SSブログ

23:隅田川涼賦‐狂はざるはなく [鶉衣・方丈記他]

sumida2_1.jpg京に四条の床(川床)を並ぶるより、爰に百艘のふなばた(舟端)をつらねたるは、誠に都鳥の目にも恥ぢざるべし。舟として諷(うた)はざるはなく、人として狂ぜざるなし。高雄丸(納涼船。以下のもみぢにかけて)の屋形の前には花火の光もみぢを散し、吉野家が行灯の影には、蒲焼のけぶり花よりも馥(かうば)し。幕の内の舞子は、鶯声聞くにゆかしく、舳先の生酔(酒に酔った人)は、鵆足(ちどりあし)みるにあぶなし。伽羅薫物(きゃらたきもの=香木+香りを合わせた練り物)のかほり心ときめきて、吸物かよふ振袖は、燭台のすきかげいとわかく、大名の次の間には、袴着たる物真似あり。女中の酒の座には、頭巾かぶりし医者坊あり。かしこにとよむ大笑ひはいかなる興にかあらん。こゝに船頭のいさかふは、何の理屈もなき事なり。

 「並ぶるより」の文法解釈に手こずった。助動詞「る」ではなく、「並ぶ」のバ行下二段活用「べ・べ・ぶ・ぶる・ぶれ・べよ」の連用形「ぶる」。「並ぶ(とき)より」だろうか。

 「ざる」が繰り返し出てきた。「ざら・ざり・ざる・ざれ」。打消し「ず」の連用形+あり=ずあり」の転用とか。「恥ぢざるべし=恥ではないだろう」。「諷はざるはなく=歌わぬ他はないだろう」。「狂ぜざるなし=狂わずにはいられない」か。

kiyotika1_1.jpg これが「さるべき」だと「然るべき(しかるべき)」で、まったく違ってくる。古語は濁点のあるなしがハッキリしないから「さる・ざる」の区別がややこしい。文脈で判断する他はない。「けぶり」は煙。

 文法の勉強と、同文が描く隅田川狂宴で老朽化脳ミソが混乱してきたので、自転車を駆った。行先は山手通り、環七を横断して中村橋の練馬区立美術館。開催されるは明治の浮世絵師?「小林清親展」。「向島桜」と題された絵に、桜の下の露店に「はしけ豆」の看板。艀でもあるかと思ったが「はじけ豆=弾け豆」。これも濁点なし。大川は「橋場渡舟」の絵もあったので、ちょっと真似をしてみた。


コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。