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新宮の百年のトゲ今もあり [佐藤春夫関連]

kumanohon_1.jpg 目白台の佐藤春夫邸調べから、和歌山県新宮が妙に身近になってしまった。同市は佐藤春夫の故郷。彼の父・豊太郎は「毒取る=ドクトル大石誠之助」と医者仲間だったし、大石と彼の甥・西村伊作から多大な影響を受けた。明治44年「大逆事件」で12名処刑、12名無期懲役。新宮から6名の犠牲者が出て大石誠之助と成石平四郎が処刑。この時、佐藤春夫19歳。この大石誠之助と西村伊作(のちに文化学院を創設)が実に魅力的な人物なのだ。

 新宮市には西村伊作が大正4年設計・建築の「スイスのシャレー風洋館」が保存され、昭和2年に伊作の弟・七分設計の佐藤春夫邸も移築されている。両邸の北側に熊野川。眼を閉じれば、かつて熊野に清新な気を放った「太平洋食堂」が、町全体が恐懼した大逆事件が・・・と時代それぞれに変化した新宮が見えてくる。

 同書は「大逆事件から100年。熊野に刺さったトゲを抜くべく大石誠之助を名誉市民に」という運動を報じた「熊野新聞」記事をまとめたドキュメント。「はしがき」に、このような記述。「日の出の帝国主義に非戦、自由、平等を唱える幸徳秋水や大石誠之助らは目の上のたんこぶだった。天皇制国家の完成を目指す藩閥政府は弾圧の機会をうかがっていた。大逆事件は日本の民主化の流れを止め、軍国主義への曲がり角になり、熊野の反骨と自由闊達の精神も失われた。大石誠之助が処刑されて100年。彼を名誉市民にすることで、熊野に刺さった最大のトゲを抜こうという運動を報告する。

 詳しくは掛けぬが、昭和36年に市立図書館長が「大石誠之助特集」を組んで辞職に追い込まれている。市には未だ「逆賊」と捉える人々がいて、顕彰ままならぬ。同書は2011年1月発行だが、さて大石誠之助は名誉市民になったのだろうか。今それをネット調べをしたが要領を得ぬ。うむ、小生なら佐藤春夫、西村伊作記念館があるなら、ちょっと立派な「太平洋食堂」を復活させて大石誠之助記念館&熊野文化発信基地にしてみたいが・・・。

 ともあれ三者の魅力から次は佐藤春夫の自伝小説「わんぱく時代」(全集5巻に収録)、辻原登「許されざる者」、田中伸尚「大逆事件」、森長英三郎「禄亭大石誠之助」へと読書は続き、さらに新宮に惹かれて行く。


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