建設をパレスチナにするのは適切ではない」と主張していると紹介。

 さて栄次郎はそんな父を12歳で亡くしたが、ヒトラーは14歳で父を亡くした。ヒトラーの祖父は粉ひき職人で、父は靴職人から「オーストリア・ハンガリー帝国」の大蔵省守衛から官吏として臨時上級事務官まで昇進。58歳から恩給生活で、息子も自分と同じく〝堅気の職〟を頑なに勧めた。反抗・怠惰・生意気な息子ヒトラーは、それに抵抗してよく殴られていたとか。

 父没後のヒトラーは五つの学校、留年一回後に画家志望へ。1907年、18歳でウィーン造形美術学校一般絵画科の受験に失敗。この時に建築科を勧められて、2度目の受験も失敗。その試験中に母を癌で亡くした。かかりつけ医のユダヤ人博士は往診80回余も、その料金はきわめて良心的で、ヒトラーは「感謝を忘れない」と誓ったとか。

 当時のウィーン人口は約200万人で、14万人がユダヤ人。市内弁護士の約半数、開業医の75%がユダヤ人。多民族国家にあって裕福層にユダヤ人が多く、生活苦にあえぐ労働者階級の一部がユダヤ人に反感を抱いていたとか。光子の夫の博士論文『ユダヤ人排斥主義の本質』を書いたのも、そんな背景があってのことだろう。

 光子の次男リヒャルトはウィーン大へ入学後に、母の年齢に近い14歳年上の33歳で、リルケも絶賛の欧州3大女優イダ・ローラントと恋仲になった。二人が結婚の約束を交わしているのを光子が知ったのは第一次世界大戦勃発後のこと。栄次郎とヒトラーの人生は政治的に真逆ながら、時代の同じ情況に影響されつつ歩んで行く。写真はアインシュタイン(国会図書館デジタルより)とカンディンスキーの小生の下手な似顔絵。

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ヒトラー1:まずはじめに [政経お勉強]

wagatousou1_1.jpg 新宿区納戸町公園の「クーデンホーク光子 居住の地」史跡看板から、彼女の関連書を幾冊か読み、彼らが生きた「日清・日露戦争~第一次・第二次世界大戦」にも少し触れた。

 光子の夫ハインリッヒ・クーデンホーク・カレルギーの「オーストリア・ハンガリー帝国駐日大使」としての来日は明治25年末。即、青山光子と結婚。同地で長男次男を生んだ。次男・栄次郎(リヒャルト)が、後にEUの礎になる『パン・ヨーロッパ』運動を提唱した。

 一方、彼より5歳年上のヒトラーは、イン河畔ブラウナウ(現ドイツとオーストリアの国境の街)で「オーストリア・ハンガリー帝国」大蔵省の守衛から税関事務官へ昇進(1875年)後のアロイスと23歳下のクララの子として誕生。

 リヒャルトは第一次世界大戦で疲弊した欧州(米国より狭い地に28国家の諍い絶えぬ状況)を鑑みた復興再生に「パン・ヨーロッパ(欧州共同体構想)」を提唱した。その正反対に走ったのがヒトラーだった。皇帝のオランダ亡命後「ワイマール共和国」が、ヴェルサイユ条約で巨額賠償金を課せられ、植民地や産業や国籍をも失ったドイツ人等々を容認で、共和国に闘い挑んで「独裁国家」を築いた。

 最近(9月24日)のテレビ番組「アンネ・フランク生存者が語る「日記」のその後」を観た。余りの残虐さに途中で観るのを止めた。あたしは子供の頃に、姉本棚の『アンネの日記』を読んだことを思い出した。

 次に「Netflix」で映画『ヒトラー~最後の12日間~』(ヒトラー最後の個人女性秘書の証言を基にした独裁者の最後を描く)を観た。前述『アンネ~』には大量虐殺された遺体映像が多数挿入されていたが、後者は「ヒトラーと最後の側近ら」のパーソナリティーに焦点が当てられ、大量残虐とはちょっと結びつかぬ妙な違和感を覚えた。 

 戦争は死者をグロス(数字)で表わす場合が多いが、その数字・映像の裏にはかけがえのない個々人のパーソナリティーが詰まっている。死者をグロスでとらえる戦争など「絶対にしてはいけない」

