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鶉衣7:剃髪辨‐潔く [鶉衣・方丈記他]

teihatu2_1.jpg 「剃髪辨」の最後を読む。~されば遍昭(僧正で平安歌人)がよみけん(「けむ」を「けん」と発音して。~たという)たらちね(父母、ここでは母)も、今は世におはさねども(御座す=おはす=いらっしゃる+ねども=いないけれども)、官路の険難(役人生活の厳しさ)をしのぎ尽し、功こそならね(ね=打消し「ず」の已然形)、名こそとげね、ほまれなきは恥なきにかへて、今此老の身しりぞき、浮世の塵を剃りすつ(捨つ、棄つ)べきは、いかで(如何で、どうして)うれしとおぼさざらんや(覚えないことじゃない)。かゝれとてこそ撫で給ひけめと、こゝにうたがふ心もなし。

 以下、理屈っぽいので中略する。~わが頭、道にいらねば入道ともいひがたく、人に教へねば法師にもあらず、禅門でもなし坊主にてもなし、(略)我を坊主とも法師ともよばゝよぶ人に随(したがふ)べし。剃りてこそ月にまことの影法師

 「官路の険難を~」の文には、吉宗に反抗した宗春の施策に右往左往しただろう用人の一時も休まらぬ苦労の日々がしのばれる。あたしはここを「フリー人生の険難を~」として自身を慰めている。「剃髪辨」を読む人は、誰もが「官路」を自分の人生に書き換えて読んでみるかも。人それぞれに生きる道は難しい。

 「剃髪」は俗世との潔い一線のようでもある。墓前にお坊さんを呼ぶ。坊主頭のあたしがいて、薄毛を隠したような髪型のお坊さんが読経し説教をする。参列者は両者の頭を見比べつつ、どちらが未練がましく生きているかと苦笑抑える光景が展開したりする。

 いい歳の歌手が若き時分に歌った〝恋愛ソング〟を老体を晒しつつ唄っている。その見事な黒髪は白髪を染めたもので、恰好いい髪型のカツラを外せばハゲがある。観ちゃ~いられない。「ちあきなおみ」の辞め方の潔さを想う。

 昔の子供は坊主頭が多かった。父がバリカンで刈ってくれた。その都度あたしは泣いた。バリカンの歯が毛を噛み(挟み)込む痛さ。あたしが泣けば、父も苛立った。今想えば、あのバリカンは父が軍隊時代に使っていたもので、切れ味が鈍くなっていたのだろう。父はまた皮ベルト状でカミソリをシャッシャァと研いで、顔をあたってくれた。恐怖感を覚えるほどの切れ味。あたしは大人になっても、あのカミソリは使えない。さまざまに想いが膨らんでくる「剃髪辨」です。


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