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八重洲とは阿蘭陀ヤンに由来して [新宿発ポタリング]

yan1_1.jpg北町奉行所の新旧史跡案内をしかと確認後に、八重洲口周辺を自転車散策した。東京駅といえば新幹線、新煉瓦駅舎に加え、八重洲側も再開発中で高層ビル群が次々建っている。都心はしばし見ぬ間に様変わり。変貌し続けている。そのなか八重洲口前の商店街「さくら通り」界隈だけに、昭和の雰囲気(写真下右)が残っていてうれしくなってしまう。

 

このサクラ通りを東に歩けば左に書店「丸善」、四つ角向こうが「日本橋高島屋」。ここで背伸びをしつつ左を向けば日本橋が見え、右の八重洲通り中央帯には「ヤン・ヨーステン記念碑」がある。

 

「丸善」の日本橋店は明治3年に開業。明治43年に赤煉瓦4階建て。現店舗は平成19年とか。高島屋日本橋店は大阪より昭和8年に出店。

さらに時代を遡れば「ヤン・ヨーステン記念碑」が欠かせない。彼はウィリアム・アダムス(三浦按針、旧居跡は日本橋にあり))と共にオランダ船リーフデ号で遭難漂着した航海士貿易家。按針と共に家康に信頼されてこの辺に邸を賜り、日本名は「耶揚子(やようす)」。ここから「八代洲(やよす)~八重洲(やえす)」へ。

 

tibasadakiti_1.jpgsakuratoori_1.jpgらに南側の鍛冶橋前の通りには「千葉定吉道場跡」(写真下左)。「お玉が池」の道場主・千葉周作の弟が、ここで「小千葉道場」を設け、坂本龍馬が北辰一刀流の免許皆伝となったのは、この道場とか。この辺から東方向に真っ直ぐ行けば与力、同心の組屋敷が連なった八丁堀に至る。江戸の捕物小説には与力、同心らが八丁堀から北、南町奉行所へ通うシーンが欠かせない。


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