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ヒトラー7:栄次郎書に〝焚書〟指定 [政経お勉強]

hitler3_1.jpg 林信吾『青山栄次郎伝』に戻る。1929年10月、ウォール街に端を発した大恐慌が欧州を襲った。ドイツは政経不安定で、毎年のように解散・総選挙。1930年の総選挙でナチス107議席。社会民主党に次ぐ第2党へ。1032年の選挙で230議席。第1党へ。だがヒトラーの大統領選は30%で、ヒンデンブルク将軍50%に及ばず。

 これでは軍部を手中で出来ず。1933年1月、単独政権となってヒトラー首相就任。(挿絵は戦前のヒトラー賛歌の子供向け読み物=大木雄二著『ヒトラー』より。国会図書館デジタルコレクション)

 首相就任直後に国会議事堂放火事件(共産主義者を逮捕のデッチ上げ?)で「国家緊急令」を発令。(あの安倍元総理は「憲法改正」で執拗に「緊急事態条項」成立を目論んでいたっけなぁ)。集会・報道・言論の自由(今は学問の自由を侵されつつある)を停止し、共産主義を徹底的に叩き『パン・ヨーロッパ』運動の栄次郎著書も焚書とし、逆にヒトラー『わが闘争』が売れまくった。ベルリンはじめほとんどの大学町で非ドイツ的書物が焚火に投げ込まれた。●時代は遡るが、詩人ハイネは「本が燃やされるところでは、最後には人間も燃やされる」と予言的言葉を著わしていた。(トーマス・ザントキューラー著『アードルフ・ヒトラー独裁者の人生行路』より)

 3月5日の総選挙で288名が当選。ナチスの政権基盤強固で、立法権を議会からヒトラー委任「全権委任法」可決で〝独裁〟となる。ナチスの敬礼=ドイツの敬礼で、ヒトラー式敬礼を公務員に義務付けた。ヒトラーの単独政権になると、忠誠で働いてきた側近らに「出世欲・嫉妬」が渦巻いた。そして1934年6月30日「長いナイフの夜」の殺戮。これは突撃隊と同隊率いるレーム他への粛清。映画「HITLER'S  CIRCLE  OF  EVIL」第3部はヒムラー、ゲッベルス、ハイロリッヒらによる嫉妬・策略によって親衛隊が突撃隊100名余を射殺粛清する過程が息詰まる緊張感で描かれていた。

 ★追記:このブログを記した翌日、翌々日に87年前のヒトラーを例にした大学教授の発言がテレビニュースや新聞で報じられてギクッとした。それは2020年10月23日、日本学術会議が推薦した新会員候補6人が任命されなかった問題で、任命を拒否された学者らが日本外国特派員協会で記者会見。松宮孝明立命館大教授が「総理は国民を代表して自由に公務員を選定罷免できると宣言した。ナチスのヒトラーでさえ全権掌握のために新憲法を作ろうとしたが、総理は現行の憲法でやろうとしている。独裁者になろうとしているのか」と批判していた。ヒトラーの「全権委任法」は1933年3月23日に制定。4年期限だが1937年、1941年に更新された。

 さて、レームはヒトラーから渡された拳銃で自決を迫られ、拒否して射殺された。他に「ドイツ労働者党」創設者、前首相シュライヒャー将軍、バイエルン州元総監なども粛清。独裁恐怖が始まった。同年8月、ヒンデンブルク大統領死去で、ヒトラーは大統領制を廃止。自分が新元首となって「ワイマール共和国」が「ドイツ第三帝国」(俗称)になる。

 ヒトラーは米国ニューディール政策を真似て大規模公共工事を展開。その代表が高速道路網(アウトバーン)と国民車(フォルクスワーゲン)製造。1935年、徴兵制を復活。公共工事従事の若者100万人が軍隊へ。1938年にオーストリアを併合。

 オーストリア在住の栄次郎・イダは、ドイツ軍侵入と同時に同国のスイス公使館に逃げ込み、チェコスロバキア~ハンガリー・ブタペスト~ユーゴスラビア・ザグレス~イタリア領内を経てスイスへ入国。ナチスの宣伝担当者ゲッベルスは栄次郎を「公開裁判にかける」と発表も、栄次郎とイダはさらにアメリカへ逃げた。

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