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夢二の「お葉」は責め絵モデルだった [スケッチ・美術系]

yumeji3_1.jpg 横尾忠則は〝ラーメン丼〟を売っているが、自身意匠の物販販売店を営んだ元祖は絵師で戯作者の山東京伝だろう。煙草入れ、財布などの店を京橋で開業(寛政6年)した。

 京伝と同じような店を持ったのは竹久夢二。大正3年に呉服橋際に「港屋絵草子店」を開店。これは夢二が妻〝岸たまき〟(早稲田鶴巻町で絵葉書屋「つるや」営業中に夢二が来店して交際・結婚)と別れたく、彼女が自立出来るように店を持たせたらしい。同店に19歳の笠井彦乃が来店して、夢二31歳と彦乃の不倫が始まった。

 この時代の性は乱れていた。夢二・たまき宅に同居していた神近市子が、アナーキスト大杉栄と伊藤野枝(夫・辻潤を捨てた)がしけこむ葉山「日陰茶屋」を訪ねて彼を刺した。夢二も手あたり次第の情交だったが、これで女の怖さに震えたか、彦乃と東京脱出。だが彦乃は病んで実家へ。ひとり東京に戻った夢二は大杉栄らが住んでいた、かの菊坂・菊富士ホテルに入った。

 大杉栄、伊東野枝、辻潤、息子の辻まこと、菊富士ホテル、荒れた生活を送る辻潤の元に転がり込んだ小島キヨ、キヨは辻に会う前に谷中「宮崎モデル紹介所」を通して中村彝のモデルになっていた。これら諸々は弊ブログでも突っ込んで記しているが~

 今回得た新知識は、竹久夢二の黒猫を抱いた「黒船屋」のモデルが〝お葉さん〟で、彼女はその前に「宮崎モデル紹介所」を通じて「責め絵師・伊藤晴雨」のモデル・愛人をしていた〝お兼=カ子ヨ(かねよ)〟だったということ。

 〝責め絵〟モデル・愛人を経て、17歳(年齢は諸説あり)にして性の深淵を知った妖艶さを持って、菊富士ホテルの夢二を訪ねれば、夢二はイチコロ。〝お葉〟と改名させて共に生活。「黒船屋」を描いた。

 「黒船屋」の秘密はまだある。黒猫を抱く構図はエコール・ド・パリ(パリ派)のキース・ヴァン・ドンゲン「猫を抱いた女」の剽窃。ヴァン・ドンゲンってどんな絵を描く画家かとネット検索すれば、美しい御婦人方の絵に混じって多数春画がヒット。彼はいかなる人物か。

 同時に〝お葉〟を「責め絵」のモデル・愛人にしていた伊藤晴雨にも興味を持った。『伊藤晴雨自画自伝』や団鬼六『異形の宴』があるも、それら本を手にするのはちょっと恥ずかしい。絵は黒猫がいるので久し振りに不透明水彩で模写してみた。(参考書籍は次々回)


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