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船を描き、船の思い出を~ [週末大島暮し]

okadafune4_1.jpg 絵を描き始めて、船は難しそうで敬遠していたが成り行きでジェットフォイル艇、さるびあ丸、橘丸を、そして岡田村で3年間漁師として暮した〝不染鉄〟にあやかって岡田港の漁船を描くに至った。いつかは手慣れた感じで〝船〟が描けるようになりましょうか。

 この絵を描きつつ〝船の思い出〟が巡った。まず中1秋の遠足が「橘丸」で大島へ。社会人4年後にフリーになって最初がレジャー企業のPR誌編集だった。社長が江ノ島ヨットハーバーに大型クルーザーを係留していて(当時は加山雄三〝光進丸〟の隣)、毎週末にクルー召集。その時期に波浮港までクル―ジングしたことがあった。

 某ヨット教室のテキストを作ったことがあって、お礼に24フィートのボロヨットをくれた。係留費がなく、真鶴(港)の青年らにヨットを預けた。その頃が確か小型船舶免許制開始で、あたしは裸眼視力がダメでかかぁに免許を取ってもらった。漁師達に混じっての受験で小型船舶免許を取得。その後に小型免許が細分化され、彼女の免許は「一級」(航行区域無制限)に昇格した。

 自動車免許を持たぬ彼女は「小型船舶一級免許」を身分証明証替わりに使っていた。その後、矯正視力が認められて小生も三級(現・二級?)取得も、ヨットやクルーザー所有には至らなかった。

 そうだ、子供時分の最初の夢が「外国航路の船員」で、それは祖父が外国航路の「大洋丸」に乗っていた時もあって、素敵な写真をみていたからだ。だが小4年頃からの眼鏡人生で、船員学校には裸眼審査ありと知って断念した。この歳では新たな船の思い出はつくれまい。船の絵を描くことぐらいだろうな。(6月下旬の島暮しの思い出9)

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