 2013年、麻生副総理兼財務金融相は、自民党の憲法草案「緊急事態条項」について、都内ホテルでの講演で「あの手口を学んだらどうかね」と言ったそうな。(ワイマール憲法が誰にも気づかぬ間にナチス憲法に変わっていたように~の意。世界で最も民主的と言われたワイマール憲法の第48条第2項の緊急事態条項が〝絶対的な独裁に利用された=石田勇治講演より)

 菅内閣になっても副総裁兼財務大臣はそのままで、官邸は日銀、NHK、官僚、検察庁、マスコミに加え、今度はなんと!日本学術会議まで手を出したらしい。前内閣の「危ないなぁ」の危惧は何も変わっちゃいない。ここはやはりヒトラーの「手口」とやらをお勉強しておく必要もあるらしい。麻生さんもヒトラーに詳しいのだろう。かくして小生も遅まきながらヒトラーのお勉強です。ヒトラー関連書籍も映像作品多数。老いた頭で理解するのは難儀だが、まぁ、ゆっくりとお勉強して行きましょう。

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検察庁法改正案反対意見書~の要約 [政経お勉強]

 今日のブログは「済松寺・祖心尼」予定も、東京新聞に昨日の検察庁幹部OBらによる「検察庁法改正案反対意見書の全文」が掲載されていた。その長文を、小生ブログ1回分に以下要約してみた。

 東京高検の黒川検事長は定年直前に、定年半年間延長の「閣議決定」で、今なお現職にある。安倍内閣は、検察庁法改正の手続きを経ずに、黒川氏の定年延長を決定した。これは内閣が現・検事総長の稲田氏の後任に黒川氏を充てる措置~がもっぱらの観測である。この定年延長に法的根拠はなく、今なお黒川氏が現職という異常状態が続いている。検察官には国家公務員法の定年延長規定は適用されず、これに反する運用は過去に一度もない。

 検察官には起訴不起訴の決定権(公訴権)と、併せて捜査権がある。政財界の不正事犯も当然ながら捜査対象になる。時の政権の圧力が及べば、日本の刑事司法は適正公平の基本理念を失い崩壊しかねない。安倍首相は内閣だけで、法律解釈運用を変更した。

 これはルイ14世の「朕は国家である」をほうふつさせる姿勢で、三権分立主義の否定につながる。17世紀のジョン・ロックは著書に「法が終わるところ、暴政が始まる」と警告した。

 現在、黒川氏を定年延長してまで対応する事案もない。今回の改正案は黒川氏定年延長の違法決議を後追い容認しようとするもの。検察人事に政治権力が介入することを正当化し、政権の意に沿わない検察の動きを封じ込め、検察の力を削ぐことが意図されていると考えられる。

 (ロッキード事件に触れて~)検察が委縮して人事権まで政権側に握られ、起訴・不起訴の決定など公訴権の行使にまで政権の干渉を受けるようになったら、検察は国民の信託に応えられなくなる。正しいことが正しく行われる国家社会ではなくてはならない。

 今回の検察庁法改正案提出と続いた一連の動きは、検察の組織を弱体化して、時の政権の意のままに動く組織に改変させようとする動きである。与党野党の境界を越えて多くの国会議員と法曹人、そして心ある国民すべてがこの検察庁法改正案に断固反対の声を上げてこれを阻止する行動に出ることを期待してやまない。

 以上、この全文要約アップが、著作権違反になる場合は削除します。検察庁の偉いOB、爺さんらが記した文章なんぞ読むに耐えねぇ~だろうと思っていたら、まぁ、遠山の金さんみてぇに胸ふるわせる肉声に近い文章で感動した。一方、安倍首相の語りはダメだ。長年の嘘答弁が沁み込んで、何を語ってもウソに聞こえる。「嘘と無知と無恥がこびりついている」と誰かが言っていた。

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新宿三丁目からコロナ後の世界へ~ [政経お勉強]

sancyome1_1.jpg 誰とも会わずのご近所散歩で、閑散とした「新宿三丁目」を見ました。皆様、売り上げなし・仕事なしも〝自粛〟を頑張っていらっしゃる。やりたい放題の〝富ヶ谷夫人〟は何処で誰と遊んでいるのだろう。

 だが、世界各国のロックダウン(都市封鎖)映像を観れば、この程度の光景は相当に生温いようです。

 米国調査会社による「世界的クライシス(危機)に対する世界の大統領・首相の評価」(★)で、我が日本の安倍首相はワースト1位とか。フツーは国家危機に当たって首脳の支持率は上昇するらしいが、ずば抜けた最下位とは哀しいねぇ。★21日のテレビ「報道1930」紹介。調査社は「モーニング・コンサルタント」。

