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高2バイトの恵比寿ビール工場へ [散歩日和]

ebisu5_1.jpg 新聞に恵比寿のイラストマップが載っていた。「そうだ恵比寿、行こう」。

 過日、若い時分の渋谷体験を探しつつ、変貌する渋谷を歩いてみた。その時に町が変貌し過ぎて「昔の思い出」が結びつかない例として「恵比寿」を挙げた。

 高2の時に、恵比寿のビール工場でアルバイトをした。その思い出が「恵比寿ガーデンプレイス」とどうしても結びつかない。確か夏休みのバイトで「営繕課」配属。ブロック小屋作りを手伝ったり、木樽ん中のアルミ製球体に亀裂がないかをスコープライトのような物で検査をしたりした。

 社会人になってからも恵比寿の思い出がある。線路脇にあった録音スタジオで、楽曲のラジオスポットを制っていた時期もある。ナレーターは「小林克也さん」でY社とPC社の楽曲。いつも5曲ほどの各15秒、20秒、30秒パターン。5曲×3パターン=計15の台本。


ebisu2_1.jpg ストップウォッチ片手に、楽曲のどの部分を使い、ナレーション原稿を考えて嵌めて行く。ナレーションは楽曲キャッチコピー風を軽快語り。自分でナレーションを語って秒数計算。概ね時間ギリギリまで格闘してスタジオへ向かった。何曲分かの台本を渡して、残りを脇のテーブルで書き仕上げていたりした。「克也さん、そこをDJ風に英語で張って下さい」など。あの日あの時の事を思い出す。

 恵比寿の電算写植屋へ仕事を頼んでいたこともある。小生が中年オジさんになると、演歌系の仕事が多くなった。恵比寿に事務所を構える歌手の仕事も永く続いた。演歌を代表する男女歌手のスポーツ紙連載(ゴースト)の担当者に呼び出されて飲む場も恵比寿だった。

 平成6年(1944)に「恵比寿ガーデンプレイス」開業。高2の時のアルバイトをチラッと思い出したが、特別な用事もなく同地に足は向かず仕舞い。で、今回初めての「恵比寿ガーデンプレイス」です。

 まず最初にイラストマップで知った「エビスビール記念館」へ。平日だが試飲2杯のガイドツアー(500円)の客が大勢いた。エビスビールの昔の写真パネルの数々をガイド嬢が説明をしている。その脇に「昔のビール工場」模型があった。「フムフム、働いていたのはあそことここで~」と思い出しつつ模型に見入った。息子より断然若いガイド嬢が近づいてきて「ご説明しましょうか~」。

 当時、高2のあたしは、お金がどうしても欲しかったんです。(続く)

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