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揃い踏む南畝荷風のウズラかな [大田南畝(蜀山人)関連]

 過日古本街で購った俳句本6冊の中に日本古典文学大系「近世俳句俳文集」あり。無学ゆえ「俳文」を知らず。「俳文とは」の麻生磯次解説を要約すれば… 俳文という語は芭蕉の書簡にあり。芭蕉は詩文(俳文)と実文とを意識的に使い分けている。俳文は俳諧味のある文、俳諧の心を散文に活かしたもの。俳文には俳句と同様にさび・しおりの風雅を忘れてはならず。飄逸・風狂・洒脱・花鳥風月・隠遁的・雅・閑寂味を見出そうとする態度が肝心。その手法は省筆(省略)による妙味、韻文的リズム感、その散文に俳句を配すること…とあった。その俳文の代表が芭蕉16篇をはじめ、許六32篇、支考13篇などを収めた「風俗文選」と、大田南畝が編集刊行した横井也有翁(やゆうおう)の「鶉衣」とあった。

 以前より好きで関連本を読んできた大田南畝(蜀山人)が編集刊行せし「鶉衣」が俳文の代表的存在とは驚き、かつ嬉しくもあり。ならば南畝好き荷風が、その「鶉衣」に言及せぬわけなしと踏んでネット検索すれば、同じ文が同じように引用されたサイトが続々ヒットなるも、いづれも出典先を記さず。誰かの子・孫・曾孫引きでもっともらしく記したのだろう。引用するなら出典先を記すは基本。荷風好きには我慢ならず全集ひもとき同個所を探り出せば、その文は「雨瀟瀟」にあり。(後日改めて荷風の「鶉衣」讃の文章を引用紹介)

 横井也有翁は尾張藩の重臣・横井時衡の長男で、家督の重責を果たしたのち53歳で半掃庵で隠棲暮し。若くして俳句を作っていたが、隠居後に本格的に俳文を書き始めたとか。南畝さん、どこでどのように也有翁の「鶉衣」に出会ったか。感動して蔦屋重三郎の手で刊行の運び。也有翁は53歳の隠遁にあたって坊主頭になっている。坊主や法師になるわけでもないが、その方が清かべしと剃髪。「鶉衣」をひもとけば、それは「剃髪辨」にあり。48歳で長髪から坊主頭にした身にとって、その弁に興味が湧く。かくして「鶉衣」を少しづつ読んでみることに相成候。 揃い踏む南畝荷風のウズラかな


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