 そこで明日の日本を語るテレビを観れば、横文字ばかりで隠居爺には理解不能も、概ねこんな内容だった。

メガクラスター(巨大感染集団)のフェーズ(段階)に入って、パンデミック(世界的流行)でサプライチェーン(製品の原料~消費までの流れ)が崩壊した。オーバーシュート(爆発的患者急増、現時点で250万人・死者17.5万人)で、さらに氾濫するインフォデミック(デマを含む情報拡散)に惑わされがちだが、ここはエビエンス(根拠・証拠)とアセスメント(客観的評)に基づいたソーシャルデスタンス(社会的距離)を保って、インバウンド(訪日旅行)に頼らない新たなパラダイム(捉え方、見方)で、脱グローバリゼーション(国・地域の境界を越えた展開を止めて)で、新自由主義終焉(小さな政府と市場の自由という考えの終わり)後の、従来にないアフターコロナ時代に入りましょう」(以上は小生の創作)

 コロナ終息後は、従来の国会議員(諸外国議員より約倍の年収で仕事・勉強せず)全員に引退していただいて「新しい日本」が生まれるらしい。それに期待して〝自粛〟を頑張り続けましょうと思いました。

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「新聞記者」アカデミー賞3冠受賞 [政経お勉強]

sinbunkisya.jpg 昨年7月に映画「新聞記者」を観たレポート<「新聞記者」出演者・製作者の矜持>の追記に「願わくば一つでも多くの映画賞を受賞して~」と記した。

 そして過日、「新聞記者」が第43回日本アカデミー賞の作品賞、監督賞、主演男優賞、主演女優賞、脚本賞、編集賞の「6部門・優秀賞」を得たと知った。「安倍一強」を支える「内調(内閣情報調査室)」の暗躍を、若い官僚と新聞記者の側から描き、「忖度・同調圧力」で歪んだ日本の政治、マスコミ堕落を指摘した作品。テレビは同作公開時に映画紹介一切なし。主演女優も〝同調圧力〟を考慮したかで韓国女優シム・ウンギャンさんが出演した。

 上記「6部門優秀賞」は映画人の矜持のささやかな証~と思った。また同映画によって「マスコミ」は少しでもマシになったかと思っていたが、いやはや~、先日(29日)のウイルス感染対策「全国一斉休校要請」の〝丁寧な説明〟「安倍内閣総理大臣記者会見」は、予定された質問(茶番)に応えただけでサッサと終了。

 後日の参院予算員会で、蓮舫議員に追及された首相は「あれは官邸記者クラブの仕切で~」と云い逃れた。「あぁ、マスコミてぇのは何も変っちゃいねぇ。権力の番犬ならぬポチと化したマスコミなんぞ早くなくなっちまえ」です。

 そして6日のアカデミー賞「最優秀賞」発表。大手映画会社関係者中心の投票、独立系の政権批判映画で「最優秀賞」はあり得ぬと思っていたんですが、何ということでしょうか! 最優秀主演女優賞がシム・ウンギョン。彼女の感涙に、あたしももらい泣き。最優秀男優賞が松坂桃季。最優秀作品賞も「新聞記者」の3冠受賞!

 政権批判の同映画製作関係者らの矜持に、多くの映画人らが明日の映画製作に夢を託し、評価したってことだろう。絶望し呆れ諦めていた現・日本だが、ちょっとだけ好きになってきた。

 若者は新聞購読せぬ(20代で約1割。総務省調べ)。テレビ離れも進み、PCやスマホでウエブサイトでの発信・閲覧が定着化している。ちなみに日本アカデミー賞3冠受賞「新聞記者」を例にしも、日テレ「受賞中継」以外は多局では取り上げず、新聞の詳細紹介もない。もっぱらウエブサイトでの話題。また権力が及び難いウエブでは、権力者の隠し事・陰謀・言論統制・言い訳はたちまちのうちに暴かれ拡散される。

 「マスコミ(特にテレビ媒体)VSウエブ番組や映像系」、「マスコミ(大手新聞)VS独立系活字媒体(出版社・ウエブ記事)」の溝が大きく広がっている。後者は権力のポチを嫌って、番犬としての姿勢(ジャーナリズム)が貫かれ、政治を変えようとするパワーが満ちているように感じられる。映画「新聞記者」日本アカデミー賞3冠受賞はとても素晴らしい。祝・祝・祝~。

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