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日本語(6)仮名は読み次第~和漢混交文へ [くずし字入門]

takamura_1.jpg 再び山口著『てんてん』に戻る。第三章「かな前夜」、第四章「聖なる世界が創られる」を自己流まとめ。まず著者は「仮名」の前に「章草体」ありと紹介。唐全盛期の玄宗皇帝の手紙も、空海書も「章草体」。その写真を見ると漢字を崩し書いたような「草仮名」へ至る過程の形と思える。そして小野篁(たかむら)の孫・道風の書は「草仮名」。さらに「平仮名」に近くなっている。

 小野篁が登場すれば、嵯峨天皇(上皇)との逸話も欠かせない。空海没後の承和3年(836)遣唐使副使に任命された篁。2度の難破。3年後3度目に、篁はもう唐の時代ではなく、自国文化を築く時と遣唐使を拒み、遣唐使の無謀を漢詩に書いて嵯峨天皇が激怒。隠岐島へ流刑された。写真は小倉百人一首(菱川師宣・画)の参議篁の歌。「和田(海)の原八十嶋かけて漕出ぬと 人にはつけよ海士のつりふね」。隠岐へ向かう時に詠んだ歌。

 2年後に許されて後は要職を歴任。嵯峨天皇との間では、こんな逸話も有名とか。天皇がこれを読めるかと「子子子子子子子子子子子子」を出題。篁は「子=ね・こ・し」と読めることから「猫の子の子猫、獅子の子の子獅子」と読み解いた。(「宇治拾遺物語」収録逸話らしい)

 同じような仮名の読み違いの有名逸話。蒔絵師が詠んだ。「たたいまこもちをまきかけてさふらへはまきてさふらひてまゐりさふらふへし」(只今御物を蒔き掛けていますので、蒔き終わってから伺います)を、高倉天皇の皇女坊門院範子の台所女房が「只今女房を抱いていますので、ことを済ませてから伺います」と解釈。(「古今著聞集」収録逸話らしい)。山口著は「こもち=御持=御道具。まく=枕く」。小池著は「こもち=女房、まく=婚く=情交」と読み違えたと説明。

 以上から山口著は「仮名は読みなし。解釈がさまざまにできる。しかも笑い、きわどさ、哀しさとも言えぬ複雑な「もののあわれ」を滲ませて「憂き世=仮の名(仮名)」に通じると説明。

 これに関して小池著<日本語の「仮名遣」いの創始・藤原定家>で、定家はこうした仮名文の支障に悩んで「日本語を書き表わすには、漢字だけでも駄目であり、仮名だけでも駄目である」と結論。かくして定家は心血を注いで「和漢混交文」を考えた。結果は漢字の比率を仮名文より多めにすることによって、漢字が文意の把握を容易にし、文のまとまりを示し、文節の始めを示し、文の構造を把握しやすくなるとした。日本語はかくして「和漢混交文の時代」へ入って行くと説明していた。

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