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松本清張(1)『岡倉天心』 [読書・言葉備忘録]

seicyo1_1.jpg 『「いき」の構造』の九鬼周造をお勉強したら、九鬼の母・波津子と深間だった岡倉天心について、もう少し知りたくなった。松本清張『岡倉天心~その内なる敵』を読んだ。読み進めば文部官僚の岡倉天心や九鬼隆一より、著者・松本清張への関心が優っていった。

 よって同書の読後感を簡単に記す。冒頭で九鬼隆一が波津子さんを精神病院へ入れるべく長文・大仰・多数証人の異常な申請書(明治39年)が全文掲載されていた。これは内容よりも「こと=ヿ(合字)」や旧字が面白かった。そして松本清張の得意分野だろう明治14年の政変や、東京美術学校(芸大)騒動などの詳細紹介・分析が展開。それらは読んでいて面白いワケもない。

 九鬼隆一は福沢諭吉〈慶應義塾)から文部省へ。明治14年の政変で福沢(を裏切って)から薩閥へ摺り寄って保身と出世を選ぶが、文部大臣に至らず。その原因のひとつが「不徳(女遊び)」だった。

 松本清張は、岡倉天心を官僚ながら天才的「アジテーター」、希有の「オルガナイザー」で「プロデューサー」だったと誉めたが、「斑気(むらき)」の多い意思薄弱な人、また九鬼と同じく「不徳」が多かったと記していた。

 そして巻末の解説文を読む。松本清張は九州小倉の小学校高等科卒。中小企業の給仕から石版印刷の見習い職人。小倉の朝日新聞社・広告部意匠係(描き文字やカットなどの版下)嘱託から大変な努力を重ねて正社員へ。だが低学歴で出世できるワケもなく、そのうちに兵役~と紹介されていた。

 小生が清張作を読んだのは、三原山に墜落(撃墜)の「もく星号」3部作だけ。今回初めて松本清張の半生を知った。かかぁに「松本清張を読んだことがあるかぁ」と訊けば、「若い時分に、彼の主だった小説はほとんど読んだよ。お前さんは〝流行作家嫌い〟のへそ曲がりだから司馬遼太郎も読んでいないんでしょ」と言われた。

 うへぇ~。松本清張は『小説東京帝国大学』で大逆事件や皇国史観をどう記しているのだろうか。『象徴の設計』で竹橋事件や軍人勅諭、教育勅語をどう捉えているのだろうか。興味が湧いてきた。松本清張のコンクール入選歴もあるポスターを見れば、まぁ、なんとモダンなデザインじゃないか、スケッチもいい。

 狭い家にひしめく大家族。そんな環境のなかで、彼は机に噛り付いて描き文字を、デザインを、絵の腕を磨いたらしい。よって彼が美術系テーマ本を書くには特別の思い入れがあったとか。また小卒の作家が、高級官僚で美術界のドン二人を、どんな気持ちで書いたのだろうか、と気にしつつの読書になった。

 さて敬遠していた松本清張を読むべく図書館蔵書を検索すれば700点余もヒット。なんだか〝面倒臭い巨人〟に遭遇したなぁと頭を抱え込んでしまった。やはりスル―しましょうか。悶々としていたら、似顔絵も悶々としてきた。(2へ続く)


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