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戦前・終戦時の記録・思い出(33) [千駄ヶ谷物語]

sibuyatosyo_1.jpg 読みたい本があって、渋谷区中央図書館へ行った。同地は元池田侯爵邸跡。池田侯爵を調べれば、鳥取藩主14代の池田仲博。なんと!徳川慶喜の5男じゃないですか。池田侯爵の嗣子没で、彼は同家次女・亨子に婿養子。池田侯爵家を相続・襲爵。かつて「徳川慶喜は自転車好きだった」で登場の、父と共にポタリングの〝彼〟だった。

 同邸の庭設計は著名な長岡安平で、鴨池のある典型的な貴族庭園だったらしい。池田家が同邸処分後の昭和12年に「海軍館」(海軍資料展示。現在は原宿警察署)が、昭和15年に「東郷神社」(日清・日露戦争の英雄・東郷平八郎を祀る)が建った。図書館はその一画に在り。

 お目当ての書を借りて閲覧予定だったが「貸出致しましょうか」に誘われ、渋谷区立図書館利用者カードを作ってしまった。ならばと地域資料コーナーで以下3冊を借りた。各書の概要を記す。

 『千駄ヶ谷昔話』(渋谷区教育委員会)は大正末期~昭和初期の千駄ヶ谷1、2、3丁目通り、千駄ヶ谷大通り、観音坂通り、北参道、鳩森小学校界隈、代々木駅前など全15地区の当時の詳細地図(店舗名入り)と説明で構成。

 雨宮央樹著『原宿わんぱく物語』:空襲で焼け野原になった原宿・神宮小学校(表参道の青山同潤会アパート裏)の青空教室で授業再開の少年が主人公の小説7話。米兵が子供らの頭からDDTを吹き掛けるのに抗議した新任女性教師。それに応えて石鹸をくれた日系二世兵との交流。彼は肺炎で入院中の級友母の為にペニシリンも調達。

 秘密トンネルから明治神宮へ忍び込んで池の鯉を捕った話。隠田川の清流、代々木練兵場から巻き上がる赤土を含んだ「練兵場颪(おろし)」。GHQ指令で各学校設置の奉安殿(御真影と教育勅語を納めた)の取り壊し作業。ラジオにかじり付いて聴いた放送劇「鐘の鳴る丘」や全米水上選手権の古橋選手らの活躍実況。爆弾でさらに深くなった東郷神社の爆弾池に潜り赤フンが絡まっての瀕死体験。絵画館前池での水遊び、同潤会アパート在住だった大投手スタルヒン家の少年との交流~。

 家城定子著『原宿の思い出』:海軍館の明治通り反対側の「吉川酒屋(空樽問屋)」で少女時代を過ごした方の思い出。隣が團琢磨家。当主は岩倉具視の遣米欧使節団で米国で鉱山学を学んで三井財閥総帥へ。昭和7年に血盟団員に暗殺された音楽家・團伊玖磨の祖父。明治通り反対側の実業家・池田亀三郎邸の思い出。池田侯爵邸跡に海軍館や東郷神社が建つ経緯。そして実家の空樽倉庫は「民芸」稽古場へ。原宿3丁目町会や明治神宮の見世物小屋のこと。

 さらには原宿・宮廷駅の北側一帯、数万坪を有した徳大寺侯爵邸跡地(千駄ヶ谷3丁目)に政治家・永井柳太郎、経団連会長・植村甲午郎、龍角散の藤井家、江利チエミ(チエミ御殿・洋館。林真理子のモデル小説「テネシーワルツ」に注目)、片岡仁左衛門などが続々移転してきた話。片岡仁左衛門65歳、妻26歳、女中12歳と65歳は、昭和21年3月に12歳女中の兄(22歳、座付き見習い作家として住み込み)の食糧難の恨みで斧で全員殺害された。

 徳大寺侯爵は明治店天皇の侍従長・徳大寺実則。父は徳大寺公純で公家・鷹司政通の子。実則の弟が侯爵・西園寺公望。西園寺の私設秘書・原田熊雄(鳩森八幡神社近くに在住)の「原田日記」は「東京裁判」で140記述の採用。千駄ヶ谷や原宿の高級住宅地に住む貴族・軍人らの名を知れば、千駄ヶ谷物語は「東京裁判」へと誘われます。

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