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チェコ亡命者たちのデミタス [デミタス&飾り皿]

5Thun1_1.jpg デミタス記事中断も、少しづつ続ける。我が家には他にも「Czechoslovakia」刻印のデミタスがあった。シンプルな嫌みのないデザインの「上絵金彩カップ&ソーサー」。バックスタンプは王冠下に「TK」Thunyだろうか。どんな窯元だろうか。

 プラハで仕入れ日本販売のサイトを拝見すると、「TK Thun社」は1794年創業の歴史ある陶器メーカーで、今ではKarlovarsky Porcelanグループの一つとして生産を続けている、とあった。それ以上の事はわからぬが、いずれにせよ1918年にチェコスロバキア共和国が誕生し、1939年にナチス・ドイツ保護領になる間の製品だろう。

 これらチェコ製のデミタスは、米国中を巡って骨董収集・販売をしている米国人から購入したもの。唐突だが小生は二十代の頃に勤めたPR会社は、入社前に大手広告代理店と競って「ベラ・チャスラフスカ」のCM権を獲得し、梶山季之が『チャフラフスカを盗め』と題して小説化した社だった。彼女は1964年の〝東京オリンピックの名花〟〝体操の妖精〟で絶大人気を得ていたが、その4年後が「プラハの春」。共産党体制に反対表明していた彼女は共産党崩壊まで厳しい人生を余儀なくされたらしい。

5Thun2_1.jpg テニスのナブラチロワもチェコ・プラハからアメリカへ亡命した。1993年のチェコとスロバキア分裂後にチェコに国籍を復活させて、今は二重国籍とか。これら例からも容易に想像できるがナチス・ドイツから、共産党政権から逃れてアメリカへ亡命したチェコ人はとても多い。アメリカで入手のチェコ製デミタスを手に取ると、チェコからの亡命者たちがアメリカに持ち込み、その後に手放しただろうことが想像され、彼らの厳しかった人生が垣間見えるような気がして胸がキュンとしてしまう。 


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チェコスロバキアの誇りと意地 [デミタス&飾り皿]

4czech1_1.jpg 「Made in Germany」と刻印されたチェコのデミタスの次は、堂々と「Made in Czechoslovakia(チェコスロバキア)」刻印の「チェコ製金彩カップ&ソーサー」を手にとってみた。

 カップ&ソーサー共に金彩(ゴールド)。それでもカップ内側底とソーサー中央に白磁の素が残されて花が描かれている。バックスタンプは針葉樹らしいニ本と「SCHLAGGENWALD」の文字。ネット販売で同マークのカップが売り出されていて、こう説明されていた。「チェコのホルニー・スラヴコフという町にある世界的窯元、シュラッゲンヴァルト窯の1930年代の製品」

 チェコの西ボヘミア地方は、ドイツのマイセンやドレスデン、南のミュンヘンに隣接していて、この辺一帯が磁器生産地なのだろう。シュラッゲンヴァルト窯のある「ホルニー・スラヴコフ」を調べてみたら、チェコのドイツ際の町だった。

4czech2_1.jpg ここでチェコの歴史を簡単にお勉強してみた。ポーランドやローマ帝国などに侵略され続け、「30年戦争」「フランス革命」「ナポレオン戦争」と気の遠くなるような戦禍が続いている。チェコとスロバキアが合同して「チェコスロバキア共和国」が出来たのは、第一次大戦後の1918年だった。しかし平和は永くは続かない。1939年になるとドイツ・ナチスによってボヘミア、モラヴィァ地方が再びドイツ保護領へ。ナチス・ドイツが敗れると、今度はソ連によって「チェコスロバキア社会主義共和国」へ。共産党体制崩壊後の1993年に現在のチェコとスロバキアが分離。

 チェコは千年に及んで周辺列強国に翻弄され続けて、独自の文化も育めなかった。しかし、このデミタスのバックマーク「MADE IN CZECHOSLOVAKIA」を見ると、ここにはチェコの誇り・意地・歓びが満ちているように感じられるが、いかがだろうか。


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ハイハンドルのウィーン窯風 [デミタス&飾り皿]

3jwk1_1.jpg もうひとつ「ウィーンスタイル」と思われる「上絵金彩男女図ハイハンドルカップ&ソーサー」があった。ここで注目は〝ハイハンドル〟だろう。

 三井記念美術館で開催「デミタス コスモス」の多数展示のなかで、ハイハンドルは僅か七点だけで、それらに遜色せぬデザイン。凝ってい、骨太の感がする。バックスタンプをみると、ウィーンスタイルのマークを囲んで「JWK」と「Dec.Karisbad」の文字が組み込まれている。写真はカップのバックスタンプだが、ソーサー裏には同スタンプに加えて「Made in Garmanuy」も刻印されていた。〝ドイツで作られたウィーンスタイル〟?

