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裸婦描き原初探りて明日を見ゆ [スケッチ・美術系]

model2_1.jpg<マティス・メモ7> セザンヌ、マティス、ピカソのトライアングルに絡む〝性〟の意を解明する隠居遊びです。

●そもそもセザンヌはなぜに「売春婦たち」(1871年頃)を描いたや。当時のパリは荒廃して淫らな性が氾濫。子供時分からの友人ゾラは、堕ちる女たちを書いたことから(永井荷風も最初はゾラに影響されていた)、セザンヌの関心も頷ける。だが女たちは虐げられ堕ちた後は反逆する、従属する女から雌豹となり、性を武器に攻撃に転ずる。オズオズと覗き見する男たち。そんな図を描けば当然ながらアカデミズム絵画への、キリスト教影響下の絵画への反逆になる。同作は高らかに絵画の革新・反逆の狼煙だったと推測したい。

●「売春婦たち」から35年後、今度はマティスが1906年のアンデパンダン展に、北アフリカから戻って描いた「青い裸婦」を出品。「極端に歪んで、驚くほど醜いく、不快で最低だ」と悪評。してやったり。彼はアフリカ美術注目で、女の原初的な性(出産・繁栄・母)の逞しさ・野生・生命力に気が付いた。アカデミズム絵画の女性像の裏側の真実をアピールして、絵画革新の道もここにありと訴えた。●彼はフォーヴィスム数年にして裸体へ舵を切った。「私が惹かれるのは静物でも風景でもなく人体です」。平たく言えば「女体宣言」。

●ピカソは、マティスと違って女にポーズをとらせた絵は描かなかった。だが、いい女がいれば抱きたい。結果、妻二人・恋人五人の修羅場で、女の怖さ・強さをイヤと云うほど知った。これまたアカデミズム絵画に描かれる女性像の裏を見た。伝統を拒否するならば遠近法も写実法も糞くらえ。かくしてセザンヌ「売春婦たち」を剽窃してキュビスムの狼煙を上げた。裸体ポーズを描かなかったピカソだが、死ぬまでエロスを描き続けた。

●これにて隠居遊びのセザンヌ「売春婦たち」、マティス「青い裸婦」、ピカソ「アヴィニョンの娘たち」のトライアングルの裏に秘められた意図解明を終わる。カット絵はマティスとモデル。こんなに近寄って描くなんて、どこか変、病気っぽいのです。(続く)


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