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小田原「小田原の沖の船より見えつらん~」 [狂歌入東海道]

odawarae1_1.jpg 十作目は「小田原」。狂歌は「小田原の沖の船より見えつらん霞の海の城の鯱」。「見えつらん=きっと見えたでしょう」。小田原の沖の船から霞の海を通して城の鯱が見えたでしょうか。こんな解釈でよかろうか。

 一方、保永堂版は「小田原・酒匂川」渡しの風景。駕籠を乗せた蓮台渡し。渡った向こうは箱根の山々。その手前に小田原城が描かれている。東海道最初の城下町で、江戸から20里ほどで、二泊目の宿場。この宿に泊ったら、明日からいよいよ〝箱根の剣〟です。

 弥次喜多のふたりは、ここで小田原名物を詠っている。「梅漬の名物とてやとめおんなくちをすくして旅人を呼ぶ」。校注に梅の縁語で「口をすくして」とあった。古語辞典をひき遊んでいたら「竦(すく)む=こわばる、ちぢこまる、すくみ」があった。別の書の校注に「口をすくして=たびたび同じ事を言う」とあった。これも辞書をひく。「すく=食す」「口を過く=なんとか生活をたてる」があり、「すぐ=程度を越える」があった。両著校注を併せて「口をすくして=(酸っぱくて)口をちぢ込ませて+(程度を越えた呼び声で)旅人を呼ぶ」の洒落になっているとわかった。

odawarauta1_1.jpg 江戸庶民が夢中になった狂歌だが、今はここまで考えないと意が解けぬ哀しさ。また小生愛用『古語辞典』(旺文社)には、確か付録冊子付きで「縁語・掛詞一覧」があったはずだが、本棚のどこかに埋もれたままだ。

 もう一首。「ういろうを餅かとうまくだまされてこは(これは)薬じゃと苦いかほする」。小田原宿の中ほどに「外郎家」あり。同店は江戸時代から今も八棟造りのミニお城のような店舗。車でよく走っていた時分には、何度も店の前を走った事がある。

 同店で売っているのは「透頂香(とうちんこう)」なる仁丹のような薬(万病に効く)と、お菓子の「ういろう」。薬販売の接待用に作ったお菓子が評判になって売り始めたそうな。歌舞伎の早口言葉「外郎売り」はこの店の由来。名古屋の「ういろう」は幾度も食ったが、小田原の「ういろう」は食べことがない。


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