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嵐山光三郎「美妙、消えた。」 [読書・言葉備忘録]

 先日、新宿歴史博物館「大田南畝と江戸のまち」関連2回目の記念講演に出席した。講師は大妻女子大の石川了教授。南畝研究の第一人者で恩師の濱田義一郎名誉教授の思い出を語りながら、味のある講義を進めた。蔦屋重三郎と南畝の関係でこんなことを言われた。「濱田先生はお金のことは下世話ゆえ口にしませんでしたが、私は蔦重が金づる・南畝を離さなかったと思うんですよ」。ふむふむ、アカデミズムは金のこと、むろん妻妾同居の性生活、食い物、悋気など下世話、尾籠ごとには眼を反らすんだと再認識した。

 ここまでが前段。その意では嵐山光三郎は金、性生活、食欲、悋気など下世話、尾籠ごとから人を描くのが得意の作家で、そんな彼の「美妙、消えた。」を読んだ。概要はこうだ。

 ・・・尾崎紅葉と幼馴染だった山田美妙は、17歳で共に硯友社を結成。文学熱中で大学入学ならず。美妙の将来に賭けていた養祖母は半狂乱。頼るは文学(売文)で食うほかにない。硯友社から去り、言文一致を拓きつつがむしゃらに書いた、稼いだ。たちまちに注目作家になって自家用人力車まで持った。好事魔多し。良妻賢母の女性誌を編集しつつも、浅草の年増・留女に引っかかって性愛の深みにのめり込んだ。待合まで持たせて、せっせと通って「宝一」「宝二」。美妙日記の「宝」は交情記録で連日いたしている。(明治の文学「山田美妙」に同日記が掲載されている) やり過ぎで筆が勃たなくなってと揶揄され、この辺を嵐山は舌舐めづりしつつ嬉々と書いている。独壇場だな。

 やがて黒岩涙香「万朝報」に、爛れた関係が暴かれる。嵐山は放蕩を諌めようとした養祖母がタレ込んだとしている。これを根津の娼婦を妻にした坪内逍遙が筆誅の追い討ち。美妙は次いで女弟子・稲舟と深間になって文壇から袋叩き。父の愛を、友情を、男らしく闘うことを・・・知らずに育った優男・美妙は反撃することもなく世捨て人となって「日本大辞典」など地道な稿料で細々と生き、悲惨な最後を迎える。稿料で生きる作家の過酷な人生・・・。また同作は二枚目・優男作家と下世話・尾籠作家の妙であり、さらに言文一致運動と昭和軽薄文体作家の妙。

 作家ではないが、あたしも隠居するまでギャラ生活だったから、読んでいて胸がキュンと痛くなってしまった。さて、美妙とは正反対の下世話・尾籠好き嵐山光三郎は、不良中年ならぬ70の高齢者になり、仲間内から「歳を取るとガタッと原稿依頼がなくなるゾ」と忠告されつつも、相変わらず「サザエさんの性生活」など考察し、「この家の主人は、すぐお金の話をするので、抱きしめたいほど好きになってしまう」と記し、若い世代ににセンセイと崇められつつ人生「下り坂」でも大繁盛しているらしい。


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