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牛込氏0)神楽坂で「リングワンダリンク」 [牛込シリーズ]

kiriezuhoi_1.jpg 調べごとで「神楽坂近辺」を歩いた。その日は気が急いていたか、体調が悪かったか~。何度も同じ所を回り、逆方向に歩いたりのミス繰り返しで、己に憮然とした。

 新型コロナに感染すると「味覚・臭覚障害」が出るらしい。近くに24名クラスター発生の「東京新宿メディカルセンター」(旧厚生年金病院。理事長は感染対策専門家会議副座長の尾身茂氏)がある。あたしに「三半規管障害」が出たのかと思った。

 後日よくよく考えれば出掛ける前に、西が上の嘉永年間「江戸切絵図」(写真上。外濠が左)を、北が上の通常地図(真北=経線が指す上。※磁北は約7°西寄り。写真中。外濠が右)を頭に叩き込んでいた。だがjyukuusigome1_1.jpg南が上の現地街路マップ(自分の立ち位置方位で表示。写真下。外濠が上)があり、さらに同地は「神楽坂商店街」がメインで坂上が上、坂下が下で描かれた垂直ガイド図が至る所に貼られていた。

 方位バラバラの各地図によって、方向感覚が狂ったらしい。地図の魔に幻惑されたらしい~とわかった。「こんなこともあるんだなぁ」と改めて思った。加えて大江戸線「牛込神楽坂駅」初下車も影響していただろうし、他の何よりも身体が覚え込んでいた地図がある。

 さて、この地図の赤線で囲った地域が、昔々あった「牛込城」だろう範囲で、家マークが牛込氏館があっただろう現「光照寺」(天保4年・1645に神田から移転)です。

 徳川家康が江戸に乗り込んで来る(天正18年・1590)まで、牛usigomejyo6_1.jpg込氏がここから眼下の赤坂・桜田・日比谷辺りまでを領していたとか。同地から反対側を見れば、今も「赤城神社」北面は崖上で、眼下に神田川~小日向までが一望で、そこもまた牛込氏が治めていたと推測すると、さぞ痛快だったのではと想像した。

 面白そうなので、牛込氏をちょっとお勉強したくなってきたので、まずは「宗参寺の牛込氏墓」から掃苔することにした。(続く) 

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