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大杉栄「自叙伝/日本脱出記」(1) [読書・言葉備忘録]

ohsugisakae1_1.jpg 神田の古本街で、大杉栄「自叙伝/日本脱出記」岩波文庫の1982年第10版を入手。初版は1971年で、発表は「自叙伝」が1921年「改造」連載で、「日本脱出記」は1923年に虐殺された後に遺稿として出版。

 「自叙伝」は生まれ育ちから「日陰の茶屋」事件まで。香川県丸亀連隊少尉・大杉東の6人兄妹の長男。父の転任で新潟・新発田で少年時代を過ごす。ガキ大将。強い相手がいれば即、ぶん殴りに行く。14歳、本籍の名古屋の陸軍幼年学校に入学。軍人学校の規律が守れぬ傍若無人発揮で禁足処分。中村某を殴ったら、殴られながら笑っていた彼と友達になるも、中村はその後に肺病で亡くなる。二期後輩で中村の弟が入ってきて、それが後の洋画家・中村彜(ツネ)だったの記述にちょっと驚いた。

 「軍人の家に生れ、軍人の間に育ち、軍人教育を受け、その軍人生活の束縛と盲従とを呪って~」。明治36年、外国語学校仏語科入学。「万朝報」を去って社会主義と非戦争を標榜した秋水、堺の「平民新聞」に出入り。明治37年、日露戦争開始で旅順に大隊長として出征の父を見送る。その後は激しい闘争と入獄の繰り返し。新聞紙条例違反2回、治安警察法違反、兇徒聚集罪、そして赤旗事件で官吏抗拒罪・治安警察法違反で2年半の獄中生活。「一犯一語」で入獄の度に新たな言葉を勉強。最初の獄中で学んだのはエスペラント。赤旗事件で入獄中に「大逆事件」の一斉検挙から無茶な裁判で12名死刑執行、12名無期懲役。獄中にいて難を免れた。東京。巣鴨、千葉の各監獄暮しの記述が続く・・・。

 社会主義、共産主義とも決別した頃に神近市子、伊藤野枝と情交。極貧生活に内務大臣・後藤新平に直訴して300円を貰う。妻・保子にお金を渡し、野枝に新しい羽織を買って、「本郷菊富士ホテル」から葉山「日陰の茶屋」へ原稿書きに行った。ここで神近市子に寝込みを襲われたところで終わっている。快活な述懐と文体。今読んでも新鮮な記述で、アナキストに至る小難しい説明一切なし。大杉栄像を掴むに至らぬまま、続いて「日本脱出記」を読んだ。(続く)。


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