 ここからが謎解き。まず「Karisbad」とは? ネット検索するとアメリカの3州にこの名の街があった。チェコにもあったが、ドイツでは探せない。チェコの「Karisbad」を調べる。ボヘミア地方・カルロヴァ・ヴァリ地域から生まれた磁器ブランドとあった。ドイツとの国境に近い西ボヘミアのチェコ有数の高級温泉リゾートとか。読み方は「カールスバッド」。ドイツ語では「カールスバード」。

3jwk2_1.jpg チェコなのに、なぜに「Made in Germany」なのだろう。この謎を解明すべく、チェコの歴史を探る。なんと同地はドイツ系住民が多く、1938年にナチス・ドイツによってドイツ領となり、それが第二次大戦終結まで続いたらしい。ってことで、このデミタスは戦前までのドイツ領当時のチェコ製ってことだろうか。また「JWK」については調べられなかった。

 このデミタスを見つめていると、周辺国に翻弄され続けたチェコの厳しい歴史が垣間見えるような気もした。


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マイセンからウィーン窯風へ [デミタス&飾り皿]

demitizu1_1.jpg 「マイセン」の歴史・地理を知らぬと〝デミタス〟全般の理解がし難いと気付いた。まずは基礎から勉強。前述展覧会のカタログ文やネット文を参考に、分からぬ事を調べて自分流に以下にまとめた。

 「マイセン」のルーツは純白の中国磁器や日本の伊万里。これら蒐集と白磁生産に取り組んだのがポーランド国王&ザクセン選帝侯のアウグスト二世(1670~1733)。ザクセン選帝国の首都はドレスデン(現ドイツ)。国王は芸術と建築のパトロン。ちなみに同侯の旗にはマイセンの〝双剣〟が描かれている。

 同国王のもと、1709年にザクセンの鉱山で発見した原料で白磁製造に成功。翌1710年にドレスデンに「王立ザクセン磁器工場」を設立。その数ヶ月後に25㎞離れた(ドレスデンからエレベ川の西側)の「マイセン・アウブレヒト城」に工場移転。ここで10年、16色の上絵具を開発して上絵を施した「マイセン」を完成させて隆盛を極めた。

2wiener1_1.jpg ここまで調べて、ポーランド国王がドイツのドレスデンやマイセンで磁器工場を設けた背景がわかった。次に地理のお勉強。ポーランドに隣接してドイツのドレスデン、マイセンがあり、南に隣接が旧チェコスロバキア。さらに南にオーストリアのウィーンがある。この辺りが「デミタス」の生産域だろう。

 さて、我が家の次なる「デミタス」は「上絵金彩男女図のカップ&ソーサー&ゴールドホルダー付き」。バックマークは「デミタス コスモス」展カタログで紹介される〝ウィーン窯風マーク〟があった。同カタログより〝ウィーン窯風〟の説明文を要約する。~マイセン磁器に追従するように、フランスではポンパドゥール夫人が支援したセーヴル窯、オーストリアではマリア・テレジア女帝命によるウィーン窯など各地で様々な磁器窯が誕生した。ウィーン窯は国力衰退で1864年に閉窯。職を失った職人たちがオーストリア・ボヘミア地方を中心にフランスやドイツまで多くのウィーン様式の製品を世に出した。これらには「ウィーンスタイル」といわれるバックマークが付けられている。

2wiener2_1.jpg このデミタスは「1884年後のウィーン窯風」とまで判断したが、ウィーンスタイルマークの上に点、下にS7772 の数字がある。きっとここから窯元などの詳細もわかるのだろうが、目下はここから先が分からない。


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マイセンの二級印ぞ桜雨 [デミタス&飾り皿]

upmeissen1_1.jpg 先日、日本橋の三井記念美術館で開催の「デミタス コスモス」展を観に行った。「デミタス」は仏語で半分の意の〝demi〟+カップの〝tasse〟=demitasse(半分のカップ)で、濃いコーヒーを飲む器。なぜに、そのアンティーク蒐集展を観に行ったかといえば、実は我が貧乏隠居所に似つかわしくない立派なガラス張り食器ケースがあって、「デミタス&飾り皿」が収まっているんだ。それらは小生が稼いでいた時分に、女房がヘソクリでセッセと買い込んでいたものらしい。

 かくして我が家では地震がくれば、まずその食器棚を押さえることになっている。「デミタス」は15セット程あって、それら磁器の知識、鑑賞眼が皆無ゆえに、同展覧会で多少の勉強をしてみようと思い立ったワケ。まぁ、女房孝行です。

souken1_1.jpg 帰宅後に、その食器棚からまず最初に手に取ったのが「マイセン」のバックスタンプ(窯印。この言葉も今回初めて知った)がついた「デミタス」。同展覧会のカタログより「マイセン」の頁をひもとき、手にした「デミタス」を「上絵金彩花と男女図の交互構成カップ&ソーサー」と題し、その優美な曲線を愛でた。

 さて、肝心のバックスタンプをじっくりと調べる。「双剣」で間違いなくマイセン製と判断。さらに双剣マーク下方先端に点で〝ボタン剣〟なり。他に点や文字もなく、これは1800~1910年製と判断した。うむ、ちょっと高額なり!とほくそ笑んだが、そうは問屋が卸さなかった。マイセンのバックマーク説明をさらに読め込めば「1980年までの二級品には、マイセンマークに重なるように二本の切れ込み線が入っている」の記述があるではないか。

 まぁ、我が家のマイセン「デミダス」には、微かに双剣マークに二本の刻み線がある。写真では分かり難いが手でさすってみると良くわかる。どうやら二級品(瑕物)を掴まされたらしい。かかぁにそう言えば「いいのよ。眺めていて〝まぁ、きれい。こんな磁器を作っていた時代があったんだ〟と楽しんでいるだけだから」。そうは言うが落胆は隠せぬので、こう慰めた。「うん、〝ボタン剣〟ゆえに105年前の製品には間違いない。明治か江戸時代の作。歴史と美しさは充分に楽しめるよ」。こんな調子で我が家のデミタス&飾り皿をひとつ一つ調べて行くことにした。


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