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堀田善衛『ゴヤ』と『ミシェル城館の人』 [鶉衣・方丈記他]

bordeaux_1.jpg 堀田善衛『方丈記私記』は53歳の作。『ゴヤ』(全4巻)刊が59歳。『定家明月記私抄・続編』刊が70歳。最後に歴史舞台を宗教戦争が激しいフランスに移して『ミシェル城館の人』全3巻が76歳。堀田善衛はその4年後に80歳で亡くなった。

 『方丈記私記』と『定家明月記私抄』を読んだ手前、スペインの『ゴヤ』、フランスの『ミシェル・ド・モンテーニュ』も眼を通すべきか。まず『ゴヤ スペイン光と影』を読む。歴史書のような同書半ばあたりで、やっとゴヤが顔を出した。

 スペイン辛苦の歴史は、第二次世界大戦前の「スペイン内戦」で米軍義勇兵で戦死した「ジャック白井」紹介の川成洋『ジャック白井と国際旅団』、石垣綾子『スペインに死す』を読んでいるので多少は知っていた。堀田善衛のゴヤ取材は「ジャック石井」戦死の1936年(昭和11年)末から29年後の1965(昭和40年)頃からとか。

 ゴヤ(1746~1828)の画家成功の最初は1771年(江戸は田沼意次老中の江戸文化が花咲いた頃)で、イタリア修行後に故郷の聖堂丸天上の絵を、名の通った画歌の画料60%ほどで受けてからだった。27歳で宮廷画家の妹ぺパと結婚。40年間に20回も妊娠させ、ペパ没後も40歳下の女性に子を生ませたらしい。堀田はゴヤの性欲を「ヴィクトル・ユーゴーは初夜で20回射精」と比較させていた。

 乱暴者、ガムシャラ、粗野、種牛のようなゴヤ。妻の兄の尽力とアカデミー独裁者へのお世辞で34歳でアカデミー会員へ。かくゴヤは動き出すも、主題はスペインや欧州史のようで、小生は2巻まで手が伸びなかった。

 ゴヤは晩年に自由主義弾圧を避けて「ボルドウ」へ亡命して82歳で亡くなった。堀田はその225年前まで「ボルドウ」の城館で暮らし、宗教戦争を生き抜きつつ『エセー(随想録)』を書いたモンテーニュの人生を『ミシェル城館の人』で書いた。これは頑張って3巻まで読んだが、途中で投げ出した。

 『方丈記』や『定家明月記』は面白かったが、何故にゴヤ、モンテーニュだったのだろう。鴨長明や藤原定家の周辺にも書くべき人物はいただろうにと思った。富山~東京~上海~アジア・欧州暮らし~蓼科と逗子の生活。多国語を理解し世界中で生活。だがサルトル没でフランスへの愛情も薄れたとか。

 晩年随筆(遺書)題名は『天下大風』(良寛の言葉)だが、彼は亡くなる前に庭の草木すべての本数を記録して「天下大風、天下騒然」と記していた。定家の「紅旗征戎吾ガ事二非ズ」を別の言葉で呟いたような気もする。晩年の定家も、庭の草木と明月を慈しんでいた。晩年に記した「ゴヤ」「モンテーニュ」は傑作の評があるも、小生が読むには〝無理〟があった。

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