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師宣『好色いと柳』の「序」 [くずし字入門]

itoyabagi_1.jpgネットで見つけた菱川師宣(もろのぶ)『好色いと柳』。大傳馬町は鶴屋版。かの業平による『表四十八手』(延宝七年・1679刊)に比す師宣『裏四十八手』(宝永九年刊)の改題再販本(元禄期の版)らしい。表が“四十八手の体位”なら、こちらは口説き手管の四十八手。とは云え、春画に変わりなく「序」のみを筆写。

くずし字はいじっていないと忘れる。先日の「へっつい考」で、くずし字混じりの喜多川守貞『守貞漫稿』や、荷風のスケッチ文が読めて、馬琴のカナリア籠スケッチの文が途中までスラスラと読めた。好色本とは云え、くずし字になじむが肝心なり。さて、以下は自分流釈文…。

「花を見て枝をおり、色を見て袖を引(ひく)ハ、誠に憂世の情にこそ」。あたしは慎み深く生きてきた。花の枝は折らず、いい女の袖も引かず。「人是にうとからバ、つらき事をも弁(わきま)へず、絶(たつ)べき業(わざ)をもよそにやせん」。そこに泥沼ありと承知ゆえに、それらに近寄らぬ心得が出来ていた(嘘ばっかり)。

「よそにやせん」は「よそ+にや+せん」だろうか。「よそ=疎い」。「にや=~だろう」。「せん=栓。方法、手段」。「疎いだろう策のまま=知らずにいる、無知でいる」の意らしい。

「天津神のいにしへハさるものにて、かの業平源氏よりぞ、一しほ此みちたくみにして、盛なること賢かりけれ」。致すは原初のころからだが、人は智慧や余裕が生まれるに従って、生殖より戯れの術を磨くってことかな。

「賢(かしこ)かりけれ」とは。「かり」は形容詞ク活用。連用形で「賢かり」。「けれ」は①伝え聞いた過去の感嘆(~だなぁ)②気付き感嘆(~だったのだ)の意の運用形に接続する助動詞の終止形。この場合は②気付き感嘆で「賢かったのだなぁ」か。

「過し年、業平の述作婚合の秘手四十(よそじ)に八の手、予求て世にあまねく流布せり。今亦裏四十八手ハ手くだの品を書す」。昔、業平が四十八手の体位を著して世に流布したが、今また裏四十八手は手管の品を書す。

「大概(たいがい)絵像(ゑざう)にあらはして、また婚姻の容貌を記す」。概ね絵で、夫婦の様子を記す。「たゞ恨らくハ、楮端の短ふして言語を洩す事を。然ハあれど、情ハ道に依てかしこしといへば、間(まま)その要を取て能(よく)あぢはふべし」。「楮端(ちょたん)」の「楮=こうぞ+端」。今は「紙面の都合で」だろう。詳細説明はせぬが情は自然の道理で追及されようから良く味わうべし。かくして、ここから春画展開ゆえここまで。

くずし字や言葉では「こそ」「弁へず」「楮端」「よそにやせん」、また形容詞ク活用などを勉強した。


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