SSブログ

野上弥生子「秀吉と利休」 [読書・言葉備忘録]

hideyosirikyuu_1.jpg この本はブックオフ100円コーナーのまとめ買いのなかの一冊で、これは子供時分に母の本棚に函入り本があり、それは母が茶と花の師匠をしていたからで、私は何度か手にとったものの途中で投げ出してい、ついでに言えば母は江戸千家と古流で共にシブい流派で、何年も前に両国の江戸歴史博物館に行った際に江戸文化展のようなものがあって、江戸庶民人気ナンバーワン流派としてこの両派の記述があったことを思い出したりして、今回こそ100円入手の出逢いを縁に読了せんと半分ほどまでこぎ着けた。句点(。)なしで書いたのは野上弥生子の文章が時に句点なしで読みにくくも慣れてくればなにやら雅の趣もあり、そういえば樋口一葉も句点なしで文庫本数頁分はざらで、下谷龍泉寺の記念館に展示されてた生原稿を拝見した際のあの毛筆すらすらと流れような達筆で、筆で「。」なんか書けやしないじゃんと思ったが、この句点なし文を読んでいれば何故か読書姿勢がだんだんと崩れ結局は一日中ゴロゴロと横になる始末で、あぁ身体を動かすべく鳥撮りに行かねばと思うものの今日も天候不順なり。(新潮文庫)

 本の内容を記さぬは、ここには茶道の奥義などなく、利休自刃は主君におもねき、自分を認めてもらおうとする「ねい臣のざん言」(ねい臣、ざん言の漢字・意味を知りたい方は辞書をどうぞ)が主に書かれていて、そんな人間は今の世にも幾らでもいて、そんな下らんことだったのかと落胆したからなんだ。フリー家業をしているとクライアント社内スタッフの妬み・告げ口など日常茶飯事。あぁ、嫌だ嫌だと仕事を降りたことまま。

 小松茂美「利休の死」(中央公論社刊)には、大徳寺山門の利休像の他に、秀吉が東山に鷹狩りをした際に見染めた妻女が利休の娘(万代屋宗安に嫁いだ後家)で、秀吉のご執心に利休が断り、娘も自殺したこと、秀吉が利休の「橋立の壺」を所望して断わられたことなど詳細に記されている。そんな秀吉の怒りに油を注いだのが石田光成。これが「ねい臣」ってことだ。光成は利休亡きあと利休の妻女と娘を「へび責め」で殺している。あたしは腰ぎんちゃく…光成を蛇蝎の如く嫌う。


nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。