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塚本洋三著「東京湾にガンがいた頃」 [野鳥関連本]

tokyowan2_1.jpg 三番瀬にここ2度ほど通った間に、この本を読んでいた。塚本洋三著「東京湾にガンがいた頃」(文一総合出版)。今から55年前の1953(昭和28)年の頃、旧江戸川と江戸川放水路に挟まれた湿地帯とアメリカまで続くと言われた広大な干潟「新浜」があった。この書は同年から1962年までの9年間に亘って「新浜野鳥観察」に計300回通った著者の述懐。この「新浜」は現在の三番瀬から浦安のディズニーランドに及ぶ地域。当時はJR総武線・本八幡から行徳橋辺りの湿地帯を抜け、幅70㎝ほどの堤防を歩いて干潟に出たそうな。探鳥のメンバーは“新浜の鬼”こと「新浜グループ」。フィールドガイドは洋書一冊のみ。1957年に登場したフィールドスコープ「プロミナール」の性能に腰を抜かさんばかりに驚いている。艱難辛苦を越えて切磋琢磨で磨いた野鳥識別力。著者が中2で入会した当時の「日本野鳥の会」は中西悟堂らの創立メンバーがカスミ網や野鳥狩猟阻止に闘っていた最中。巷には美空ひばり「リンゴ追分」が流れ、街頭テレビに人が群れ、マガンが新浜で越冬していた最後の頃。 オオバンが賑やかに繁殖し、彼らが55年にハジロクロハラアジサシを記録した丸浜養魚場も今はなく、あの広大な干潟は埋め立てられてディズニーランドになり、「シロガネーズならぬマリナーゼ」と名乗る高級マンション群に棲むご婦人方が闊歩している。当時を思わす環境は宮内庁新浜鴨場と行徳野鳥観察舎のあたりとお隣の三番瀬のみ。同書には記されていないが浦安では工場排水を巡って機動隊と漁民の激しい闘争が繰り広げられていたはず。今から55年前の豊かな自然を、さらに江戸に遡れば広重描くようにタンチョウツルも舞ったに違いなかろう。そんなことを思いながらあたしはもっと三番瀬に通いましょと思ったりした。あたしの兄弟たちもかつての「新浜」を埋め立てた浦安のマンション群在住で、あぁ、父や母も海浜公園墓地で眠っている。


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