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平岩弓枝「橋の上の霜」 [大田南畝(蜀山人)関連]

hiraiwananpo_1.jpg 竹田真砂子は、これまでの男性著者らによる南畝の「妻妾同居説」に対し、女性の立場からそりゃなかろうと思って「あとより恋の責めくれば 御家人南畝先生」を書いたと記していた。氏は平岩弓枝「橋の上の霜」に言及せぬが、その辺は如何なりや・・・。

 平岩弓枝「橋の上の霜」は、彼女が若き日に書いた「狂歌師」から26年後、昭和58年に「小説新潮」に連載開始で、翌年に出版。写真は新潮文庫で昭和62年刊の平成15年19刷。こちらは「妻妾同居」で愛欲めくるめくる感の長編。・・・物語は南畝がうたた寝中に惚れている吉原の新造「おしづ」の名を呼び、ハッと我に返るシーンから始まる。家は牛込中御徒町の組屋敷内。両親がいて、妻と二人の子がいる三世代同居。やがてこの家の庭を潰し建て増した部屋に、身請けした遊女・三穂崎が住むことになる。史実に加え「こう来たか」と上手にフィクションを盛り込んで、さすがベテラン作家で読ませてくれる。だが次第に妻妾同居の愛欲泥沼に発展し、息子・定吉までも妾と同衾などで、ちょっと辟易してくる。

 物語終盤は寛政5年の三穂崎死去から、小石川・本念寺の墓参で島田順蔵と二人の娘「お香、みや」との出会いへ。(小説にはないが南畝は妻亡き後にこの二人とも深間になり、75歳で逝った最期を看取ったのはお香さんだった)。そして恋川春町が自害し、山東京伝が50日手鎖の形、蔦谷重三郎が財産半分没収されるなどの寛政改革で、狂歌から足を洗って学問吟味合格で支配勘定に昇進。最後はフィクションでしょう、濃密な逢瀬を重ねた女が尼となり京都へ旅立つのを見送ったところで終わっている。粋人・南畝さんをとことん野暮のスケベオヤジにした小説と言えましょう。読後に「あぁ、大田南畝を女性作家に書かせちゃいけねぇなぁ」と思った次第。なお同小説は昭和61年秋にNHKテレビドラマ放映。主演は武田鉄也だったとか。江戸の粋人・南畝と対極の代表的ヤボ男を起用。とんでもないドラマだったに違いない。※あたしはこの男の顔がテレビに映ると、見てはいけぬ物を観たようで、さっとチャンネルを変えてしまう。


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