SSブログ

沓掛良彦著「大田南畝」 [大田南畝(蜀山人)関連]

oktananpo_1.jpg

 目下読書中。久し振りの蜀山人「大田南畝」です。あたしは60歳になった時に、先達老人の生き方を伺いたく不良老人…大田南畝、永井荷風、谷崎潤一郎に白羽の矢を立て読み漁った時期がある。南畝は寛延2年(1749)、牛込仲御徒町(現在の新宿は牛込北町辺り)生まれ。「人生の三楽は読書と好色と飲酒」と言いつつ75歳で没。

 貧しい御徒の家に生まれるも勉学に励み、18歳で平賀源内の序文を得た「寝惚先生文集」で江戸文壇に華々しくデビュー。それまで格調重視の漢詩世界をパロった滑稽文学。狂詩、狂文。これを機に江戸後期の戯作文化が一気に花開いた。スター大田南畝は、貧乏御徒ながら酒色耽溺の日々。妻がいながら遊女を身請け。そして田沼意次失脚と松平定信による粛清。

 ここで南畝さん、難を逃れるべく学問吟味の日々。見事首席合格で支配勘定。謹直小吏の道を歩みだす。だが50代になる頃に世情緩むと、再び狂歌や戯作に手を出し、人生快楽の世界を謳歌。息子・定吉が有名人の子ゆえか、やっと出仕するも満足に勤務出来ず、南畝は生涯役所勤めを続ける半隠居ながら、75歳の時に妾「お香」と共に市村座の芝居に出かけ、三代尾上菊五郎に狂歌を書き与え上機嫌で帰宅した翌日、ヒラメの茶漬けを食って、そのまま永眠…。

 本来なら漢詩が読めねば南畝の理解は出来ないのだろうが、あたしにその「学」はなく、もっぱら評伝など読み漁った。同書はそんな時期後の07年にミネルヴァ書房刊。さて、あたしの人生の三楽はなんだろう。「読書」と、好色の歳でもなく「鳥撮り」かな。飲酒も卒業で目下はダイエットと闘いつつの「少量食」か。そうだ。あたしは「焚き火(薪ストーブ)」が大好きで、焚き火小屋のある大島に行きたぁ~い。


nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。