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加藤郁乎「俳人荷風」(4)衒気匠気なし [永井荷風関連]

 こんな調子で書いていたら、いつまで経っても終わりそうにない。まぁ、荷風好きの道楽ゆえ愉しみましょ。 『冬の蠅』次は「井戸の水」。井戸の思い出が、次第に井戸がらみ怪談になり、「下闇や何やらすごし倉の壁」で締められている。壁にお化けの影・・・の意だろうか。荷風さん、金剛坂の屋敷に住んでいた子供時分から井戸が怖い。加藤翁は「日和下駄」に幽霊屋敷巡りがあってもよかったと軽く流している。

 次は「深川の散歩」。荷風さんは昭和初期の清澄橋辺りの散歩から六間堀に沿った東森下の裏長屋に住んだ井上唖々の思い出を書いている。・・・彼の裏長屋に潜みかくれた姿は、江戸固有の俳人気質を傳承した眞の俳人として心から尊敬・・・と追慕。そして散歩の足は冬木町の弁天社(永代通りで隅田川を越えたら左の葛西橋通りに入ってすぐ左側)へ。ここに知十翁の句碑「名月や銭金いはぬ世が戀ひし」があると記す。

 加藤翁は高橋俊夫(優れた荷風書が何冊もある)が「荷風文学閑話」第五話で「荷風と岡野知十」の章を立てていると記す。あたしは国書刊行会「日本文学研究大成 永井荷風」収録の高橋俊夫「小説『来訪者』の詩情」を読んだ。高橋先生は「荷風の越前堀・お岩稲荷界隈(現・日比谷線「八丁堀」から新川二丁目へ)の景情を叙した一節を読むと<テーマがどうの、思想性がどうの、構成がどうのと、こちたき議論にのみ現を抜かしているような手合いには、荷風文学の醍醐味は風馬牛である>と痛快極まる言。荷風書にはそんな<手合い>の書も数あって、買ってから「ウヘェ~」もまま有り。先日もそんな古本を購ってしまった。高橋先生の文をもっと紹介したいが、まずは先を急ぐ。

 『冬の蠅』 次は「元八まん」。加藤翁はこれをも飛ばす。息切れしたか。あたしは荷風さんの「元八まん」が見たくて自転車を駆ったことがある。今はまぁ、住宅や倉庫ひしめく一画の、園児の賑やかな声満ちる場所に立派な「元富岡八幡宮」が再建されていた。

m_imadobasi_1[1].jpg 加藤翁は次の「里の今昔」でやっと筆をとる。荷風さんの書き出しは・・・昭和二年の冬、酉の市へ行った時、山谷堀(写真は山谷堀最下流の今戸橋)は既に埋められ、日本堤は丁度取崩し工事中だったと記し、初めて吉原に行った明治30年春を思い出す。江戸座の「はや悲し吉原いでゝ麥ばたけ」 「吉原へ矢先そろへて案山子かな」の実景を思い出すが、今は近世的都市の騒音と燈火とがこれら哀調を滅ばしてしまったと嘆いている。(今は一部がネオンと客引き賑やかな特殊浴場街になっている)。

 ここで加藤翁は、荷風さんが木村錦花(歌舞伎の研究家・狂言作者)の富子夫人の随筆集「浅草富士」へ頼まれた序文代わりに旧句十句を与えたと記し、その中の「西河岸にのこる夕日や窓の梅」 「里ちかき寺の小道や春の霜」を紹介。荷風句には風流を解する者に通ずればよしとする矜持が俳味になっていると言い切る。

 そう、加藤翁は荷風句をひとこと「衒気匠気なし」とも記している。衒う気持ち、句会を主宰する宗匠の臭さがないの意。テレビなんかで此れ見よがしの着物姿で登場する宗匠ら・・・。おっと、加藤翁も俳誌主宰とか。まさか若い時分に着流し姿で新宿あたりを呑み歩いてなんかいなかったよなぁ。


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