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藤枝「口なしの色をばよそにかしましく~」 [狂歌入東海道]

23fujieda_1.jpg ここからは『膝栗毛三編』。第二十三作目「藤枝」。この絵の川は小さいゆえ「瀬戸川」か。狂歌は「口なしの色をばよそにかしましくあきなふ妹が瀬戸の染飯」。藤枝宿から嶋田宿への途中の瀬戸村の茶屋名物・染飯(そめいい)を詠ったもの。

 山梔子(クチナシ)で強飯(こわいい)を染め、摺り潰して小判型に薄く干し乾かし、それを蒸して売ったらしい。「口なしの色をばよそに」の〝よそに=別にして〟だろうか。まぁ、女のやかましい売り声の瀬戸の染飯よ」の意だろう。

 弥次喜多も「瀬戸川を打越、それよりしだ村(志太村)大木のはし(おゝぎ橋)をわたり、瀬戸といふ所にいたる。爰がたて場にて染飯の名物なれば~ 「やきものゝ名にあふせとの名物はさてこそ米もそめつけして」。焼き物の名に合う瀬戸の名物は米に染付をして、と詠っている。「狂歌入東海道」と「膝栗毛」が染飯で狂歌競作なり。

23fujiedauta_1.jpg 喜多さんは藤枝宿近くで、馬の跳ねたのに驚いた田舎親爺にぶつけられて水溜りに転がった。喜多さん・田舎親爺の喧嘩を、弥次さんは引き離す。そして町外れの茶屋へ。そこにあの田舎親爺が「先ほどのお詫びに」と大盤振る舞い。ゴチになった二人だが、気付けば田舎親爺はドロンで、まんまと九百五十文を支払うハメになった。

 「御馳走とおもひの外の始末にて腹もふくれた頬(つら)もふくれた」。田舎親爺と侮って、とんだ意趣返しをされた二人。このへんから十返舎一九の狂歌がいい加減になって行く。ヒネリもミソもない単なる「みそひともじ」。大ヒット作家になって狂歌をじっくり考え作る余裕がなくなったのだろう。弥次喜多は大井川の手前の嶋田宿へ至る。


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