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西村重長『絵本江戸土産』の序(2) [くずし字入門]

sigenagajyo2_1_1.jpg まずは釈文。…秋は愛宕の月に嘯(うそむ)き冬は遊里の温酒(あたゝめざけ)にうかれつゝ喜見城(きけんじやう)の楽しミをなし四季折々の栄花(えいぐハ)つくる事なし是を絵にうつし桜にきざミ他国人に見せむ(筆写は「尓」を書き忘れた)にはよき家づとならんと題して絵本江戸土産としかいふ めでたき初春 画工 重長

 

 「愛宕」の「宕」は「愛宕」以外に滅多に使われぬ。ネットに<「愛宕」の「宕」の読みがわからぬ>があって、思わず、おぉ同輩よ。 「宕」調べもなかなか面白い。次は「嘯き」。うそぶ、うそぶき、うそぶく、うそむ、うそむく。「月に向かって詩歌を吟じる」ってことだろう。温酒(あたゝめざけ)は燗酒より風情ある語感なり。喜見城は帝釈天の居城。まぁ、楽園のたとえ。隠語で遊郭だが、遊郭なんか楽園じゃない、苦界です。「家づと=家苞=家へのみやげ」。

 

 ここで西村重長のお勉強。佐藤要人著をはじめ様々調べて、概ねこんな人物らしい。元禄10年頃の生まれ。日本橋は通油町(現・大伝馬町)の地主。確か明治の長谷川時雨も通油町生まれ。重長の号は影花堂、仙花堂。役者絵から花鳥・風景画も描く多彩絵師。神田で本屋も営んだとか。宝暦六年没で、享年六十。『絵本江戸土産』は亡くなる三、四年前の作。『絵本~』がその後、鈴木春信から広重へと約百年余も受け継がれる大企画になったが、そもそもの発案はどうだったのか…。

 

 出版された宝暦3年(1753)とは。大田南畝は未だ4歳だが、江戸はすでに世界一の百万人都市になっていた。「文運東漸」(文化・文学の中心が東に移動)しつつあり、そろそろ「大江戸」なる言葉も生まれようという時期。そんな江戸ブームの始まりに、他国人への土産として『絵本江戸土産』が生まれたのだろう。以後、ますます江戸が栄えて、江戸紹介絵本がロングセラーになったと理解した。

ryougokunouryou2_2_1.jpg なお重長版は絵と文は別仕立て。まずは両国橋の西詰(左頁)、橋(見開き)、東詰(見開き)の納涼風景が5頁に亘って収められていた。江戸庶民が存分に納涼を愉しんで、まぁ賑やかなことよ


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