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伊豆大島「裏砂漠〝騒動〟」 [週末大島暮し]

urasabaku2_1.jpg 図書館の「朝日新聞縮刷版」で<千駄ヶ谷〝連れ込み旅館〟環境浄化運動>を調べていた時に、同時期の昭和32年4月12日東京版の「裏砂漠騒動」記事を見つけた。

 見出しは「大島の新観光道路で対立~町当局と経営者の船会社~/道路にクイ打つ~地元側〝商売上ったり〟と」。リード文は「大島に東海汽船会社が新しく作った観光道路で町当局が怒り、5日には道路にクイを打ち込み。町と汽船会社がにらみ合を続けている」。どんなことなのだろうか。本文は概ね以下の通り。

 新観光道路は、従来コース反対側から火口へ行くもので、大島公園から日航機の遭難した砂漠地帯に観光バスを通した〝テキサス・コース〟。東海汽船は昨年9月から町の承諾を得て工事を始めて、全3.8㎞を3月末に完成。東海汽船は同コース宣伝ポスターを関東一円に配布。同ポスターに「岡田港~テキサス・コース~湯場温泉で休息~岡田港」行程を紹介。これを見て野増地区の乗馬組合、写真屋、土産物店が死活問題だと騒ぎ出し、町議会で町長と助役が辞表提出。白井大島支局のあっせんで辞職撤回も、同道路が町道であるというので、バスを通させないようクイを打ち込み、両者がにらみ合っている、という内容。

 同記事の冒頭文「大島公園から日航機の遭難した砂漠地帯に観光バスを通した〝テキサス・コース〟」で、小生の頭が混乱した。それは、ひょっとすると現在の「月と砂漠ライン」のことではなかろうかと。同ラインは大島一周道路から三原山奥へ入る約3㎞の舗装路で、終点の駐車場から徒歩約400㍍日航機「もく星号遭難」(松本清張では〝追撃〟)地点へ。この道はバスが走れなくもない舗装路。町のサイトには「2006年4月に開通」と記されているも、その舗装路の傷み具合から、同道路が出来たのはずっと以前、つまり騒動の起こった昭和32年当時のものではなかろうかと推測。

 一方「テキサス・コース」は小生未踏でよくわからぬが、大島公園から一周道路を横断して入る〝ハイキングコース〟で、そこは観光バスが走れる道ではなかったように思うのだが。いや、荒れ地をグリグリと走ったのだろうか。真相は如何に~ とちょっと不可解な昭和32年の新聞報道を読んだ、というお話でした。

 こう記せば小生は「テキサス・コース、行者窟、行者海岸トンネル、湯場ホテル廃墟」をはじめ、狭い島ながら知らない地の多いこと。改めて島の奥深さを認識です。

 明日から1週間ほど〝大島暮し〟です。さて、なにをして遊びましょうか、どう過ごしましょうか。ボロロッジのメンテナンスの明け暮れでしょうか。

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