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16)松平定信の人物史観 [朱子学・儒教系]

sadanobuhon_1.jpg 磯崎康彦『松平定信の生涯と芸術』、高澤憲治の人物叢書『松平定信』を読む。磯崎は福島大名誉教授で地元・福島県在住らしい。平成20年の定信生誕250年に地元紙「民友新聞社」に〝松平定信公伝〟を連載。その後に新たな論文を加えた書。当然、定信賞賛派だな。

 「はじめに」に、定信は政治・経済の分野のみならず思想・文学・芸術などの領域においても多大な業績を残した。今日、研究分野が細分化され、定信は日本史・社会経済史・思想論・交易史・蘭学・文学史・美術史などの分野から追及される。そして「わが国では、定信に悪態をつくような著作はきわめて少ない」と断言。

 本当だろうか。小生は前項で平岩弓枝、村上元三、池波正太郎による定信否定派の小説を紹介したばかり。著者はかく断言したが、やはりそこにこだわったのだろう。第一章が「松平定信の人物史観」になっていた。

 徳川家重、家治に仕えた田沼意次は貨幣経済に力を注いだ重商業政策者で、定信はそれを否定した重農政策者。意次は賄賂の政治家で、悪政家の代表、好ましからざる為政者として悪評が固定化されていると記す。そして明治、大正、戦前までの定信賞賛の著者・著作を次々に紹介。定信は公明忠正な政治家で、定信の教育は守国の理想となり、まさに模範的な人物として担ぎあげられている、と同章を締め括っていた。

 比して高澤著「はしがき」では~ 最近まで定信は清廉潔白、儒教的仁政を行った理想的政治家などというものだが、これは昭和12年に楽翁公徳顕彰会が渋沢栄一著として刊行した『楽翁公伝』によるところが大。同書は自分の伝記を家臣に書かせ、後世に自身が儒教的政治家で、伝統文化保護や継承に務めたことなどを伝えたもの。それゆえ自分や自家に不都合なことは隠蔽。家臣が彼を賞賛するために作成された書物も多い。しかし第二次大戦後、学問の自由が保障された結果、隠されていた部分が明らかにされてきた。本書は彼がまとっていたベールを剥がし、実像に迫ろうとしたものです。

 まぁ、見事なまでの反対意見。悩ましいことです。ウィキペディアにアップされている松平定信の隠居後の楽翁像をクリックしたら、それは個人ブログで「江戸の〝習近平〟」とあって腰を抜かすほど驚いた。調べれば同絵は狩野養信筆、福島県立博物館蔵らしい。

 松平定信の画像検索を進めると、小生が5年前にブログアップした徳川黎明会による「江戸時代古文書を読む/寛政の改革」より「くずし字筆写」の秘密文書(一橋治済が中奥の小笠原宛に、松平定信が老中上座被仰付候御治定に而~の裏工作成功の報)もアップされていてまた驚いた(拙い書ゆえ次回書き直してアップ予定)。次回は朱子学、陽明学をもって独裁政治を行った場合の弊害・歪み・恐ろしさをもう少し探ってみたい。

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