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京伝とスカイツリー [大田南畝(蜀山人)関連]

kyoudendana_1.jpg 椅子を東向きにし、双眼鏡を覗けば東京スカイツリーが見える。それが見えるはずと思ったのは、ここから隅田川花火を撮ったことがあるからだ。井上ひさし「京伝店の烟草入れ」(講談社文芸文庫)の表題小説の読後感がとても良く、読み終わって東空を見上げたら両国辺りから三尺玉花火“夜の日輪”が見えたような気がした。

 物語を自分流に要約するとこうだ。…蜀山人こと大田南畝、噺家・烏亭焉馬、本屋・蔦屋重三郎、そして絵師で戯作者・山東京伝が両国川開きで屋形船遊び。暗くなる前は若手の花火職人の玉が揚がる。そこに意表を突いた花火。まだ明るいのを逆手に、流行唄“猫じゃ猫じゃ~”の節の音曲炸裂花火。新人発掘、流行キャッチを得意の四人のこと、黙っちゃいられない。その花火師が鍵屋の若い衆・幸吉と突き止めた。彼は翌年も明るいうちの前座花火で、唐傘落下の仕掛け花火で江戸ッ子をあっと言わせた。京伝ら四人は酒席に幸吉を呼んだ。彼は江戸中の人が見える二百間揚がる三尺玉の夢を語った。だが若造の夢を鍵屋の親方が許すわけもない。松平定信による「奢侈禁止令」も出ている。

 山東京伝はこの「寛政の改革」で手鎖50日の刑を食らい、蔦屋重三郎も財産半分没収の刑。彼らにはお上の恐怖がトラウマになっていた。だが京伝は、このしけた世なんぞ真っ平御免、花火くらい景気よく揚げたっていいじゃないかと思う。自身が開く烟草入れ屋の宣伝を兼ねて幸吉の夢に投資をした。翌年、江戸中が三尺玉で湧き上がった。今か今かと待つ最中「三尺玉打ち揚げ禁止。幸吉は江戸三十里四方所払いの刑」の報が飛び込んできた。三尺玉が二百間も飛ぶなら大砲と同じぢゃないか…がお上の断。逃げきった幸吉は翌夜、ひそかに三尺玉“夜の日輪”を揚げた。

 二百間は364m。5月10日現在の東京スカイツリー368m。それは江戸中ならず近郊までど肝を抜く花火だったに違いない。なお、山東京伝と同じく、「梅暦」の為永春水も「天保の改革」で手鎖の刑で牢死している。荷風全集には大田南畝に加え為永春水の年譜も収められている。


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