SSブログ

「アレ・ブレ・ボケ」の写真家たち [散歩日和]

nakahirahon_1.jpg 街歩きをしつつカメラで〝ブレ・ボケ〟写真を撮って遊んでいたら、ソール・ライターとは別に、日本でも一時期にそんなムーブメントがあったことを知った。中平卓馬、多木浩二、高梨豊が写真同人誌「プロヴォーク」を創刊(3号で終刊)で、2号から森山大道が参加。その趣旨が「アレ・ブレ・ボケ」だったそうな。

 ★シンパサイザーとして吉岡剛造も参加。あたしはミニコミで吉岡剛造三×諏訪優に、下町散歩をしつつの対談をしていただいたことがある。★森山大道と中平卓馬は寺山修司を介して付き合うようになる。中平は雑誌「現代の眼」連載の寺山修二の初長編小説『あゝ荒野』の担当編集者だった。

 写真は古き良きリアリズム(土門拳など)の客観的に記録する写真の王道があるも、そんな〝確かな世界〟を捨ててみてはどうか~。むしろ「ブレたりボケたり」する方が、通常の人間の眼の生理を反映しているのではないか~と考えたとか。

 撮影者が街を彷徨しつつ擦れ違う世界を被写体として記憶(擦過:さっか)する際の、写真に刻まれるブレ・ボケの痕跡に、撮影者の手や身体の動きの流動的記録、すなわち撮影者の生々しい行為をも記録することになるのでは~。そう彼らは考えたらしい。

 中平卓馬は昭和13年(1938)、東京・原宿生まれ。東京外国語大学スペイン科卒。現代評論社・編集部を経て写真家になり、森山大道と共同事務所を開いた。彼の写真論は昭和46年(1971)「沖縄・松永事件」、昭和48年(1973)の映像論集『なぜ、植物図鑑か』、昭和52年(1977)〝なぜ篠山紀信か〟を論じた『決闘写真論』、そして彼の〝記憶喪失事件〟などが併せて論じられることが多いらしい。

 さて「プロヴォーク」を経た森山大道は、昭和51年(1976)、新宿にイメージショップ「CANP」を開設した。その流れから、新婚旅行の「ハメ撮り?」まで撮った「私写真」で一世を風靡した荒木経惟(目下セクハラ問題沸騰中)らが出て、そこから一連の「少女写真家」たちが「私」の主観的表現で台頭とか。

 あたしは写真家ではなく、単なる隠居街歩きの趣味写真の域。写真家らの世界に突っ込んで行く気もないが、またえらく饒舌・小難しい写真論は敬遠だ。だが実は「CANP」初期メンバー8人のうち、2人との付き合いがあった。

 昔のことはすでに「アレ・ブレ・ボケ」で、思い出すのもままならぬが、メンバーのなかの某1は、10代後半からの友人で、某2は有名写真賞を受賞後にちょっとだけ付き合ったことがあった。話が長くなったので話の続きは次回へ。写真は河出書房新社、平成21年(2009)刊『中平卓馬』。

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。