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尾張藩下屋敷「龍門滝」 [大久保・戸山ヶ原伝説]

owarisimoyasiki1_1.jpg 13日に新宿中央図書館で「餌差町」を調べていたら、『尾張徳川家下屋敷跡Ⅱ』」と題された2003年刊の「早稲田大学学生会館建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書」を見つけた。同地より尾張藩下屋敷、俗に「戸山荘」の「龍門滝」遺構が発見されたのだ。

 尾張藩下屋敷跡は現・戸山公園。自宅7Fより東に展望の一帯で、先日の紅色の空写真をアップしたばかり。この写真のこんもりした小山が東京一の標高を誇る玉円峰、通称「箱根山」。この山の左裾奥辺りが現・早大学生会館辺りで、、その工事にあたって「龍門滝」遺構が出てきた。尾張藩下屋敷は興味尽きぬ趣向が凝らされた庭で、その関連書を読み漁っていた時期があり、この「龍門滝」発掘に小躍りした。

 その当時、十数年に亘って名古屋「御園座」に年に一度行く仕事があって、その「龍門滝」遺構がそのまま名古屋「徳川園」に移築再現されると知って、御園座帰りにわざわざ工事現場を見に行ったりした。むろん完成された「龍門滝」も見、写真も撮ったが、フィルムカメラでネガも紙焼きも今は探し出せぬ。そんな経緯があっての遺跡発掘報告書。わくわくしながら読んだ。

 他に借りた本は、かつて吉増剛造さんと下町を歩きながら対談していただいたことがある諏訪優さんの『田端日記』、荷風さんに習って年譜調べをしてみたこともある『大田南畝』(沓掛良彦著)、そして松田道生著『大江戸鳥暦』。

 『大江戸鳥暦』まえがきに・・・江戸時代に今のよう双眼鏡や鳥類図鑑があったわけではないのでとあり、思わず「そりぁ~嘘だろう」。江戸後期は飼鳥が大ブーム。滝沢馬琴が飼鳥(最初はウソを飼った)を始めると、それっとばかりに鳥屋が次々に珍しい鳥を持ち込んであっと言う間に100羽になったとか。馬琴自らも娘婿に絵を描かせて図譜を作るなどで、この頃にすでに鳥の飼育書や図譜が20冊余。(細川博昭『大江戸飼い鳥草紙』参考)。同書は川柳から鳥の小話集だが、まえがきで興醒めはちょっとキツイ。


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