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森岡久元「花に背いて眠る」 [大田南畝(蜀山人)関連]

nanpohon1_1.jpg 著者の大田南畝シリーズ「南畝の恋」「崎陽忘じがたく」に続く第3作目。老舗の茶問屋・亀屋本店が破綻するほど大田南畝に入れ揚げ、本人公認の代筆、本人に成り代っての出版を経て、念願の「二世蜀山人」を襲名。その直後に亡くなった亀屋文宝亭、食山人こと亀屋久右衛門の物語。あたし流の解釈・要約すれば…

 宝亭は江戸市中屈指の繁華な商店街「元飯田町中坂」(現・九段1丁目)の老舗主人。風流を愉しむ裕福な商人たちが、競って南畝の花見や宴を援助。宝亭はそれが高じて亀屋本店を左内坂(おぉ、懐かしの左内坂)で支店を営む叔父・勘兵衛(俳号・壺天)に譲り、下谷三筋町に隠宅暮し。蜀山人が島田順蔵の娘・お香を妾にしたように、自身も妾「おとし」としっぽり暮し、憧れの南畝の老境を追従。師亡き後は「南畝先生伝」執筆を目指すが筆進まず、まずは年譜をまとめつつ、あの日この時の南畝を思い出す。文化4年の永代橋崩壊の惨事を取材の「夢の浮橋」や執拗に続く花見などから、南畝の「生きるとは見る意欲のこと」なる言葉を甦らせる。

 南畝亡き大田家は貧しさと戦っている。南畝の墓も建てられず。南畝の蔵書も書作も名声も、生活の糧に成り下がる。文宝は「蜀山人」印章を10両で求めて念願の「二世蜀山人」になるも、襲名後1年足らずで死去。時世の句も南畝の「…人間万事花に背いて眠る」。 亀屋本店を継いだ勘兵衛が「無駄なことばかりしてきた人だった」。これに本屋の雁金屋青山堂に「無駄こそ人生の花、妙趣」と言わしめる。

 発行は2005年の「澪標」刊。たぶん自主出版でしょう。著者はコンピュータ関連会社経営者だそうだが、南畝に魅せられ“無駄=花”の3作目。 ★あれもこれも酔狂でござんす。死する時はこの世の花々にさようならでござんす。★今日は楽しみにしていた川本三郎「いまも、君を想う」発売日。あたしはきっと泣きながら読む…。


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