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湾岸10)「東京みなと館」で湾岸史を [新宿発ポタリング]

kasimokei_1.jpg 過日にレインボーブリッジを歩き、第三台場を散策した。その後に向かったのは「デックス東京ビーチ」「アクアシティお台場」「パレットタウン」「大江戸温泉物語」、むろん「フジテレビ」のイベントでもない。「お台場海浜公園」駅から再び「ゆりかもめ」に乗って「テレコムセンター」駅下車。同センターとは逆側「青海フロンティアビル」20階へのエレベーターに乗った。そこは東京都港湾振興協会「東京みなと館」。

 入館料200円。まず眼前に展示されていたのは江戸時代の新酒番船(新酒初出荷の樽廻船)入津風景再現のミニチュア模型。大坂から届いた樽廻船が新川河岸(霊岸島)に到着の賑わいが再現されていた。そして幕末の台場造築から、高度成長期に次々と拡充整備されていった埠頭群。産業面からみた東京湾史が様々な資料で説明されていた。

yurikamome_1.jpg 入館者、我ひとり。東京湾発展の様子がまとめられた全十編のビデオも、ひとりでじっくり・ゆっくり閲覧させていただいた。眼と頭が疲れて窓の外を見れば、新宿の都庁展望室からも見えた青海埠頭のキリン型のガントリークレーン(gantry crane)群が眼下に広がっていた。帰りに「明治四十年代前期・東京の河岸図」(四六全版だろう古地図)を購った。

 「東京みなと館」を出ると並びのビルが「日本科学未来館」で、アッと思った。3.11東日本大震災時の同館内で激しい揺れに恐怖する人々と天井一部落下の映像(YouTube)を観たことを思い出した。東京湾の埋立・発展の裏側には、常に大地震・大津波の恐怖が秘められていると。

 ちなみにあたしの大島ロッジは海ッぺリに建ってい、3.11後にロッジ前磯に津波注意の「海抜5㍍」表示の大看板が建った。それを見る度に、どう逃げたらいいかを考えてしまう。老妻の手を引き沢沿いの脆い道を山側に走るか、はたまた車で勇気を出して海沿い道を走ってから高台方向へ曲がるか。いや、どうも助かりそうもない。

yurikamomerosen_1.jpg 帰京する大島・岡田港で、目立たぬように張られていた小さな紙を見た。「南海トラフの巨大地震では大島の最大津波は約16㍍、到達時間は約20分。元禄型関東地震(元禄16年。大正12年の関東大震災と同じ海溝型地震のことだろう)では最大津波高は約8㍍、到達時間は数分」と記されていた。そして船客待合所も平成28年3月30日完成予定で地上5階建て(20.60㍍)の「兼・津波避難施設」になる旨の建築計画標識もあった。

 ★追記:12月21日の新聞に「岡田港に造られる津波避難タワー」のイメージ図が載っていた。なんと予定も早まって2015年度に完成。待合所の立て替えとセットで近隣地に5階建て、最大1600人が避難できると施設とか。1~3階が待合室、土産店、飲食店。4・5階が備蓄倉庫、飲料水貯蓄槽。都は他にも津波避難タワーの建設を進める方針とあった。

 伊豆大島が噴火で全島民島外避難したのは38年前の昭和51年。三宅島の島外避難が14年前の平成12年。大島で39名の死者・行方不明者を出した土石流災害は昨年のこと。災害はいつ襲ってくるかわからない。今回の島滞在中もドンッという数度の地震があった。あとで聞けば7月下旬から眼前の沖を震源地とする群発地震が続いていたそうな。

 そう、台場海浜公園では観光客には気付かぬ場所に「海抜5.5㍍」表示があった。2020年に東京オリンピック開催。湾岸地区は、そこに向けて更なる開発が急ピッチで進んでいるようだが、オリンピックまでは大地震・大津波が襲って来ないということだろうか。世界の温暖化阻止(気候変動)議論も、大国の勝手我儘で埒あかず。海面上昇にも備えなくばいけないだろうに~。 


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