ジャポニスム15:荷風の北斎論Ⅱ [北斎・広重・江漢他]
「これら諸作はいづれも文政六年以後の板行せられしものにして、北斎が山水画家としてまた色彩家としてその技量の最頂点を示した傑作品たるのみに非ず、その一は司馬江漢が西洋遠近法の応用、その二は仏国印象派勃興との関係につきて最も注意すべき興味ある制作なりとす」
北斎の遠近法には快感さえ覚える。またその線は日本画の線を廃し、能ふ限り柔かく細き線を用ひたれば、色彩の濃淡中に混和して分別しがたきものあり。これは浮世絵在来の形式の超越、西洋画の新感化を応用なり、と分析する。
次に色彩について。「その色彩は絵画的快感を専らとしたり。天然の色彩を離れて専ら絵画的快感を主にしたるものならずや。(中略)これは色彩板刻から得たものだろうが、仏蘭西印象派の画人らが初めて北斎の板画を一見するや、その簡略明瞭なる色調の諧和を賞するのみならず、あたかも当時彼らが研究しつつありし外光主義の理論と対照して大に得る処ありとなせしものなり」
それによって印象派の画家は、北斎の山水板画を以て成功したのだろう、とまで言っている。特に富士山の陰影は黒く暗く見ゆるものにあらずの新理論は印象派の主張と一致すると指摘。荷風さん、子供時分から岡不崩に絵を習い、仏語の北斎論も読み込んでいるだろうから、その観察眼・指摘を侮ってはいけない。
写真は三年前の春、自転車で元浅草・誓教寺の北斎お墓を掃苔して撮ったもの。1893年(明治二十六年)にも書肆・逢枢閣主人で浮世絵商の小林文七が、写真師・小川一真を伴って写させている。飯島虚心『葛飾北斎伝』にも載ってい、また「これを欧州に贈りたる」とあるから、林忠正の手を通してゴンス、ゴンクールの手にも渡ったのだろう。
写真家・小川一真については「青山・外人墓地」シリーズの「荷風と下水道とバルトン」や「凌雲閣設計と写真とバルトン」に登場済。彼はまたフェノロサや岡倉天心との関係あり。(続く)
2017-10-12 07:03
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